第42話 運命の一戦(後編)

 7回裏を終わった時点で、1-3とリードを許していた我がチーム。


 負けたら確実に来春の「廃校」と「合併」が決まる。追い込まれていた。だが、実は彼女たちは、ようやく「慣れて」きていた。


 速球にである。

 打順的には、三巡していた。

 そして、この回の先頭バッターは、先程、強肩で場内を沸かせたあの羽生田だった。


「んじゃ、行ってくるよー」

 いつもと変わらない明るい笑顔で、彼女は出て行った。


 しかも、3球目のスライダーを打っていた。球速的には130キロを上回る球だった。

 ライト前に抜けるヒット。やはり野球経験者の強みは大きい。


 そして。

 2球目。桑田の足幅が開いていた。


 走っていた。笘篠には劣るものの、羽生田は俊足でもある。考えてみれば、いつも1番に吉竹を持ってきていたから、彼女の盗塁はあまり見たことがなかったが。


 実際には「速かった」。

「セーフ!」

 吉竹のように、天性の足の速さはないものの、野球選手独特の、塁間を走る速さに関しては十分速いものだった。


 ノーアウト二塁。

 7番の伊東。


 彼女は元々、選球眼に優れている。

 それは相手の球が「速い」状態でも変わらないようだった。四球を選らび、ノーアウト一・二塁で8番の潮崎を迎える。


 だが、いくら目が慣れてきたとはいえ、彼女はやはり「打」に関しては、期待ができないのだった。

 あっという間に2ストライクまで追い込まれていた。


 これはダメかな、と思った時だった。


 走っていた。羽生田がである。

 まさかの三盗で、もちろん俺は指示していない。警戒はされていなかったようだが、さすがにこれはマズいだろう、そう思った。


 三塁に送られた送球と、滑り込む羽生田の足が、ほぼ同じくらいに見えたが。

「セーフ!」

 なんと、盗塁は成功していた。


 あらかじめ、彼女も相手ピッチャーの癖を盗んでいるようだった。つまり、桑田の足幅が「開いていた」。


「羽生田先輩! ナイスです!」

 いつもはあまり声を張り上げない、吉竹が大袈裟なくらい喜んでいた。同じ俊足を持つ者として、通じ合うものがあるのだろうか。


 結局、追い込まれた潮崎は三振。

 9番の平野を迎える。


(仕方がない)

 正直、あまり気乗りはしなかったのだが、俺はスクイズのサインを送る。


 初球。

 思いきり外された。大きく外角のボールに逃げる球。

 平野のスクイズは完全に失敗だった。


 三塁に送球する相手キャッチャー。

 だが、三塁ランナーの羽生田は、恐るべき勘というか、瞬発力というか、塁に戻ってギリギリでセーフになっていた。


(危なかった)

 胸を撫で下ろすが、すでに平野のスクイズは読まれている。しかも彼女は非力で、とても140キロを超える速球には対応できないだろう。スクイズはさせないようにする。


 ところが、以前に俺自身が彼女に言ったことが、有利に働くことになる。

「ボール、フォア!」

 明らかにピッチャーの桑田が首を傾げていた。


 そう、身長が150センチほどしかない、一番小さな平野。その低身長が有利に働き、普通ならストライクになるようなボールを、審判がボールに取っていた。


 思わぬ形で1アウト満塁。


 1番の吉竹が左打席に入る。

 スクイズが読まれている以上、ここは打たせる。


 だが、目が慣れてきているとはいえ、桑田というピッチャーはやはり手強かった。

 カーブを引っかけて、打球はセカンドへのゴロ。


 三塁ランナーの羽生田が猛烈な勢いでホームに突っ込んでいた。

 それを見て、間に合わないと思ったのか、セカンドがショートにボールを投げて、ショートがベースを踏み、一塁に送る。ダブルプレー狙いだ。


 だが、吉竹は俊足だ。ギリギリで一塁はセーフになっていた。


 その間に三塁ランナーの羽生田が生還。かろうじて2-3となる。


 結局、この回の攻撃は2番の辻が倒れて終わったが、追いすがることには成功。


 8回裏。

 潮崎は、のらりくらりとかわしながら、相手バッターを料理していき、三人で抑えていた。

 クリーンナップにこそ打たれていたが、彼女の遅い球が、やはりタイミングを取りづらいのか、まだまだ抑えていた。


 9回表。ここで負ければ、試合が終わって、「合併」が決定する。

 打順は3番の笘篠から。


 追い込まれていたが、

「天ちゃん!」

 という例の応援団の他にも、

「笘篠さん!」

 という野太い声が聞こえた。


 見ると、スタンドで大きな声で声援を送っていたのは、男子硬式野球部の2年生、あの広橋という選手だった。

 確か「笘篠が好き」と言っていた奴だ。


 なんだかんだで、絶大な人気を誇る笘篠。その声援は、男子の秩父第一の応援をはるかに上回っていた。


 その笘篠は、本来の実力を発揮するように、意外な展開を広げていた。

「くそっ!」

 マウンドの桑田が叫んでいた。


 9回になり、球数も多くなり、さすがに球威が落ちてきた桑田。常時135キロは出ていたボールが120キロ台まで落ちていた。


 それをひたすらカットして、ファールで逃げていた笘篠。

 気がつけばすでに15球以上も投げさせられていた。


(あれは一種の才能かもしれない)

