第65話 チーム力
ここからは、潮崎の視点になる。
彼女は準決勝を翌日に控える中、阿波野に連絡を取った。
そして、阿波野は会うことを快諾し、二人はさいたま市内の喫茶店で落ち合うことになったらしい。
潮崎は、緊張した面持ちで、さいたま市の中心部、大宮駅西口のペデストリアンデッキにあるベンチに座って、彼女を待っていた。
待つこと数分。彼女は私服でやって来た。
身長165センチ。綺麗なショートボブの髪、そして長い手足、スラっとしたスタイルのいいモデル体型。
それは女性から見ても「カッコいい」と思える理想的体型でもあった。
「お久しぶりです、潮崎さん」
潮崎より1歳年上の、今年、高校3年生の阿波野めぐみ。
だが、彼女は常に礼儀正しく、誰にでも敬語を使う。潮崎はそんなところも、阿波野のことが好きな理由の一つだった。
「阿波野さん。今日はわざわざありがとうございます」
つられるように、丁寧に頭を下げていた潮崎に対し、阿波野は微笑を浮かべ、
「では、喫茶店に行きましょう」
と、潮崎を先導して歩き始めた。
彼女は、このさいたま市にある浦山学院に通っている。従って、同じ市内にある大宮駅には慣れていた。
早速、彼女の先導の元、喫茶店に向かう道すがら、潮崎は声をかけていた。
「準々決勝、残念でした。阿波野さんなら絶対勝てると思ってたのに。私、対戦したかったです」
目を輝かせ、弾んだ声を上げる彼女に、しかし阿波野は、
「買いかぶりすぎですよ。私は5失点もしてしまいましたからね」
と、冷静にいなすように返していた。
やがて、駅前の喫茶店に入り、注文を取る二人。
阿波野を見つめたまま、どこかキラキラしたような瞳を向ける潮崎に対し、阿波野はいつも通り、冷静な態度を崩さなかった。
「それで。負けた私にわざわざ聞きたいこととは何ですか?」
自虐的にも思えるそのセリフに、潮崎は反応した。
「そんなこと言わないで下さい。阿波野さんは、十分すごいです」
しかし、その言葉を聞いて、逆に阿波野は、思うところがあるのか、心なしか厳しいような、鋭い視線を潮崎に向けた。
「潮崎さん。私は全然すごくないですし、私より優秀なピッチャーはいくらでもいます。それに、野球は一人が頑張っても勝てませんよ」
「はい。それはわかってます」
「『勝敗は時の運』、『運も実力のうち』とも言いますね。結局、がんばっても私の甲子園への道は絶たれてしまい、3年が終わってしまったんですよ」
それは、阿波野が心から思っていた心情だった。
最後の夏。不甲斐ない投球をしてしまい、結果的にチームは負けて、憧れの甲子園への道は絶たれた。
彼女は平静を装っているが、内心では悔しくて仕方がない、という気持ちがあったのだ。
「それはそうですけど……」
むしろ潮崎が言い淀んでいた。彼女は明るいが、他人に対して、多少無遠慮なところがあり、それが欠点だった。
「どうしたら、春日部共心に勝てると思いますか?」
思わず、そんな無遠慮な言葉を投げかけていた。
阿波野は小さく嘆息し、
「わかりません」
とだけ答えた。
「えっ」
それが潮崎には予想外だったのか、冷たくあしらわれたように感じて、気を落としていた。その場に重い空気が漂う。
注文していたコーヒーが運ばれてくる中、阿波野が一口コーヒーを飲んでから、ゆっくりと説明を始めた。
「高校野球は、『チーム力』が重要なんです。あなた一人ががんばったから勝てるわけではありません」
信頼し、尊敬していた阿波野に、冷たい言葉を投げかけられ、潮崎は沈んだ表情になっていたが。
阿波野は構わず続ける。
「逆に質問しましょう。潮崎さん。あなたのチームは一丸になっていますか? いいチームだと、結束があるチームだと自信を持って言えますか?」
問われると、潮崎には答えられなかった。
何故なら、彼女の脳裏に浮かんでいたのは、春先の工藤との確執、平野のエラーに対する清原の叱責、笘篠と羽生田の対立、などが浮かんでいたからだ。
その後の合宿で何とかチーム力としては持ち直したものの、いまだに潮崎自身が、工藤との関係で悩んでいるし、自信を持って「チーム力はある」とは言えなかった。
