第5章 波乱の幕開け

第47話 エースとは

 俺がこの武州中川高校の女子硬式野球部監督になってから、2年目の春。


 入学式が終わり、1週間ほど経った頃。

 ある日の放課後、部室のある第二グラウンドに行くと。


 早くも「波乱」が起こっていた。


「てめえ! もう一回言ってみろ!」

 清原が、小さな女子生徒の胸倉を掴んで凄んでいる景色に遭遇する。その小さな子に見覚えがあった。


「工藤!」

 そう、彼女だった。工藤綾音。


 俺が直接スカウトに行った、唯一の中学生にして、速球派の左腕サウスポー。あの微妙な反応からてっきり彼女は入学していないと思っていたのだが。


 しかも、身長が175センチもある清原に対して、工藤は155センチ程度。ほとんど大人と子供くらいの身長差がある。

 にも関わらず、全くひるんだ様子がなく、猫のような目で鋭く清原を睨みつけていた。


 どちらかというと、和気あいあいと楽しむ野球をしていた我が部に波乱を呼び込んでいたのは、彼女だった。


「おいおい。喧嘩か?」

 とりあえず、清原に落ち着けと言って、引き離す。周りの部員は、いずれも工藤を快く思っていない様子が見て取れた。


 具体的なことを聞くと。

「だって、こんな遅い球投げる奴が、エースっすよ。笑っちゃうっすよ」

 工藤がそう発言したのがきっかけらしかった。


 どうも、工藤が入部希望を出したが、エースの潮崎の球を見て、あまりにも遅すぎて、話にならない。自分の方がエース向きだ、と堂々と言ったらしい。


 上級生相手に、新入生がいきなりこんなことを言うのは、前代未聞の出来事だろう。


 だが、当の工藤は、悪びれもせずに、

「監督サン。約束通りこの高校に入学したんすよ。だったら、あたしをエースにしてくれるんすよね?」

 そう言ってきたから、彼女をスカウトしたことが部員にバレてしまった。


「なんで、こんな子をスカウトするんですの?」

「ありえねー。こいつ、私より目立ってんじゃん。大体、生意気なんだよ」

 吉竹と笘篠という、我の強い二人が清原に同調するように文句を垂れていた。


 だが、比較対象にされた当の本人の、現エースの潮崎は、

「とりあえず投球を見せてもらおうかな、工藤さん」

 にこやかに笑ってはいたが、目は笑っていなかった。


 ようやく彼女の地位を脅かす「ライバル」が身内から出てきたことに、内心、俺は面白い展開だと思った。


 ひとまずマウンドに上げて、キャッチャーの伊東相手に何球か投げさせる。

 速球主体のピッチングで、コントロールでは潮崎に及ばないが、それでも内と外に遠慮なく投げ込んでくるし、速球派にしては、コントロールも悪くなかった。

 キャッチャーの伊東のグラブから、この部では聴いたことがないような「ドン」という大きな音が響いていた。


「速いですね。羽生田先輩より速くないですか?」

「あの子、ただのビッグマウスじゃない」

 石毛と辻。二遊間を形成したことで、いつの間にか仲良くなっていた二人が、口々に呟いていた。


 初めて工藤を見た時の感動が甦ると同時に、軟式野球をやっていた彼女が、硬式ボールではどうなのか、と不安に思っていた気持ちが払拭されていた。

 しかも、球速では最速120キロ近くも出ていた。おまけにノビがあり、浮き上がるような直球を投げていた。俺の見立て通り、とんでもない一年生だった。


 詳しく聞くと、工藤は小学生以来の野球経験者だという。リトルリーグからピッチャーとして活躍。中学時代はずっとエースだったという。

 プライドが高く、自分の投球に絶対の自信を持ち、生意気。

 やはりある意味、こういう性格はものすごく「ピッチャー向き」だ。


 そのことに内心、喜んでいると。

「監督サン。これじゃらちが明かないっすから、どっちがエースに相応しいか、次の練習試合で決めるってのはどうっすか?」

 いきなり彼女が提案してきた。


「エースの座を賭けた対決ってわけか。面白い」

 俺があっさり応じたことが不服だったのか、潮崎が、


「先生。なんでそんなの勝手に決めるんですか?」

 と口を尖らせていた。


 俺としては、どちらかと言うと、仲間内で「ぬるく」野球をやってた連中に、「競争」という概念を持ち込むのは、むしろプラスになると思っていたから、工藤の提案を受け入れた。


 とりあえず練習試合を組んで、二人を投げさせて、その結果を見て判断することに決める。


 一方、この春には他にも部員が入ってきた。

 昨年の夏の活躍や、男子との試合で勝ったことがいい影響になったのだろうか。


 工藤の加入から1週間ほど経った頃、二人同時に新入生が入部した。

佐々木愛乃ささきよしのです」

 そう名乗った女生徒は、身長170ほどのスラっとした高身長の子で、シニョン風にまとめた髪が特徴的だった。

 細い目で、少し柔和そうに見える表情だった。


「佐々木は野球経験者か?」

「いいえ。中学まではバレーボールやってました」

 未経験者なのは残念だったが、この高身長と、運動神経は育てれば生かせそうだ、と思うのだった。


 もう一人は、

田辺李依たなべりえです」

 パーマがかかったセミロングの髪が特徴的な子で、身長は165センチくらい。こちらも長身で、見た目は真面目で、礼儀正しそうな子に見えた。

「野球経験は?」

 と聞くと、


「ないですけど、中学までソフトボールをやってました。この高校にはソフトボール部がなかったので」

 という答えが返ってきて、俺は少しだがホッとする。全くの未経験者よりは、少しでも野球に近いソフトボール経験者というのは、ありがたい。


「ポジションは?」

「ショートですけど、セカンドもできますし、内野ならどこでも守れます」

 それを聞いて、ますます頼もしい思いがする。


 3年でセカンドの辻は、この夏が終わると、引退してしまう。

 それまでに彼女を次のセカンドに育てれば、秋以降は安泰するし、他の内野のポジションを任せても面白いかもしれない。


 とにかく、新入生が一気に3人も入った上に、貴重なピッチャーが入った。

「これで、私はもうピッチャーやらなくてもいいねー」

 などと、羽生田は呑気な声を上げていたが、


「いや。試合展開次第じゃ、まだまだ役に立ってもらうぞ」

 と俺が返すと、少し不服そうな顔をしていた。


 とにかく、新しい生徒が入部して、活気づくのだが、「エース」を巡る熱い戦いは始まったばかりだった。


 なお、余談ではあるが、二番手投手は高校野球では10番が定番だが、工藤は何故か10番をつけることを嫌がったため、彼女の希望で11番にした。


 理由を聞くと、

「プロじゃ、11番がエースナンバーになってることが多いからっす」

 だと言う。


 確かに、プロ野球、特に男子には、11番をつけたエースピッチャーが多い。エースというプライドに賭ける気持ちが強い奴だった。


 従って、10番は佐々木、12番は田辺と決まった。

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