第27話 投手戦と打撃戦(後編)

 8回裏に一気に満塁ホームランで逆転された我がチーム。

 残されたイニングはわずかに1回。


 この状況で強豪校相手に3点差。

 これはさすがに後がないし、負ける予感がしていた。


 ところが、野球の試合は最後までわからないものであった。


 9回表。後がない我がチームは7番の伊東からだった。

 この試合、当たりがなかった伊東。


 彼女は、本来、ボールをよく見て、打ち気にはやらないところがある。相手の変わったピッチャーも羽生田とどこか似ている部分があり、速球だが、コントロールがイマイチの荒れ球気味の部分があった。


 きっちり見極めて、四球で出塁。


 8番の平野。通常ならバントで送らせるが3点差のこの場面。俺は強攻させると同時に、イチかバチかの作戦に出る。


 初球からヒットエンドランを狙った。

 伊東は決して俊足ではない。それを計算した上で、裏を突いた。


 相手バッテリーは読んでいなかったのか、これが成功して一・二塁間を抜けて、ノーアウト一・二塁。


 打席には9番の潮崎。

 彼女のバッティングにも期待できない。

 最悪、ゲッツーになることも想定される。


 もう運を天に任せるしかなかった。


 だが、意外なことに、マウンドを降ろされたことで、彼女自身は、「燃えて」いたらしい。


 相手ピッチャーの制球が乱れ、高めに浮いたストレートを見逃さなかった。打球は、三遊間を抜けてヒットになり、こちらも先程の相手と同じくノーアウト満塁となった。


 最後のチャンスだ。

 1番の吉竹に回る。


 ここまで来れば、小細工をする必要はないだろう。彼女に託した。


 相手バッテリーと内野陣が、先程の我がチームと同じようにマウンドに集まった後、プレーが再開される。


 吉竹もまた、これが最後になることを、恐れていたのであろう。

 ボールをよく見ていた。


 初球は外角高めの緩いカーブから入り、見送ってボール。

 2球目は外角からストライクに入る、バックドアのスライダーが決まり見逃してストライク。

 3球目は速いストレートが胸元にギリギリ決まって、見逃してストライク。

 4球目は1球外してボール。

 5球目は外角にわずかにそれたカーブがボールになる。


 フルカウント。

 追い込まれた吉竹に、焦りの色は見えなかった。

 投手からすれば、満塁でフルカウントだと、どうしても心情的にストライクを取りたくなるものだ。


 速球がやや高めに入ってくる。

 速度はあるが、多少甘いコースだった。


 鋭い金属音が響いて、打球は大きくライト線に上がった。

 一瞬、ホームランかと思うほど、伸びのある大きな当たりがライトを襲う。ライトがバックホームに備えて前進守備をしていたし、吉竹は長打力がある方ではない。


 頭を越えた。打球はフェンスまで伸びて、フェンスに直接当たって転がっていた。長打コースだ。


 三塁ランナーの伊東が悠々と還ってくる。さらに二塁ランナーの平野も還ってくる。そして、三塁のコーチャーズ・ボックスに入っていた羽生田が、腕を回していた。


 相手のライトがまだボールの処理に手間取っている。

 一塁ランナーの、決して俊足ではない潮崎まで三塁を蹴っていた。


 慌てた相手のライトの球が、それでも速球で還ってくるも、ピッチャーが中継して、本塁へ。


 タイミング的には、微妙に思えたが。


「セーフ!」

 なんと、走者一掃のタイムリー三塁打だった。


 一気に3点が入り、5-5の同点。土壇場で追いついていた。

「吉竹ちゃん、ナイス!」

 コーチャーズ・ボックスから羽生田の弾んだ声が飛んでおり、吉竹が満面の笑みを浮かべていた。


「同点だ!」

「行けるぞ! 逆転しろ!」

 三塁ベンチから、ナインが次々に声を出す。


 さすがにここで相手のピッチャーが交代。

 3番手は、またも軟投派の右ピッチャーだった。

 だが、どうやら1年生らしく、まだ小さな体つきで、緊張した面持ちでマウンドに上がった。


 投球練習を見る限り、スライダーとカーブを使う、オーソドックスなタイプに見える。


 一気に三連打で、流れに乗っていた我が校。

 次のバッターは2番の笘篠。


「天ちゃん!」

「決めてやれ!」

 例の笘篠応援団が歓声を上げている。


 我が校の少ない吹奏楽部がチャンステーマで盛り上げる。それでも相手の強豪校に比べたら、静かなものだったが。


 笘篠は、初球から狙っていたらしい。


 いきなりスライダーを打ち返した。

 打球は当たりこそ良くなかったが、一・二塁間をすり抜けて行った。


 三塁ランナーの吉竹が還ってきて、6-5と逆転に成功。


「よっしゃ、逆転だ!」

 清原が人一倍大きな声を上げており、ベンチや三塁側スタンドがお祭り騒ぎになっていた。


 流れがこちらに来た。

 さらに畳みかけたいところだった。


 3番の辻。

 羽生田の情報、天気予報によれば、今日の辻は「晴れ」だったが。今日は四球こそあったが、まともなヒットがなかった。


 どうしたものか、と思っていたら。

