第41話 運命の一戦(中編)
ところが、あれだけ対策をしたにも関わらず、彼女たちは「打てなかった」。
「ストライク! バッターアウト!」
相手投手の桑田の球速は、常時135キロ以上、最速で145キロを計測していた。
かろうじてバットに当ててファールで逃げた女子もいたが、差し込まれており、ほとんどがかすりもせずに三振の山を築く。
気がつけば、3回表まで全員が三振という、9者連続三振を喫して、一巡目を終えていた。完璧に抑えられていたのだ。
「やっぱ、余裕じゃねえか」
ベンチに戻る、相手チームの主将の原がそう言っているのが、わずかに聞こえてきた。
女子たちは悔しがるが、俺は内心、
(あれだけのスピードがあれば、もっといい成績残せただろうに、何故だ)
彼ら秩父第一高校の男子硬式野球部が、この夏や秋でそれほど勝っていないのが不思議に思えた。
だが、対する我が校のエースも負けていなかった。
相手の速球とは対照的な「遅い」スローカーブで翻弄し、次いで早い球を見せる。さらに追い込んでからの緩急2種類のシンカー。
これに手こずった相手もまた、三振こそ少なかったが、3回裏までほぼ三者凡退。
回は4回表に入る。
一巡して、先頭バッターは、俊足の1番、吉竹。
そして、その吉竹が珍しく、次を打つ辻に声をかけていた。
「辻先輩。この回、わたくしは必ず塁に出てみせます。ですので、後は頼みましたよ」
それだけを告げて、悠々と打席に向かっていった。
(何かやるつもりだな)
予想通り、彼女はヒッティングの構えから、一転してバットを水平に構えた。
セーフティーバントだ。
振って当たらなければ、振らなければいい、という作戦だろう。
しかも、そのバントが上手い具合に成功した。相手は余程油断していたのか、あるいは舐めていたのか、警戒していなかったらしく、三塁線に転がした上手いバントが成功し、ノーアウト一塁。
続く2番の辻の初球。
相手ピッチャーの桑田の、足幅が少しだけ狭くなった。
渡辺先生が調べてきた情報によると、足幅が狭くなると、「牽制あり」。逆に広くなると「牽制なし」だったはずだ。
吉竹もそれを頭に入れていたのか、牽制が来た瞬間、素早く帰塁していた。
改めて初球。桑田の足幅が広くなった。それはわずかな幅だったが、その隙を吉竹は見逃さなかった。
走った。
「いけー、吉竹ちゃん!」
いつも明るいムードメーカーの羽生田が叫ぶ。
「セーフ!」
余裕の盗塁成功だった。元々、彼女は男子に劣らないくらい足が速いし、俺は好きなタイミングで盗塁していいと、指示している。
まさかのノーアウト二塁。得点圏にランナーが進み、いきなりの先制点のピンチに、相手のバッテリーが動揺しているようにも見える。
そして、事前に吉竹と連携していたのだろうか。俺はサインをしてはいなかったが。
辻もまた、仕掛けた。
ヒッティングの構えから、速い速球狙いで、バント。
しかも確実に一塁側に転がしていた。この辺り、野球経験者で、守備と小技が上手い辻らしいプレーだ。
1アウト三塁。
思わぬ形で先制点のチャンスが到来する。
3番の笘篠。普通なら打たせる場面だろう。
ここでブロックサインを送ると、笘篠は微妙に表情を硬くしながらも、頷いた。内心、この作戦に不服なのだろう。
「天ちゃん!」
例の笘篠応援団が声援を送る中、初球から仕掛けた。
スクイズだ。
クリーンナップがスクイズをするとは思っていなかったのだろう。相手バッテリーの裏をかいた形になった。
打球は、三塁線のライン際に転がる。サードが取るも、俊足の吉竹は、猛烈なスピードで本塁に迫っていた。
一塁に送ってアウト。
まさかの先制点が転がり込む。
「いいぞー、武州中川!」
「がんばれー!」
三塁側から、多くの生徒が声援を送ってくれたのも、こちらに利することになったと思った。
続く4番の清原は、相変わらずの大振りで三振に倒れたものの、この回、先制点を上げる。
ところが、続く4回裏。
相手は2番からの打順だった。2番は、シンカーを引っかけてショートゴロ。
3番の篠塚。
渡辺先生情報によると、彼は「落ちる球に弱い」らしい。その情報を元に、伊東が潮崎にフォークを投げさせたのだが。
残念ながら、彼女のフォークは変化量が少ない。それを痛打され、レフト前に運ばれて、ノーアウト一塁で4番の原を迎える。
敬遠するか、とも一瞬思ったが、俺は彼女たちを信じて、ここは勝負させてみることにした。
初球の入りは、右バッターの原の外角に逃げるようなスローカーブ。見送ってボール。
2球目は、逆にインコースが苦手だという、渡辺先生情報に従い、内角へのツーシームだったが。
―キン!―
これを猛烈なスイングで当てられて、レフト線へのファール。
嫌な予感がした。もしかしたら、あの渡辺先生情報は間違いかもしれない。
3球目は、対角線上に外角のボールからストライクゾーンに入る低速シンカー。わずかに外れてボール。
4球目は、同じく外角気味に落ちる、フォークボール。わずかに当ててファール。
5球目だった。
原が苦手とされる、インコースに食い込む形で入る高速シンカー。
だが。
―ガン!―
叩きつけるような、強烈な快音を残し、引っ張った打球がレフトの頭上を襲う。
レフトの平野が追いかけるも、頭の上をボールが通過していき、そしてスタンドに吸い込まれた。速いライナー性のホームランだった。
2-1。一気に逆転を許す。
相手校の篠塚と原がホームベース上でハイタッチするのを見つめながら、俺は、
(篠塚情報も、原情報も嘘を掴まされたか)
さすがに疑った。
ピッチャーの桑田の情報は合っていたが、篠塚も原も情報通りの苦手なコースに投げたのに、簡単に打たれていた。
(これは、逆かも)
そう思うのだった。
後続は打ち取ったものの、いきなり逆転されてしまう我がチーム。
戻ってきた伊東に声をかけた。
「伊東。渡辺先生の情報は、多分嘘を掴まされた。次は逆を突いてみろ」
「わかりました」
伊東も、恐らく同じことを思ったのだろう。頷いた。
5回は、両チーム共に、相手エースを捉えきれずに、共に三者凡退。
さらに6回表は、下位打線だったこともあり、こちらはまたも三者凡退。
6回裏。
秩父第一は1番からの好打順だった。
1、2番は潮崎の緩いスローカーブと速く感じるストレート、シンカーで三振と凡打に抑えていたが。
再び迎えた3番の篠塚。
さっきは、渡辺先生の情報通り、落ちる球で攻めて打たれたから、今度は逆にストレートを狙うように指示したが。
―ガキン!―
初球からアウトコース低めにツーシームを投げた潮崎の球が、あっさり打たれていた。
打球は、ライト方向へ伸びていく。速いライナー性の当たりだった。
そして、無情にもボールはそのままスタンドへ。
ホームランだった。
「ナイバッチ、篠塚!」
「やっぱ余裕だぜ!」
相手チームが、すでに勝ったかのように盛り上がっていた。
なんだかんだで、この篠塚の実力を見誤っていた。
3-1。試合が中盤を迎える中、男子相手には厳しい得点差だった。
続く7回は、こちらも2番からの好打順。だが、そう何度もバント作戦は通じないし、まともにやっていても、やはりなかなか打てないようで、かろうじて目のいい笘篠が四球で出塁しただけだった。
だが、ここで面白いことが起こる。
一塁にランナーとして出た笘篠が、大袈裟なくらい大きなリードを取っていた。鈍足の彼女にしては、妙だと思っていたら、そこから一塁手の男子野球部員に何かを話しかけていた。
終いには、塁審から注意を受けていたが、俺はその一塁手の注意力が心なしか少し散漫になった気がしていた。
瞬間、牽制球が一塁に飛んできた。桑田は牽制も上手い。慌てて一塁に戻る笘篠。
ところが、注意をそらしていたのか、一塁手がボールを取れずに、後逸。ファールゾーンにボールが転がる。
それを見た隙に、笘篠が一気に二塁まで走る。
結局、残念ながら、これが得点には繋がらなく、後続は凡退したが。
戻ってきた笘篠に、
「一塁手と何を話してたんだ?」
と聞くと、彼女はいたずらをする子供のような笑顔で、
「ああ。試合が終わったら、私とデートしない? って言ったのよ」
と、とんでもないことを口走っていたので、俺は仰天していたが。
「マジでか? それで注意がそれたのか」
「そういうこと。男って、バカで単純よね。ま、私が可愛いのもあるけど。誰があんなブサメンとデートするかっての」
あっけらかんとしていた。こいつは相変わらず性格が悪いが。
それを置いておいても確かに、傍から見れば笘篠は可愛い。そんな可愛い女子から「デートしない?」と言われれば、思春期真っ盛りの男子なら誰でも嬉しくなるし、ましてや野球漬けの彼ら野球部員には、たまらない誘惑だろう。
渡辺先生以外にも、ここに「ハニートラップ」をしかける奴がいたとは、恐るべしは笘篠だった。
7回裏。
相手は、潮崎の遅い球に慣れてきたのか。シンカーを捨てて、ツーシームが狙われた。
先頭の5番にツーベースヒットを許し、ノーアウト二塁。
6番バッターは、ウチの笘篠のように、「当てるのが上手い」バッターだった。
シンカーで逃げた後の、3球目。フォークボールだった。これが潮崎には珍しい「失投」になった。
落ち切らずにボールが真ん中付近に入った。
(ヤバい)
と思った時には、打球はセンター方向に伸びていた。ライナー性の鋭い打球が空を舞う。羽生田が前進する。
だが、これはフェアグラウンドに落ちそうだ。
それを見ていた相手ランナーは俊足だった。
その俊足の5番がサードベースを回り、一気に本塁に駆け込んでくる。
だが、俺はこの時、信じられないような光景を見る。
羽生田だ。
彼女は、フェアになった球を自分の身体の前で確実に捕球した後、思いきり肩を回した。
全身をバネのようにしならせて、肩というよりも全身を使って、遠投するような投げ方だったが。
ものすごいスピードの返球が、弾丸ライナーでホームに飛び込んできた。
しかも、ノーバウンドでキャッチャーの伊東のグローブに吸い込まれていた。
伊東がブロックし、同時に相手の5番が滑り込む。
土煙が上がって、クロスプレーになる。
そして。
「アウト!」
「おおっ!」
スタンドが、特に三塁側から歓声が上がっていた。
改めて、久しぶりに見た気がするが、羽生田の強肩は素晴らしいものがあった。
まるで「レーザービーム」のように、一直線に外野からバックホームが出来る。それは、傍から見ていても「惚れ惚れする」ような強肩だった。
初心者チームが多い、このチームでは強力な武器になる。
戻ってきた羽生田に、
「助かったよ、羽生田。相変わらずお前のバックホームはカッコいいな」
と呟くと、彼女は、
「えへへー。照れちゃうなあ、カントク」
珍しく、恥ずかしそうに目を逸らしていた。
とにかく彼女のお陰で助かった。
流れが傾きかけていたところで、あの好守は、非常に助かる。
だが、残る我が校の攻撃は2回しかない。
7回が終わった時点で、2点差。しかも今までほとんどヒットを打っていない。
絶望的な状況だった。
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