 カットして、ファールで逃げる。これは実は野球においては、とても難しくて、簡単には出来ない「技術」なのだ。


 それを苦もなくやっているようにも見える笘篠。やはり彼女は「天才肌のAB型」なのかもしれない。

 というより、恐らく物事の「本質」を掴むのが、抜群に上手いのだろう、と俺は予測していた。


 人間にはたまにそういう奴がいる。何回聞いてもわからない奴がいるかと思えば、一度聞いただけで、常人の数倍は理解してしまう奴が。


 同時に、卓球経験者で、動体視力がいいという、本人の弁は嘘ではないのだろう。


 16球目。さすがに疲労していた桑田のストレートが、真ん中高めに甘く入った。


―ギン!―


 その金属バットから、快音が響いていた。


 芯を捉えた当たりが、右中間を襲っていた。

 一塁を蹴った笘篠が、悠々と二塁に到達。ツーベースヒットでノーアウト二塁。

 やはり、彼女は「恐ろしい」女だと思うのだった。


 4番の清原を迎える。

 マウンドに集まる秩父第一ナイン。さすがにこの展開は予想していなかったのだろう。


 疲労が蓄積して、球数が増えていた桑田をここで諦め、2番手のピッチャーを上げた。

 桑田よりは遅いが、それでも135キロくらいは出る、オーバースローのピッチャーで、ツーシームとフォークが持ち味のようだった。


 4番の清原が相手で、一塁が空いている。普通ならここは敬遠をするところだろう。

 だが、4番とはいえ、女子ということで、彼らは侮っていたのだろうか。勝負してくれた。


 俺としては、その方がありがたい。


 そして、意外なことが起こる。

 清原のインコースに投げた球が、彼女の体に当たりそうになり、彼女が大きくのけぞっていた。

 しかも、それが2球続けてである。


「……」

 清原は、さすがに頭に来たらしい。目が座っていた。

 その眼光は鋭く、相手ピッチャーを睨みつけていた。


 同時に、相手のピッチャーは、委縮したのか、それともさすがにインコースはマズいと思ったのか、外角にフォークを投げてきた。


 だが、このフォークボールが落ちるタイミングを見計らっていたかのように、清原のバットが、すくい上げるように、下から上にアッパースイングで振られていた。


―ガン!―


 まるで、ボールを叩きつけたかのように鈍い音が鳴ったと思ったら、打球はレフト方向に大きくアーチを描いていた。


(綺麗な放物線だ)

 一瞬見とれてしまうほど、綺麗なアーチが、空を舞っていた。


 レフトが下がる。打球としては、少しギリギリな感じに思えた。つまり、外野フライか、ホームランか微妙に見える。


 だが、その日は風があったのが幸いした。それも内野から外野に向かって強い風が吹いていた。


 その風に乗るように、打球は減速しながらも、スタンドに向かい、そして。フェンスのギリギリで入っていた。


「よっしゃ、ナイスや!」

 スタンドから、中村の声が聞こえた。


「逆転よ!」

「清原!」

 同時に、三塁側からは、地鳴りのような歓声と、生徒たちのはしゃぐ声、そして吹奏楽部の派手なブラスバンド演奏が聞こえてきた。


 全校生徒が200人もいないはずなのに、それがとても大きく、力強い物に感じる。


 ゆっくりとダイヤモンドを回った清原が、ホームベース上で、笘篠とハイタッチ。


 2ランホームランで4-3。土壇場で逆転に成功する。


 9回裏。今度は秩父第一高校が追い込まれる。


 疲れも見えてきて、さらにその遅い球にタイミングを合わせてきた相手の攻撃により、先頭バッターの3番、篠塚がツーベースヒットで出塁。


 4番の原は敬遠し、ノーアウト一・二塁となる。

 しかも相手は、この土壇場で、意外なことをやって来た。


「ダブルスチール!」

 思わず叫んでいた。


 二塁ランナー、3番の篠塚と、一塁ランナー、4番の原が同時に盗塁。

 伊東が三塁に送るも、セーフ。


 一気にノーアウト二・三塁。

 逆転サヨナラ負けすらありえる場面になっていた。


(仕方がない)

 潮崎は、ここに来て球数を投げさせられていたし、相手は油断しているから、もしかしたら、羽生田の情報はあまり持っていないのかもしれない。


 そう考えて、俺は潮崎を替える。

 ピッチャーはセンターに入っていた羽生田。ライトの笘篠はセンターへ、ピッチャーの潮崎はライトへ。


 この大ピンチの場面で、5番を迎える。

 しかし、羽生田の球は「速かった」。

 普段以上に速いように感じるし、いつも以上にバックスピンがかかっているようにも感じる。

 あるいは、彼女もこの一戦に「燃えて」いるのかもしれないが。


 5番は、羽生田のスプリットを引っかけた。打球はショートへ。バウンドしてレフト方向へ抜けるような難しい当たりだった。それでも石毛が体勢を崩しながらも掴んでいた。


 だが、本塁は間に合わないと判断し、三塁へ送球。

 アウトを1つ取るが、三塁ランナーが還る。


 4-4の同点。土壇場で試合は振り出しに戻る。


 それでも、羽生田の調子が良かったのか。続く6番をセカンドゴロに抑え、続く7番を三振にして、チェンジ。


 ついに試合は「延長戦」に入ることになる。

 死闘は続く。

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