第45話 渡辺先生の正体(後編)

 秋が深まる11月。

 俺が渡辺先生に、部員の指導を依頼してから、1週間くらい経った頃か。


「おめーら、基礎体力がねえんだよ。そんなんで、甲子園なんか目指せると思ってんのか?」

 その日は、渡辺先生にノック以外も指導を任せてみた。


 彼女の指導方法がどんなものか、見極めてみる必要もあると思ったからだ。


 どうでもいいが、彼女も俺という「男」に対面する時と、同性の「女」に対面する時で態度が違いすぎる。ある意味、笘篠に似ているとも言えるが。


 彼女は、部員の女子には容赦がなかった。これが春先なら、誰かが部を辞めてもおかしくない。


「今日は、三峯みつみね神社まで走るぞ。タイムを計って、ビリだった奴は、バツとして校庭20周して、グラウンド整備だ」

 その一言に、


「えーーっ!」

 という、露骨な反対の声が上がる中、


「えー、じゃねえんだよ。ナメてんのか、てめえら。クソどもが、一人前になってから文句言えや!」

 今日も渡辺先生は、「怖かった」。そして、相変わらず「口」が悪い。


 三峯神社というのは、奥秩父にある有名な神社で、標高が1100メートルは越える高地にある。非常に歴史の古い神社で、古代史に出てくる「日本武尊ヤマトタケルノミコト」にも関連しているという。


 その古い歴史、そして荘厳な雰囲気の境内、社殿などから「パワースポット」とも言われ、特に「気」と書いてあるお守りが人気だ。


 だが、それはここから国道140号をひたすら20キロ近く走り、さらに県道278号の山道を10キロも登った先に、ようやく鎮座している。


 片道30キロ。おまけにそのうちの1/3は、坂道だ。



 こうして「地獄」のマラソンがスタートする。


 だが、やはり部員の体力にはバラつきがある。一応、走ることは出来るので、俺も一緒に走っていくことにした。


「森先生は、生徒じゃないので、ゆっくりでいいですよー」

 女子生徒と対面する時とは、180度違う、爽やかな笑顔で言ってくる渡辺先生が、逆に怖かった。


 なので、俺は渡辺先生を先に行かせて、その言葉に甘えて、最後尾からゆっくりと走ることにした。


 すると、やはり俺の背に飛び込んできたのは、平野だった。


 部員で、一番体力がなくて、一番小柄な彼女。

 他の者たちはさっさと走って行ってしまい、彼女だけが最後尾に残されていた。


 少しかわいそうにも思えて、並んで一緒に走っていると、

「平野。大丈夫か?」

 そう声をかけると、肩で息をしながらも、


「大丈夫です」

 とだけ答えて、彼女は黙々と走っていた。


(前に比べたら、少しはよくなったかな)

 最初の頃は、体力がなくて、すぐに根を上げていた平野が、少しでも成長してくれたような気がして、個人的には嬉しかった。


 なので、そのまま彼女と並走しながら走る。


 国道140号は、一種のツーリングスポットのような走りやすいコースで、休日にはよく都心から、バイクに乗ったライダーたちが走りに来るところだが、平日のその日は思った以上に、バイクも車も見かけなかった。


