第90話 台湾棒球少女、現る

 3月頭。

 俺はいきなり、放課後に校長室に呼ばれていた。


 行ってみると、秋山校長が、

「実は我が校は、台湾の、高校と姉妹校の提携を結んでいてね」

 と言ってきた。


 そんなことを聞いたこともなかった俺が、面食らっていると、彼は続けた。

台北タイペイ市にある、華崙かろん高級中学っていうところなんだが」

「高級中学って、中学生ですか?」


「いや。中華圏での呼び方で、高級中学ってのは、要は日本の高校だね」

「はあ」


 俺は、気のない返事を返していたのが、校長に露見してしまったが、今さら気にもしていなかった。


「その高級中学から、我が校に野球留学に来る生徒がいるんだ。将来有望な選手だから、是非君の部で預かってくれ」

(ええー)


 相変わらず、話が急すぎる校長の態度に、俺は内心戸惑うと同時に、

「でも、僕。中国語なんてできませんよ」

 と訴えると、校長は破顔して、予想外の言葉を放ってきた。


「大丈夫。かくさんは、日本語ペラペラだから」

「郭さん?」


「そう。郭泰玲かくたいれいさん。華崙高級中学の1年生で、もうすぐ2年生になる。本当は1年から留学したかったらしいけど、色々とあって1年遅れたらしい。ただ、野球に関しては、かなりの実力者らしいよ」

(それは喜ばしいことなんだが)


 と思いつつも、少しだけ気になったので、突っ込んでみることにした。

「ポジションは?」

「ピッチャーだね」


(投手は何人いてもいい)

 それは、俺が常々感じていることであり、実際、潮崎と工藤だけでは「足りない」と感じる部分があった。


 せめてあと1人は欲しいし、出来れば2人欲しい。中継ぎ、ワンポイント、エースの疲労回復のための代役。投手は色々な使い道があるし、いれば戦略の幅が広がる。


 それに、この冬に獲得したのは、2人とも「野手」だった。


「いつ来るんですか?」

「明日」


「え、明日、ですか?」

「そうだよ。何か?」


(相変わらず、いきなりすぎるんだよ、この人)