 3球目に来た緩いカーブを、見事な流し打ちで左中間を破っていた。いい時の辻は、広角に打ち分ける能力を発揮するらしい。


 一気にノーアウトで一・三塁。四連打になる。


 4番の清原はさすがに警戒されていたのか、敬遠で歩かされる。


 5番の石毛。前の打席でホームランを放っているが、ここは警戒されたのか、コーナーを突く投球に翻弄されて、残念ながら三振。


 1アウト満塁となる。


 6番の羽生田。

 俊足、強肩が売りだが、ここのところいい当たりがあまりなかった。


 押せ押せムードの中、彼女は初球から狙っていった。

 緩いカーブを打ち返してセンター返し。


 三塁ランナーの辻が還ってきて、7-5となる。

 依然として、押せ押せムードではあったが、さすがに連打はここまでだった。


 7番の伊東は、チャンスで珍しく打ち気にはやっていたのか、スライダーを引っかけて、ショートゴロ。6・4・3のダブルプレーで、チェンジとなる。


 それでも強豪相手に7点も取った打線は見事だった。


 9回裏。羽生田が最後のマウンドに立つ。


 対する花崎実業は3番の今井からの好打順だった。

 投手としても非凡な才能を発揮するが、打者としても優れていた彼女。彼女もやはりある意味で、「エース」だった。


 羽生田のツーシーム気味のストレートを、センター返しで打ち返して、出塁。


 ここで打席には4番の藤井。

 さすがに俺は敬遠策を取る。

 

 ノーアウト一・二塁。

 俺は、仕方がないからタイムを取り、ピッチャ―交代を宣言する。


 ピッチャーはライトについていた先発の潮崎だ。


 野球規則的には、同一イニングでなければ、この交代は有効なはずだ。

 渋々ながらも、打たれた羽生田はセンターに行き、センターの笘篠がライトに入る。


 代わってマウンドに上がった潮崎の表情は、楽しそうに見えた。先発を交代させられ、どこか不服そうにしていた。負担を考えての交代だったが、それ以上に彼女は試合を「楽しんで」いるように見えた。


 ピンチの場面で、打席には5番バッター。

 一気にチャンスが転がり込んできたため、一塁側スタンドが騒がしくなっている。


 試合が最後までどちらに転がるか、わからない状況の中、潮崎と伊東のバッテリーは強気に投げていた。


 相手のインコースを突くツーシームや、決め球に緩急自在の2種類のシンカーを使う。


 それでも、強豪の意地なのか、5番には追い込んでから低速シンカーを痛打され、三遊間を破られていた。


 ノーアウト満塁。

 一打出れば逆転サヨナラ負けもあり得る。


 6番バッターは、さすがに緊張した面持ちで左打席に入ってきた。


「いけー! 花崎実業!」

「意地を見せろ!」


 古豪の意地か、一塁側スタンドから大きな声が上がり、ブラスバンド演奏が派手に鳴り響いて、ムードを盛り上げている。


 普通なら、委縮してしまってもおかしくない場面だが、潮崎は笑っていた。


 1球目は、フロントドア気味のシンカーが内角から入り、強気に胸元でストライクを取る。

 2球目は、緩いカーブを左打者の外角に投げるも、見極められてボール。

 3球目。


 緩急をつけた速いツーシームが内側に入り、相手は肘を畳みながら窮屈なバッティングになった。


「ショート!」

 潮崎が叫ぶ中、ショートの石毛が捕球し、二塁・一塁と流れるようにボールが渡り、ダブルプレーが成功。


 その間に三塁ランナーの今井が還ってきて、7-6。なおも、2アウト。

 だが、ランナーなしの状況になり、潮崎はホッと一安心しているように見えた。


 相手は、7番バッター。下位打線と言っていいし、今日は当たりがなかった。

 だが、ここでも古豪の意地が炸裂する。


 粘っていた。

 内外角を投げ分け、内と外のボール球で勝負していた潮崎・伊東のバッテリー。

 フルカウントから3球続けてファールで粘り、9球目。


 渾身のストレートだった。変化球主体の彼女にしては、珍しく真っ向勝負に出ていた。

 直前に見せた緩いカーブが利いたのだろうか。


 バットはわずかにボールの下を叩き、セカンドゴロ。

 セカンドの辻が捕球して一塁に送球。


 相手のバッターは、ヘッドスライディングを敢行していた。

「アウト!」


 ついに試合が終わった。

 死闘とも言える戦いになったが、7-6の打撃戦を制したのだった。


 監督としては、ハラハラ、ドキドキする、何とも「疲れる」試合だった。俺は一気に疲労が襲ってきて、ベンチの背もたれに身体を預けた。


「あの……。お、お疲れ様でした、監督」

 珍しく、あの男性恐怖症の鹿取が、近くに来ていて、恐る恐る声をかけてくれていた。


 だが、その距離は未だに2メートル以上は離れていた。


 それでも、あの彼女が、ほんの少しでも俺に「心を開いて」くれた、と思うと感慨深いものがあった。


「ああ、ありがとう」

 俺は、そう呟きながらも、胸を撫で下ろしていた。

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