第89話 大器たち
2064年は、あっという間に進み、2月。
いよいよ、この武州中川高校で、「彼女たち」が迎える「最後の」野球の季節を目前とする頃。
昨年と同じように、校長から情報が入った。
去年とは違い、「野手」に関する、有力スカウト情報だ。
「隣の
と。
しかも、不思議なことに、校長は、出発する前、俺に「みかん」を手渡した。それも複数個が網に入って売っているものだ。
「なんですか、いきなり?」
「土産だよ。彼女に『餞別』として、渡してくれ」
正直、意味がわからなかった。
みかんくらいで、喜ぶものか。
皆野町は、秩父市のすぐ隣にある、小さな街で、その隣には、「川下り」で有名な観光地の
皆野町立
そこで、軟式女子野球の試合が行われていたものの。
それくらい、田舎の過疎は進んでいる。
4番を打つ3年生が、校長から勧められた生徒。
デカかった。身長が175センチはある。とても中学生には見えず、頭一つ抜けていた。長髪を、背中で結んだ髪型、そして、その大柄な体躯に似合わないくらいに、「笑顔」が多い選手だったから、少しだけ羽生田を思い出していた。
なんというか、「野球を楽しんでいる」様子が、ありありと見えるし、その辺りは出逢った頃の潮崎に近い感覚だ。
今でこそ、悩みを知った潮崎は、純粋に「楽しむ」だけではなくなってきているが、この子は、まだ「悩み」にぶち当たってないのかもしれない。
「
手元のプロフィールを見て、試合を見守っていると。
彼女は、4番に座るだけのことはあり、その日の試合で2本もホームランを打ち、しかも外野手としても活躍。俊足で、パワーもある選手だった。右投右打の大型長距離砲。清原と並べば脅威になるし、代打の切り札としても使えそうだ。
(なるほど。粗削りだが、鍛えれば面白いかもな。『未完の大器』かもな)
それが、正直な第一印象だった。
試合が終わった頃合いを見計らって、グラウンド脇にある、ベンチに座る彼女に近づき、監督らしき教師を通して、彼女を呼んでもらう。
名刺を渡し、
「4月からウチに来る気はないか? まあ、こんなギリギリの時期に言ってもアレなんだが」
時期が時期だけに、少し後悔しながら発するも、彼女は、目を輝かせて、
「スカウトですか! ありがとうございます! 私なんかを選んでくれて。がんばります!」
と元気よく返してきた。
いちいち笑顔が眩しいくらいの生徒で、元気で明るく、礼儀正しい。その意味では、工藤とは正反対の「好感が持てる」生徒ではある。
いい教育、いい環境で育たないと、こういう子供には成長しないものだ。
俺は、思い出して、校長から渡されたみかんを、
「こちらこそありがとう。これは餞別代わりだ」
と手渡すと。
彼女の表情が、さらにパアっと太陽のように明るく輝いた。
「わぁ! みかんですね! 私の好物をご存じなんて、嬉しいです!」
子供のように無邪気で、屈託のない笑顔を浮かべて、頭を下げてきた。
なるほど。これが、「校長」が狙っていたことで、校長は最初から、彼女の「好み」まで調べていたのだろう。ある意味、抜かりのない人だ。
だが、目の前でみかんを見つめて、キラキラと眩しいくらいの瞳を向ける彼女を見ていると、
(ムードメーカーにいいかもな。っていうか、『未完の大器』というより、『みかんの大器』だな)
俺はのんびりと、そんなことを考えていた。
こうして、彼女は「約束」をしてくれることになった。
さらに、もう1人。
「
と校長からもう1人推薦された。
いちいち、校長の情報源がどこにあって、どんなネットワークを持っているか、は深く詮索しないが、ともかく常に戦力不足にあえいでいる我が校は、1人でも有力な選手が欲しい。
幸い、横瀬町は、秩父市街地から近い。
同じく、とある日の放課後に、電動バイクで向かった。
横瀬町立
(いやいや。こんな山の中に、なんで中学校があるんだよ。不便だろ)
普通に疑問に思いながらも、細い山道をバイクで登って行くと。
それこそ「廃校」寸前、というか「休校」しているんじゃないか、と思えるくらいに、鬱蒼とした森の中に、小さな学校があった。
しかも、その中学校で「軟式野球」をやっているという、「彼女」はそこにいなかった。
職員室で事情を説明して、尋ねると、
「ああ。彼女なら、連合チームとして、今日は別所運動公園に行ってるよ」
との答えだった。
(面倒だ)
内心、思いながらも、バイクで引き返し、秩父市街を抜けて、荒川を越えた先にある、小さな球場に着いた。
別所運動公園野球場。
こぢんまりとした、秩父の小さな球場で、そこで、彼女の所属する「連合」チームと秩父市内の中学校の「練習試合」が行われていた。
3番を打つ彼女。
スタンドから眺めると。
ショートボブの、少しボーイッシュな男の子みたいにも見える、中性的な容姿で、スタイルが良くて、足が長い。スクエアスタンスに構え、左打席から鋭いバッティングを披露していた。
おまけに、選球眼が良くて、ほとんど三振をせずに、勝負所ではきちんと、タイムリーや、最低でも犠牲フライを打っていた。
ポジションは、みたところサード。右投左打で、ソツのない動きをする、器用な選手に見えた。
表情は、割とどこにでもいそうな、「普通」の生徒にも見える。
試合終了後、彼女のプロフィールを手に、ベンチに向かい、監督に事情を説明して、対面する。
彼女の名は、
「君が鈴木
俺が声をかけると、彼女の答えは、
「ありがとうございます。でも、私、もう浦山学院からスカウトされてるんです」
だった。
まあ、ある意味、この事態も予測はしていた。
そもそもスカウトに動く時期が遅かったし、彼女ほどの逸材を、他の有力校が放っておくとは思えない。
なので、一応、「策」は用意してあった。
「そうか。残念だな。でも、ウチにはプリンセストーナメントで、準決勝まで勝ち進んだ実力があるし、同じくアベレージヒッターの笘篠から学べるところは多いと思うよ」
つまり、彼女がまだ正式には「浦山学院」に決めてない、という情報と、もう一つ、彼女が「笘篠」の打撃に注目している、という情報を持ってきており、切り札に使った。
「そうですか。そう言えば、武州中川高校には、笘篠さんがいますね。うーん。悩みます」
考え込み始めた。
あと一押し、というところだろう。
「ウチに来てくれたら、笘篠がマンツーマンで教えるぞ」
もちろん、そんなの「嘘」だったが、もう「盛って」話してでも、来てもらうしかない。
あの笘篠のことだ。
「えー、メンドい。教えるつもりなんてない」
と言いそうだが。
「そ、それは魅力的ですね」
ショートボブの、一見すると「イケメン」にも見える彼女が、真剣に考え込んでいた。
「ひとまず、考えておいてくれ」
俺はあえて、即決を求めず、答えを保留にしたまま、立ち去ることにした。
これも、一応は、校長や渡辺先生のアドバイスだったが。
人には、それぞれ「事情」があるから、いきなり最初から最後まで「スカウト」を一気に完結しようとしても上手くいかないからだ。
こうして、とりあえず「2人」にツバをつけた状態で、4月まで進む。
かと思いきや、その前に、実は校長が用意していた「サプライズ」が待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます