第20話 トリッキースター(後編)

 1回裏。

 先頭の辻。

 相手ピッチャーは、ストレートの球速が速く、スライダーと縦のカーブを使ってくるタイプだったが、ほとんど無名に近かった。


 その初球のスライダーをいきなり捉えて、ライト前ヒットで出塁。辻の調子は、その日は「悪くない」ようだった。


 2番の吉竹を迎える。

 傍から見ていても、彼女の瞳が「怒っている」ように見えた。それほど集中しているのか、相手に妙な対抗心を持っているのかわからなかったが。


 彼女はセオリー通りのバントの構えを見せた。

 俺としてもバントのサインを送っていたのだが。


 彼女は、それを思いきり「無視」した。


 あっと驚くナインと、相手チームの選手たち。

 バスターだった。しかも、辻もあらかじめ連携していたのか、走っていた。先程、やられたバスターエンドランをそのままお返ししていた。


 吉竹は、レフト線に上手く流して、打球は三遊間を抜けて、ノーアウト一・二塁。


 バッターは3番の笘篠を迎える。

「天ちゃん!」


 まるでアイドルの私設応援団のようなファンたちが声援を送るが、実はそれ以外にも彼女は「人気」だった。

 ぶりっ子のような性格で、猫をかぶっているが、容姿だけ見ればオシャレで、細身で小顔で可愛く見えるからだ。

 容姿だけなら、女子野球部一の美少女でもあったから、人気があるのも頷けるものの、性格には難がありそうなのだが。


 まあ、監督の俺にしてみれば、試合で活躍してくれれば何でもいい。


「笘篠さん、がんばれ!」

 いつの間にか、フェンス際まで来ていた男子生徒の何人かの声が聞こえる。


 そして、笘篠天は、色々な意味で「計算高い」女でもあった。


「ボール」

 3ボール1ストライク。相手のピッチャーが動揺しているのか、ストライクよりボールが先行していた。


 それをよく見極めていた彼女。


 外角高めに、甘く入った速球を見逃さなかった。

 鋭い金属音と共に、打球は綺麗な流し打ちになり、右中間に伸びる。センターとライトの間を破っていた。


 二塁ランナーの辻が還ってきて、さらに俊足の一塁ランナーの吉竹まで三塁を蹴って、一気に返ってくる。


 外野から返球はあったが、タイミング的には彼女の足が勝っていた。さすがの俊足だった。


 2者が返って、あっという間に2-2の同点に追いついていた。

 笘篠のタイムリーツーベースヒットだった。


 笘篠応援団が、大声で叫んで声援を送り、彼女は塁上で、無邪気に手を振っていた。

(強い)


 改めて、彼女たちの底知れなさを、俺は思い知った。特にあの吉竹と笘篠は、高校まで野球をやったことがない初心者のはずだ。


 だが、その動きはすでに洗練されており、吉竹は抜群の運動神経を生かし、笘篠は努力と抜群の打撃センスで経験不足を補っていた。


 そして、4番の清原を迎える。


 得点圏では打率が極端に低い彼女。だが、この時はノーアウト二塁の場面だった。


 清原にも、何か思うところがあったのだろうか。

 いつもは大振りに振り回す彼女が、「考えて」いるように見えた。


 1球目は縦に割れるようなカーブが外角に入りボール。

 2球目はスライダーが内角高めに入りストライク。


 3球目。低めのストレートが来た。

 通常なら、このコースだと長打にはなりにくい、少し低めの球だった。


 だが、

「っしゃあ!」

 いつものように叫びながら、フルスイングした清原のバットの芯に打球が当たっていた。


 救い上げるように振ったバットが、恐ろしいほどの大きな金属音を残して、打球はレフト線の頭上をライナーで飛んでいた。

 ファールゾーンとフェアグラウンドの境目にあるライン上を飛ぶように、鋭いライナー性の当たりが飛んでいたが。


 切れるか、切れないか。正直微妙だと思っていたら、そのボールが吸い込まれるように、ポールに当たっていた。


 ホームランだった。2ランホームランで、4-2と勝ち越しに成功する。


「ナイバッチ!」

「さすが清原さん!」

 ナインの手荒い祝福を受ける中、マウンドの相手ピッチャーが表情すら変えていないのが、少し不気味に映った。


 後続は相次いで打ち取られたが。


 試合の流れがどちらに傾くか、わからないまま3回表。


 先頭の2番が倒れ、再び3番の高沢を迎える。

 その日の羽生田の球は、走っていて、悪くなかったが、その高速気味のスプリットを狙い打ちされ、レフト前のヒットで出塁。


 初球だった。

 予想通りというか、走った。


 キャッチャーの伊東が、慌てたように送球を送るが。

「セーフ!」

 あっという間に高沢が二塁を陥れていた。


 その俊足は、ウチの吉竹にも劣らない。というより、彼女より速いようにも見える。


 1アウト二塁。得点圏のピンチで4番を迎える。


 4番には先程打たれていることもあり、俺は無難に敬遠策を取り、1アウト一・二塁。


 バッターは5番。初回と同じようなケースになっていた。初回にはバントの構えからバスターを見せていた5番だったが。


「ストライク、バッターアウト!」

 低めの速球がズバっと決まり、この大会で初の三振を奪う羽生田。これで2アウト一・二塁。


 続く6番バッターの時に、またしても相手は「仕掛けて」きた。それは予想外の事象だった。


 1ボール1ストライクの後の3球目。

「何っ」

 思わず声を上げていたが、彼女は走っていた。同時に一塁走者も走っていた。

 ダブルスチールだ。


 二盗ならまだしも、高沢はまさかの三盗を敢行。

 伊東の顔に焦りが見られた。


 素早くサードにボールを送球する。タイミング的には微妙に思えたが。

「セーフ!」


 あっさり三盗を決められていた。ファーストを守る吉竹の表情が、怖いくらいに見えた。眉間に皺を寄せて、高沢を睨んでいた。


 7番バッター。

 潮崎よりも速いが、変化の少ないカーブを狙われた。


 高い金属音と共に打球は、大きな弧を描き、左中間へ飛んでいた。

(マズい)