 校長の顔を見ながら、俺はただただ戸惑いと、怨嗟に似た視線を送っていた。



 だが、翌日の昼休み。

「森先生。至急、校長室に起こし下さい」

 またも、突然の呼び出しに、昼飯を食べる間もなく、俺が向かうと。


 校長室には、校長の傍に立っている、一人の少年がいた。

 身長は173センチくらい。短く刈った頭髪、手足が長い。切れ長の目を持つ、中性的な印象を抱かせる「美少年」に見えた。


「紹介しよう。郭泰玲さんだ」

「ええっ。男の子じゃないですか?」


 さすがに第一声から、俺が驚嘆の声を上げていると、

「いやいや。よく見たまえ。女の子だよ」

 校長に言われて、仕方がないから、その子の胸の辺りを見ると。


 控えめだが、確かに、小さな双丘がある、ように見えた。まあ、成長はこれからなのかもしれないが。


 さすがに、服の上からとはいえ、「彼女」の胸を凝視していたから、彼女は、恥ずかしそうに視線を逸らして、両手で胸を隠していた。


「ごめん」

「いえ……」


 素直に謝ると、頭を下げて、挨拶をしてきた。

「郭泰玲です。よろしくお願いします」

 非常に綺麗な日本語だった。とても、台湾の人には見えないほどだ。同時に、声を聞くと、やはりそれは「女性」の声質だった。


 容姿も男の子みたいだが、どこか洗練されていて、「都会っ子」の雰囲気を感じる。台北が都会だからかもしれない。


「日本語、上手いね。どこで習ったの?」

「台湾は、日本のアニメ、いっぱいやってます。私、日本のアニメ、大好きなので、アニメ見て学びました」

 ようやく、自分の「好きな話題」になったからなのか。彼女は、ふんわりと笑顔を見せた。


 見た目が男の子みたいだが、笑うとやっぱり「女の子」に見える。どこか中性的で、男の子とも女の子とも取れる、不思議な少女だった。


「じゃあ、早速伊東さんを呼んで、球を投げてもらったら?」

 相変わらず、空気を読めない、というか、突然の提案をしてくる校長。


 仕方がないので、この郭さんにも許可を取り、昼休みでありながら、急きょ、伊東を第二グラウンドに呼び出した。



 そして、ここでさらなる「サプライズ」が待っていた。

 一応、挨拶をして、渋々ながらも制服の上からキャッチャーマスクをつけて、ホームベースの後ろに座った伊東。


「じゃあ、郭さん。適当に何球か投げてみて」

「はい。わかりました」


 一方で、郭は制服のままマウンドに立つと、緩やかなスリークォーター気味のフォームからピッチングを披露した。


 それがとてつもなく「速かった」。


 ズバン、と大きな音を立てるキャッチャーミット。球速では恐らくだが、120キロを越えているだろう。

 まだ1年生で、もうすぐ2年生。つまり、工藤と同い年だろうが、その工藤よりも「速い」と思わせる球だった。


 おまけに、数球見ていると、カットボールと、カットボール気味のシュートも持っていた。


(使える)

 右投右打のピッチャーだが、大柄だし、体力も潮崎よりありそうだ。エースの代替に使えるし、ワンポイントでも十分通用するだろう。


 俺は、傍にいた伊東に、

「どうだ?」

 と聞くと、


「予想以上にすごいですね。十分通用すると思います」

 さすがに、我がチームの「司令塔」は、理解していたようで、声に力があった。



 放課後、早速「彼女」を部員に紹介する。


「郭泰玲です」


 台湾で「棒球」、つまり「野球」をずっと続けていた郭は、挨拶がてら日本の野球に憧れている、という話をしてくれた。


 丁寧に頭を下げて、説明してくれた彼女に対し、部員たちは、


「すっごいイケメン!」

「えっ。男の子?」

「監督ちゃん。男の子入れたらダメじゃん」

「カッコいい!」

 俺としては、予想通りの反応だった。


 仕方がないので、一応「女の子」だと改めて紹介すると、さすがに彼女たちは、目を丸くしていた。

 それくらい、彼女は「イケメン」だった。それこそ、宝塚の歌劇団にいそうな、タイプに見える。


 そして、呼び名が問題になった。

「郭さんかあ。なんか、『水戸黄門』みたいだね」

 同い年の1年生、気さくな性格の佐々木が声を上げる。

 同時に、それは俺も密かに思っていたことだった。


 水戸黄門のお連れの人の1人みたい、だと。

 そこで、

「じゃあ、『郭くん』でいいんじゃない? 男の子みたいだし」

 リーダーの潮崎が提案し、


「いいね!」

「郭くん、よろしくね!」

「郭くん、よろしくお願いします」

 彼女たちは、あっという間に「打ち解けて」いた。


 野球、特に「男子野球」は上下関係が厳しく、それが故に、下級生が上級生に委縮してしまう、ということがよくある。


 だが、我が部は特に「女子」しかいないこともあり、そういう「垣根」がほとんどなかった。


 下級生は、上級生に遠慮しないし、上級生も下級生を「下」には見ていない。そういう「風通し」の良さは、確かに我が部のメリットでもあった。


 そして、当の郭は、「くん」で呼ばれながらも、

「よろしくお願いします。『くん』づけで呼ばれると、アニメのキャラみたいですね」

 と意外にも満面の笑みで、喜びを表現していた。


 明るくて、イケメンで、日本語も上手いし、コミュニケーション力もあるし、おまけに「球も速い」。


(完璧超人か。恐るべし、郭くん)

 俺の胸にそんな思いが去来し、同時に、


(でも、郭くんだと、『カックン』に聞こえる。膝カックンみたいだ)

 内心では、そう思い、ほくそ笑んでいた。


「何、ニヤけてんの、カントクちゃん。キモいんだけど」

「本当ですわね。郭くんに変なことしたら、警察呼びますわよ」

 そんな様子を、部員の笘篠と吉竹に鋭く突っ込まれていた。


 ともかく、「台湾の棒球少女」、郭泰玲は、4月を迎える前に入部した。


 ちなみに、正式には4月からの転入だったが、慣れない日本での生活ということを考慮し、3月から来日し、準備するのだ、という。


 彼女たちにすっかり「受け入れられた」郭は、彼女たちの手助けもあり、日本での生活をスタートした。


 そして、4月を迎える。いよいよ始まる新学期。そして彼女たちにとって「最後の季節」が来る。

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