第3章 初めての夏

第19話 トリッキースター(前編)

 あっという間に7月。

 ついに始まる全国高等学校野球選手権大会、埼玉県予選、女子の部。


 少子高齢化と高校の統廃合による影響で最盛期よりも減っていたが、それでも男子は、約120校が参加するも、女子は少なく、それでも100校近くが、埼玉県営大宮公園野球場に集まった。


 そんな中、プラカードを持ち、選手入場を果たす、武州中川高校女子硬式野球部の晴れ姿を眺めながら、俺は感慨深いものがあったが。


 内心では、

(せめて1勝してくれ)

 と、祈るような気持ちだった。


 正直、この戦力では、優勝は難しいだろう。何しろ埼玉県は強豪が多い。がんばっている彼女たちには悪いが、俺はそんなことを考えていた。



 数日前。

「初戦の相手は、所沢航空ところざわこうくう高校に決まったよ」

 キャプテンの潮崎が、部室に入ってくる。


「どのようなチームですか、マネージャー?」

 石毛が聞くも、マネージャーの鹿取は、首を傾げていた。


「それがですね。正直、あまりデータがないんですよ。ただ、足を使うチームっていうのはわかるんですが」


「足? 盗塁ってこと?」

 羽生田が、硬式ボールを握りながら訪ねる。


「盗塁、エンドラン、バスター。何でもやってくるみたいですね」

 その回答に、我がチーム唯一のキャッチャーの肩が気になった俺は、


「伊東。大丈夫そうか?」

 心配になって、声をかけるも。


「大丈夫です」

 彼女は、短く、だが力強い瞳を向けて答えた。



 こうして、我が女子硬式野球部初の公式戦が始まる。

 俺は、また打順を多少、入れ替えた。


1番(二) 辻

2番(一) 吉竹

3番(中) 笘篠

4番(三) 清原

5番(投) 羽生田

6番(遊) 石毛

7番(捕) 伊東

8番(右) 潮崎

9番(左) 平野


 前回の試合で、絶好調だった辻を先頭に持ってきて、同じく前回の試合で安打を放った石毛の長打に期待するために打順を上げる。未だに1本も安打を打っていない潮崎だが、期待値を込めて打順は変えなかった。


 ピッチャーは、あえて羽生田にした。

「えーっ。なんで私じゃないんですか?」

 エースは明らかに不服そうに、頬を膨らませて抗議してきたが。


「手の内を見せたくないし、温存しておきたい」

 と説明するも、


「温存なんかして勝てんのかよ」

 清原に鋭い視線で、睨まれた。


「それに羽生田のフォームは安定してきてるし、足を使うチームなら、遅い球より速い球を投げれる羽生田の方が都合がいい」

 俺としては、球速が遅く、つまりピッチャーマウンドからキャッチャーミットまで届く時間が長い潮崎よりも、速球で押して、その間隔が短い羽生田の方が、足を使うチーム対策にはいいと思ったのだ。


 同時に、2回戦以降のために、潮崎を温存しておきたいという気持ちもあった。

 もちろん、ここで負けたら、全てが終わるが、俺は彼女たちの力を「信じて」いた。


 1回戦は、開会式が行われた大宮ではなく、所沢で行われた。


 所沢航空記念公園野球場。


 センターが120メートル、両翼が92メートルの野球場で、収容人数が約4000人程度の規模の小さい球場だった。

 観客席もバックネット裏から内野側に張り出した部分にしかない。


 ところが、一塁側のスタンドに面白い観客が入っていた。

「天ちゃんLOVE」

 とか、

「笘篠天応援団」

 と書かれた横断幕を掲げた一団だ。人数はおよそ20人ほど。全員若い男だった。


「何だ、あれは?」

 呆れて笘篠に声をかけると。


「あれは、私のファンね」

 とだけ告げると、ユニフォーム姿のまま、わざわざ一塁側に陣取るその一団に向かって、手を振り、


「みんな、ありがとー! 私、絶対活躍するねー!」

 普段の練習では絶対に見せない、作ったような満面の笑みを浮かべていた。


 他にも、我が校の生徒が何人か来ていて、校長の秋山先生、顧問の渡辺先生、男子野球部も何人かいるようだった。


 先攻は所沢航空、後攻は我が校。


 ベンチ前に円陣を組んだ後、いつものように伊東が声をかけるか、と思っていたら。

「3年のショート、高沢たかざわさんが一番要注意だよ。運動神経抜群で、何でも仕掛けてくる人だよ」

 キャプテンの潮崎が珍しく声を張り上げていた。


「みんな、これが私たちの初の公式戦だよ。絶対勝とうね」

 その声には、張りがあり、そして伸びやかに聞こえた。


 そして、ついに、夏の県大会の予選が始まる。


 まずはマウンドに上る、羽生田。本来はセンターの彼女が、初の公式戦の第1球を放ることになった。


 ところが、試合は予想外の展開を見せる。

 羽生田の球は、悪くはなかった。いわゆる「球が走る」という奴で、ノビもあったが、いかんせん荒れ球だ。


 それ故に、狙い球を絞れないから有利、と思っていたら。

 相手の1番バッターがいきなりセーフティーバントを決めてきた。事前に調べてきた鹿取の情報通り、足を使うチームだった。


 しかもサードの清原が慌てて取りに行って、ボールを弾き、あっという間にノーアウト1塁。


 羽生田にまだ焦りの色は見えなかったが、続く2番はきっちりとバントの構え。

 サードの清原とファーストの吉竹がやや前進する。


 初球のスプリット。

「バスターか」

 やはり思いきったことをやって来た。

 バントの構えを解いて、ヒッティングに切り替える。一塁ランナーはすでに走っていた。いわゆる「バスターエンドラン」という奴だ。


 完全に裏を突かれた形になり、打球はファーストの吉竹の頭上を越えてライトへ。ライトには本来、ピッチャーの潮崎が入っているが、意表を突かれて出足が遅れた。


 何とか前進してキャッチし、三塁に投げる。俊足の一塁ランナーがすでに二塁を回っていた。


「セーフ!」

 俊足の相手1番は、あっという間に三塁を陥れていた。ノーアウト一・三塁で3番の高沢を迎える。


 高沢さやか。右投左打みぎなげひだりうちの3年生で、相手チームの主将。そして、彼女のことを調べた限り、面白いあだ名があることがわかった。


「トリッキースター」


 と一部では言われているらしい。それも頭に「埼玉一の」とつく場合もあった。ポジションはショートで、俊足・巧打・そして強肩を誇り、身体能力が抜群に高いということだった。


 むしろ、高沢以外の選手の情報はほとんど入ってこなかったから、この選手がこのチームの中心であることは間違いない。


 初球からどうなるか、注目していたら。

「スクイズ!」

 鹿取が思わず叫んでいた。


 クリーンナップを担っている3番にやらせるとは思えない戦略だったが、初球から高沢はスクイズを強行。

 ボールは一塁線に転がり、吉竹が掴んでいたが、本塁は明らかに間に合わないことを判断して、一塁ベースに戻った。


 早くも先制点を取られて、0-1。


 1アウト二塁。続くバッターは4番だ。


 羽生田は、初球に速いストレートを低めに見せてから、緩いカーブとスプリットを交えて、カウント1ボール2ストライクと追い込んでいた。


 だが。


 高い金属音が鳴り響き、打球は左中間を大きく破るコースに上がっていた。センターの笘篠とレフトの平野が同時に追いかけるも間に合わず。


 タイムリーツーベースヒット。

 0-2となっていた。


 公式戦の初戦からいきなりビハインドを追ってしまう、我がチーム。

 続く5番もまたバントの構え。


 ところが、伊東は、相手がバスターに切り替えることを読んでいたらしく、低めの球で詰まらせてセカンドゴロ。

 その間にランナーは三塁まで到達。


 2アウトながら三塁となる。


 6番バッターは、通常なら絶対にやらないことをやってきた。

 セーフティーバント気味のスクイズだった。


 三塁にランナーがいるとはいえ、2アウトでバント。余程、足に自信がないと不可能な作戦だ。


 だが、バント自体は上手く、三塁側に転がり、ライン際を這うようにして伸びていた。


「ナメやがって!」

 清原の怒声が聞こえた。

 彼女は、素早く前進して、ボールをキャッチすると、肩を思いきり回し、矢のような送球を一塁に送る。


 俊足の6番と吉竹が交錯するように見えた。タイミング的には微妙にも思えたが。


「アウト!」

 さすがにそこは何とかアウトで切り抜けて、チェンジ。


 しかし、初回から0-2という、予想外のスタートになった。


 戻ってきた羽生田は、

「ごめん、カントク」

 いつも明るい彼女にしては、珍しいほど落ち込んで見える、暗い表情だったが、


「気にするな」

 と声をかける俺よりも、「燃えている」選手がすぐ近くにいた。


「トリッキースターだか何だか知りませんが、わたくしの足に勝てると思いまして?」

 吉竹だった。いつの間にか、高沢がトリッキースターと呼ばれているのを調べていたようだった。


 彼女は、勝ち気なお嬢様で、そしてチーム一の俊足を誇る。中学時代には陸上部のスプリンターとしても活躍していた。確か50メートルの最速タイムが6秒台だという。女子としては驚異的なほどのスピードを誇っていた。


 どうやら、トリッキースターは、その彼女の闘争心に火をつけてしまったようだ。


 こんなことなら、いつも通り吉竹を1番にすべきだったか、と後悔したが。


 1回裏。逆にその決断が面白い方向に進んでいくことになる。

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