 破られたら、確実に失点につながる。


 そんな中、今度は意外な人物が、意外な動きを見せてくれた。

 平野だった。


 元・マネージャーの初心者。最初は、ボールを怖がって落下点にさえ行けなかった彼女。数々のエラーをして失点にも結び付いていた彼女が走っていた。


 その小さな体を懸命に動かし、必死に打球を追う。

 センターの笘篠がカバーに入るも、間に合わない。


 と思っていたら。

 つんのめるようにして、グローブを手前に差し出す平野。そのミットにボールが収まっているようにも、落としているようにも見えた。


 だが。

「アウト!」

 バランスを崩しながらも、彼女の左手のグローブにボールがきっちり収まっていた。


「ナイス、平野さん!」

「麻里奈ちゃん、すごい!」

 チームの危機を救った彼女。ようやく「守備」において、少しは役に立つことができるのであった。


 俺は胸を撫で下ろし、試合の「流れ」を見定める。


 2回は三者凡退に抑えられていた彼女たち。


 3回裏。先頭バッターは2番、吉竹だった。

 やはり相手の高沢に、何か思うところがあったのか。その日の彼女は人一倍「燃えて」いた。


 ―キン!―


 甘く入ったスライダーを捕らえ、ライト前ヒットで出塁。そこからは彼女の真骨頂だった。


 2球目に、一気に盗塁。

 相手バッテリーは警戒していたようだが、相手チームのキャッチャーは、伊東と同じように、それほど肩が強くなかったため、あっさりと二塁を陥れる。


 3番、笘篠は四球を選び、一塁を埋めて4番の清原。先程ホームランを打たれたこともあり、相手チームは敬遠し、ノーアウト満塁で打席には5番、羽生田。


 初球は外角ボール気味の高めのストレートが外れて1ボール。

 2球目。今度は内角低めのスライダーがギリギリ入り、ストライク。


 その間、三塁ランナーの吉竹が一心にピッチャーを見ているように俺には思えた。


 もちろん、サインなどしていなかったが。


 信じられないことが起こった。

 緩いカーブが投じられた3球目。

 吉竹が走っていた。


 まさかのホームスチールだ。

 ナインの誰もが唖然とした。相手チームのナインもまた、信じられない物を見るようにホームに注目するが。


 吉竹が滑り込み、相手キャッチャーと交錯する。タイミング的には、アウトにも見えるくらい、微妙に見えた。というよりも、いくら隙を突いたとはいえ、無謀だった。


 固唾を飲んで見守る中、

「セーフ!」


「おお、吉竹さん、すごい!」

「ナイスラン、愛衣ちゃん!」


 ベンチは大盛り上がりになっていた。

 まさかのホームスチール成功で、5-2。


 だが、ベンチに戻ってきた吉竹に、俺は、

「無茶するな。タイミング的にはアウトだぞ。あと、やるなら相手が油断してる2アウトでやるのがセオリーだ」

 と、鋭く指摘したが、彼女は、


「そんなことありませんわ。わたくしは自信があったからやったのです」

 相変わらず強気な瞳で、俺を睨むように見てきた。


 思うに、対抗心を抱いていた、高沢が三盗を決めたから、それよりも目立つ上に、難しいホームスチールを敢行することを、彼女は心に決めていたのだろう。


 我がチームは、何というか個性的というか、気の強い連中が多い。これでは監督としての「威厳」がないような気がするのだが。


 結局、これがきっかけで試合の「流れ」はこちらに来た。

 5番の羽生田が倒れ、6番の石毛も三振するも、7番の伊東がヒットで出塁。何気に伊東は、やっと公式戦初ヒットだった。


 2アウトながらも満塁で8番潮崎。

「満塁であいつか」

 内心、心配しながら見つめていると。


「カントク。きっと大丈夫だよー。今日の潮崎ちゃんなら」

 側にいた羽生田に明るい声をかけられた。野球経験者の彼女が言うなら信じてみようと思うのだった。


 潮崎は、相手のスライダーに苦戦しており、カットしてファールで逃げていたが、6球目。


 外角高めのギリギリに来たストレートを捉えた。

 打球は一・二塁間を抜けていく。


 三塁ランナーが返って、6-2。潮崎にとって、初めての「安打」になり、同時に「打点」になった。


 一塁塁上で、彼女がいつも以上に、明るい表情を見せて、こちらを見つめていた。


 その回はこれで終了したが、野球において一度流れが傾いた試合というのは、なかなか取り戻すのが難しいものだ。


 4回裏は四球のみで四人で抑えられたものの、5回裏。


 相手は先発を変えて、二番手がマウンドに上がる。スリークォーターの速球投手だった。

 

 その回の先頭の5番、羽生田が、高めのストレートを捉えて、右中間を抜けるツーベースヒットで出塁。

 6番、石毛は四球を選び、ノーアウト一・二塁。


 7番の伊東。粘った末に6球目を打ったが、ショートの正面だった。普通なら完全にゲッツーコースだ。だが、運が良かったのか、それとも勢いが強かったのか、強襲ヒットになり、慌てて一塁に送球した相手ショートの球がセーフになり、ノーアウト満塁。


 そこからは、完全に主導権が変わった。

 すでに動揺しているようにも見える相手ピッチャーに、文字通り「畳みかけた」。


 ただ、8番、潮崎は残念ながら三振で1アウトを献上するも。


 続く9番、平野。


 本来、バッティングには期待すらできないはずの初心者で、恐らくチームで一番野球が下手で、非力な彼女。


 ボールをよく見ていた。


 焦りからか、若干制球が乱れてきていた相手ピッチャーのスライダーを捉えて、詰まりながらもしぶとく一・二塁間を破るヒットを放った。


 彼女にとっても、初打点で7-2。


 相手ピッチャーはやはり動揺していたのか、制球が定まっておらず、そこを攻め、1番の辻は押し出し四球で8-2となる。

 2番、吉竹は残念ながら、スライダーを引っかけてキャッチャーフライ。


 そして、2アウトながら満塁のチャンスで、右打席には、再び3番の笘篠を迎える。


「天ちゃん!」

 相変わらず、うるさいほどの応援団が声援を送るが、ベンチからも声が飛んでいた。


「笘篠さん!」

「行け、笘篠!」


 なんだかんだで、注目を浴びることが大好きな、目立ちたがり屋で、ぶりっ子で、しかし天才的な打撃センスを持つ彼女。


 いつも通り、ボールをよく見ていた。

 おまけに、思った以上に球数を投げさせられていた上に、連打で精神状態が良くなかった相手チームのピッチャーは、あろうことか、失投に近い形でボールが高めに浮いていた。


 狙い澄ましたような、鋭い打撃だった。


 普段はあまり大振りしない、ミートに重点を置いているような打撃をする彼女には珍しく、ほとんどフルスイングで捉えた打球が、ライナー性でライト方向に伸びていく。


 ライトが懸命に走って、ボールを追うが。その頭上をわずかに越え、そして低い軌道を描きながらも、ボールはフェンスギリギリでスタンドへ消えた。


「うぉお! 満塁ホームラン!」

「すげえよ、天ちゃん!」

 ファンの誰かが叫び、球場は興奮のるつぼに包まれたかのように、大歓声に包まれていた。


 そんな中、右手を振って、声援に応えながら、笘篠がダイヤモンドを一周する。

 まさかの満塁ホームランに、ベンチはお祭り騒ぎになっている。すでに10点差でコールドゲームになっていることにすら気づいていない連中もいた。


 そんな中、手荒い祝福を受けている笘篠に声をかけた。

「狙ってたのか?」


「ふふふ。この私にかかれば、こんなもんよ。これで、このゲームのMVPはいただきねー」

 相変わらずのドヤ顔で、得意げに言葉を吐く彼女。ノリがいいというか、お調子者というか。だが、とにかく彼女の打撃センスだけは本物だった。


 おまけに、目立ちたがり屋の笘篠が、最後の最後に「美味しい」ところを全部持って行って、一番目立っていた。


「プロ野球じゃねえんだから、そんなもんねえ」

 呟きながらも、試合終了を告げる「ゲームセット」の審判の声を聞いていた。


 これで12-2。コールドゲームで試合終了となった。


 終わってみれば、猛攻を見せ、18安打も放った我がチームが、5回コールドゲームで1回戦を勝ち抜いていた。もっとも、先発メンバーの中で、石毛だけが無安打だったのが俺は気になっていた。


 ともかく、ようやくまともな、というよりも初めての「大勝」を手に入れ、ナインの間に笑顔が溢れる。


 ナインは、応援してくれた観客に挨拶をして、引き揚げていく。


 だが、「甲子園への道」はそんなに甘くはなかった。

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