 そんな中、道の両脇に生い茂るようにそびえる大きな木々を見ながら、走る。

 田舎ゆえに、こうした自然に囲まれて走れるというのは、それはそれで我が校のメリットかもしれない。


 都会の高校では、こういうのは味わえないだろう。

 そう思っていると。


「綺麗ですよね、この辺りの景色って」

 平野が話しかけてきた。


 あまり彼女とは長い話をしたことがなかったから、これはこれで貴重な体験になると思い、話を合わせる。

「そうだな。都内じゃ、こんなの見れないしな」


「前から聞きたかったんですけど、先生はどうしてこの学校の教師になったんですか?」

 不意に尋ねてくる平野。走りながらも会話ができるという余裕があるのだろうか。ビリになったら、バツゲームが待っている割には、焦っているようには見えなかった。


「どうして、か。まあ、教育実習に行った母校が、つまらなかったってのもあるし、田舎の学校に赴任するってのも面白いかと思ってな」


「へえ。先生って、変わってますね」

 そう言って、はにかむように笑う平野の笑顔が、可愛らしく見えた。少し幼い、中学生にも見える彼女。

 中学時代は、モテて、付き合っていた男子がいたというのもわかる気がした。


「でも、森先生が監督で良かったです。私、他の人が監督ならとっくに辞めてましたよ、野球部」

 そう言っては、上目遣いで、すがるような目つきを見せてくる。

 彼女は、相変わらず「男たらし」な生徒だと思った。しかも、ほとんど天然でやっているように見えるから、笘篠より「たらし」の才能がある。


「渡辺先生は嫌いか?」

 はっきりと聞いてみると、


「嫌いです」

 彼女もまた、鋭い目つきで、俺を睨むように見て声に出した。


「どういうところが?」

「上から目線なところがです。何なんですか、あの人。いきなり来て、偉そうに」

 ぷんぷんと怒っているが、それすらも可愛い小動物のように見えてしまうのが、平野のマスコット的な可愛らしさなのだろう、と少し彼女と同世代の男子の気持ちがわかるような気がした。


 要は「守ってあげたくなる」庇護欲をかき立てるところが、彼女にはあった。


「まあ、そう言うな。俺がノックを出来ない以上、彼女にやってもらうしかない」

 そう説得しようと試みるが、


「絶対、森先生の方がいいです。優しいですから」

 臆面もなくそう言ってくる彼女を可愛いと思うが、これ以上踏み込むと、教師と生徒を越えてしまいそうで、逆に怖い。

 天然たらしの才能を持つ平野は、男心をくすぐるのが上手すぎるのだ。


 しばらくはちんたら走っていた彼女だったが。

 ちょうど二瀬ダムの橋を渡り、県道278号の山道に入ったあたりから、急にペースを上げた。


 ぐんぐん坂道を上がっていく彼女に必死についていく俺。意外なほど彼女は足が速かった。一体、いつの間に速くなったのか、それともこれまで力を温存していたのか。


 そして、やがて前方に小さな影が見えた。潮崎だった。

 彼女もまた、平野に次ぐくらいに体力がない部類の生徒だ。


 俺が継投させているのも、一つには彼女の体力の無さが心配だからというのもある。


 そんな潮崎の背を見ていた平野が、

「ねえ、先生。このマラソンで私がビリじゃなかったら、次の試合、打順を上げて下さいね!」

 きらめく太陽のような、明るい笑顔で言い放った後、一気に速度を上げていた。


「あ、麻里奈ちゃん!」

 脇をすり抜けて行く平野に驚き、声を上げる潮崎。


「潮崎。遅いぞ。このままだとお前がビリだ」

 俺もまた、彼女を追い抜いて坂道を駆け上がった。


「待って下さいー」

 息も絶え絶えとなっている潮崎を置いて、走り続ける。


 30キロマラソンは、いよいよ急坂になり、つづら折りの坂道がどこまでも続く。


 そんな中、あの体力のない、小さな平野が頑張っていた。

 続いて、伊東や笘篠まで抜いていた。


 終わってみると、彼女は後ろから4番目。ビリから逃れるどころか、健闘していた。

 一方、ビリになった潮崎。


 彼女がようやく三峯神社入口にある、広い駐車場に着くと。

 腕組みをした、渡辺先生が仁王立ちして、彼女を睨みつけていた。

「潮崎。てめえ、おせえんだよ。バツとして、校庭30周に、グラウンド整備だ。わかったな?」


「えーっ! 20周って言ってたじゃないですか?」

「うるせえ! ガキが生意気言ってんじゃねえ!」

 相変わらず、渡辺先生は怖かった。


 というより、この人が何故、この女子硬式野球部の「監督」に選ばれなかったか、わかった気がした。

 女子生徒に悪影響を与えそうだ。というより、監督としてこれではさすがにマズいのではないだろうか。


 だからこそ、秋山校長は彼女を「顧問」にしたのかもしれない。

 ともかく、こうして「地獄のマラソン」が終わり、季節は冬に入る。

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