第51話 工藤の本心

 夏の県大会予選まで1週間をきったある日。


 その日、いつものように練習を終えて夕方。部員のほとんどが帰宅しており、残って追加練習をしていたのは、潮崎と辻、そして二人を見守るように眺めている伊東、そして工藤だけだった。


 俺は何故か工藤の相手をしていた。部員がみんな帰ってしまい、残された俺をキャッチャー役にして彼女が投げたのだが、そもそも肩を故障しているから、利き腕ではない左腕で返球しないといけないのだが、それでも工藤に相手をして欲しいと懇願されたためだった。


 何球か練習した後、工藤が練習を切り上げてベンチに戻っていき、俺も従った。


「あー。疲れたけど、いい練習になったっすわ」

 どこか、おっさんのようにそう言っては、ベンチの俺の近くにどかっと腰を下ろした彼女。


「お疲れ」

 俺が声をかけると、彼女はマネージャーの鹿取が置いていったスポーツドリンクを飲み干して、清々しい顔をしていた。


「なあ、工藤。前から聞きたかったんだけど」

「なんすか?」


「工藤はどうしてこの高校に来たんだ? 誘った俺が言うのも何だけど、お前ならもっと強豪校で活躍できるだろ?」


 すると、彼女は、

「そうっすねえ」

 一瞬、考え込むような素振りを見せた後、


「嬉しかったからっすね」

 弾けるような笑顔を向けた。夕陽に照らされて輝くその笑顔が、見たこともないような輝きに満ちているように見えた。


 普段から、どこか突っ張っていて、ツンデレというより「ツンツン」なところがある彼女には珍しいほどの満面の笑顔が、年相応に可愛らしく見えた。


「嬉しかった?」

「そうっす。あたしはこんな性格っすからね。実は監督サンの前に、他校のスカウトに誘われたこともあったんすけど、やっぱスカウトはなし、っていう話になったこともあるんすよ」

「へえ」

「でも、監督サンだけが、あたしに真剣に向き合ってくれた。それが嬉しかったんす」


 そう語る彼女は、いつものように猫目で睨むような目つきではなく、どこか優しげで、安心しているように俺の目を見ていた。


「だからその期待に応えるためにも、あたしはエースの座を奪いますよ」

 工藤の瞳は真剣な色に変わり、俺は彼女をスカウトしたのは、間違いではなかったと確信するのだが。


「二人で何、話してるんですか、もう」

 そこへ、どこか不服そうな表情を浮かべ、割り込むように語りかけてきたのは、練習から戻ってきた潮崎だった。すぐ後ろにキャッチャーマスクを取った辻もいた。


「別に。先輩には関係ない話っすよ」

 いつものように、どこか冷めた目で、潮崎に対する工藤。


 それが気に入らなかったのか、潮崎はというと。

「なに、それ。感じ悪いなあ、もう。でも、私も先生の期待に応えるためにも、エースの座は譲るつもりはないからね」

 どこか優しいところがある潮崎には珍しく、闘志の炎が籠ったような瞳を、工藤に向けていた。


 その口ぶりからして、潮崎には工藤の発言が聞こえていたのだろうと察する。


 だが、工藤はというかと、相変わらず強気だった。

「望むところっす。あたしは欲しいものは実力で手に入れる主義なんすよ。それが、『野球』であっても『男』であっても」

「はあ? 男?」


 驚きの色を見せて、戸惑っているような潮崎に、工藤はほくそ笑んで、

「なんでもないっすよ。んじゃ、あたしはもうちょい自主練してから帰るんで。先輩はもう帰っていいっすよ。お疲れっした」

 あっさりと立ち上がると、右手を上げて、再びグラウンドへと向かって行った。仕方ないから俺も付き合うために立ち上がると。


 工藤の後ろ姿を見ながら、潮崎は深い溜め息を突いて、

「私、やっぱあの子、苦手」

 と口走っていたが。


「そう言うな、潮崎。それに二人が競った方が、チームとしては強くなれる」

 俺がそう言ったのが、不服だったのか、潮崎はいつもは見せないような、大きな溜め息を再び突き、


「先生は何もわかってないですね。私ももうちょっと練習していきます。すいません、辻先輩。もう少しだけ付き合って下さい」

「わかった」

 彼女もまた、あっさりと踵を返して、グラウンドへと去って行った。


(思春期の女子は難しいな)

 その背中を見つめながら、俺もまた、言いようのないもどかしさを感じ、溜め息を突いて、工藤の元に向かうのだった。


 夏の県大会予選までは、あと少し。伊東の怪我はまだ治っていなかった。


 そして、ついに2度目の「夏」が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る