答えることができず、口を噤む潮崎に代わって、阿波野が声をかけた。
「ごめんなさい。ちょっと厳しく言い過ぎたかもしれません」
そう断った後、
「ただ、私はあなたたちには勝って欲しいと思っています」
と付け加えた。阿波野の顔にわずかながら笑顔が戻っていた。
「阿波野さん」
「知っての通り、我が校の部員は100名近くいます。組織というのは、大きければ大きいほど制御が難しいものです。つまり、それだけチームをまとめるのも難しいのです。でも、武州中川高校はどうですか? 部員数では正直かなり劣りますが、その分、チームとしてはまとめやすい。そう考えられませんか?」
そう、阿波野に言われて、ようやく彼女も気づくのだった。
阿波野が言いたいこと。それは、「個」として勝つのではなく、「チーム」として、勝つように主将として、チームを導くことだ、と。
「わかりました。阿波野さん。私、がんばってまとめてみます」
勇んで答える潮崎だったが、
「工藤さんでしたっけ。彼女、なかなかの
阿波野がまるで潮崎の心を読んでいるかのように、その名を出したことに潮崎は驚いていた。
「知ってたんですか?」
「私たちも一応、対戦相手の偵察はしていますからね。ただ、ああいう癖がある選手をまとめてこそ、キャプテンなんですけどね」
そう答える彼女の言葉は、まるで自分自身を振り返っているように、潮崎には見えた。
それだけ、チームの人員が多い浦山学院のキャプテンを務めるのは難しいのだろう。
「それに、今年はともかく、来年、再来年には間違いなく伸びる子だとは思いますよ。恐らく球速はまだアップするでしょう」
そうして、まるで工藤のことを知っているかのような口調で、予言めいたことまで口走っていた。
「まあ、才能がある子だというのは、認めますけどね」
「苦手ですか?」
「阿波野さんにはお見通しですか。まあ、そうも言ってられないですからね」
「それなら、全力で工藤さんに当たって下さい」
「当たるって、どういうことですか?」
「人間、本気でぶつからないとわからないことがあるんです。あなたの性格の優しさは美徳かもしれませんが、それだけではチームをまとめることはできませんよ」
それは潮崎には、痛いほど心に響く言葉だった。それだけで、彼女は阿波野に会った価値があったと思うのだった。
「阿波野さんもぶつかってきたんですか?」
「ええ、もちろん。私もチームの結束を固めるために、喧嘩をしました」
「へえ。阿波野さんが」
一見、温厚そうに見える彼女にそんな一面があるとは潮崎は想像すらしていなかった。
「もちろん、喧嘩と言っても、口喧嘩ですけどね。ピッチャーが暴力を振るうわけにはいきませんし」
そう言って、微笑する阿波野が、少しだけ可愛らしいと思う潮崎だった。
「無理に喧嘩をしろ、とは言いませんが、本音を語り合うことは大事ですよ。工藤さんに限らず、本音をぶつければ、人はわかりあえるものです」
最後にそんな言葉を残し、阿波野は潮崎との会見を切り上げた。
彼女はこの後、用事があるらしい。
忙しい中、少ない時間を割いてもらったことに、謝意を述べて、潮崎は駅前で阿波野と別れるのだった。
「ありがとうございます、阿波野さん!」
そう頭を下げる潮崎の表情は、本来の明るさを取り戻していた。
「がんばって下さい。明日の試合、私も見に行きます」
(やっぱり阿波野さんは、素敵だなあ)
潮崎は、最初こそ厳しいことを言われていたが、それが本当の意味で潮崎のことを思う、ひいてはチームのことを思う彼女の優しさだと実感していた。
綺麗で人目を引くような容姿の上に、落ち着いた性格で、人望もあると思われ、潮崎は改めて彼女に一目置くのだった。
しかし試合は、翌日に迫る。
この切羽詰まった状況で、工藤とぶつかり、チーム力を高める。
そんなことは恐らくできないだろう。潮崎本人としても、キャプテンという立場としても、それは思っていた。
ならば、せめて別の手段で、チームの結束を図ろう、と考え直した。
準決勝まで残り1日。
運命を決する、大舞台が目前に迫っていた。
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