第17話 期待と不安(後編)
1対1で迎えた試合は、3回裏に進み、打席には9番、平野。
先程、エラーをしていた彼女だったが、その瞳は珍しく怖いくらいに真剣だった。
「行ってきます」
いつになく、鋭い声を上げて、ベンチから出て行った。
そして、ようやく彼女にもその時が来る。
カウント3ボール、2ストライクのフルカウント。後がないピッチャーの山田は、決め球のシンカーではなく、ストライクカウントを取りにいく、ストレートを投げた。
それがたまたまなのか、多少高めに甘く入っていた。
金属音の後、全員が空を見上げるように見つめる。
打球は、勢いこそなかったが、ふらふらとレフト方向に上がっていた。それが面白い当たりだった。
丁度レフトとサード、ショートが守る中間点あたりを目指して飛び、一番速く追いついたレフトがグローブを伸ばすも、それをすり抜けるようにして、フェアグラウンドに落ちていた。
いわゆる「ポテンヒット」だったが、それでも平野にとって、人生初のヒットになった。
1番の吉竹は、きっちり三塁線に転がす送りバントを決め、1アウト二塁で2番、辻。
驚くべきことに、彼女はまたも「打って」いた。
単打だったが、それでもまた「シンカー」をライト前に運ぶ。
1アウト一・三塁。バッターは3番の笘篠。
チャンスだ。
ところが、今度は笘篠が不調になっていた。
相手のスライダーを引っかけて、ショートゴロで、ダブルプレー、チェンジ。どうにも流れに乗れていなかった。
ただ、気になったことがあったため、守備に着く前に、俺はナインに聞いてみた。
「なんでシンカーばかり打ってるんだ?」
すると、ナインからは面白い回答が届いた。
「わたくしたちは、潮崎さんのシンカーを散々見てましたからね。それに比べれば、打ちやすいですわ」
「そうそう。潮崎ちゃんの魔球シンカーに比べればね」
吉竹と羽生田が答え、他のメンバーも同じ意見だった。
つまり、練習などで潮崎にシンカーを投げさせ、それを打つ練習をしていたのが、功を奏したらしい。
そう考えると、期待はできた。
4回は、両者ともに決め手を欠く。
4回表。またも先頭打者に四球を出した潮崎だったが、後続をきっちり3人で仕留める。
4回裏。こちらは4番からの好打順だったにも関わらず、三者凡退。
5回表。
試合が動く。
相手は下位打線の9番からだった。
今度は、四球ではなく、相手に当ててしまう「死球」をしてしまう潮崎。
(なんだ、あいつ)
いつもの潮崎らしくない、と感じるほど制球が定まっていないように見えた。
ランナー一塁で、先頭打者は送りバントで1アウト二塁。2番バッターには、変化量の少ないフォークを狙われてライト前に運ばれる。
1アウト一・三塁。
ここで打席には、3番愛甲。
さすがにこれはまずい展開で、俺は途端に「嫌な予感」がしていた。
1球目からどこかいつもと調子が違う潮崎はボールカウント先行で3ボール1ストライク。
全体的に直球が高めに行っている気がしていた。
そして、予感は当たる。
鋭い金属音と共に、左打席に入った愛甲の流し打ちが炸裂。打球は左中間を抜けて長打コースになり、三塁ランナーが生還し、一塁ランナーが三塁、打った愛甲が二塁まで到達するタイムリーツーベース。あっさり勝ち越しを許して、1-2となる。
続く4番バッター。
さすがに敬遠すべきと思い、俺はブロックサインを送って、敬遠を伝える。
1アウト満塁。
ここで5番バッター。
一打出れば、一気にビッグイニングになってしまう。
ある意味、この試合のターニングポイントだった。
潮崎の調子が悪い今、まさに絶体絶命のピンチでもあったが。
1球目は右バッターの内角をえぐるようなストレートで空振り。
2球目は、逆に外角低めの緩いカーブを振らせてストライク。
2球で追い込んでいたが、3球目。
遅いシンカーを捉えられて、打球はサードへ。
「4つ!」
キャッチャーの伊東が叫ぶ中、サードの清原がキャッチしたボールをホームに投げる。
微妙なタイミングだったが、クロスプレーの結果。
「セーフ!」
いわゆる、フィルダースチョイスという奴だった。
不運なことに1点が入り、1-3。1アウト二・三塁となる。
流れは、完全に聖毛学園に傾いていると思われた。
ところが、野球の試合とはわからないものである。
続く6番に四球を許し、再び1アウト満塁となる。
7番の放った打球は、大きな弧を描きながら、センターへ。
犠牲フライコースだ。ところが、それをあらかじめ警戒していたのか、前進守備で浅く守っていたセンターの羽生田が、しっかり追いついて、確実に捕球をする。
三塁ランナーがタッチアップする。
そこからがすごかった。
羽生田が、肩が外れるのではないかと思うほど、思いっきり右肩を振り回す。
全身を折り曲げるように、球を投げ、まるで、球が
送球はホームベース手前でワンバウンドして、キャッチャーの伊東のミットに正確に収まる。
相手の三塁ランナーが突っ込んできて、捕手とぶつかるようにして、クロスプレーになる。
固唾を飲んで、見守る中、
「アウト!」
そう宣告された途端、観客席が盛り上がっていた。
「すげえぞ、あのセンター!」
「羽生田さん、カッコいい!」
センター、羽生田のまさに「鉄砲肩」に救われた形になった。調子に乗った羽生田が右手を上げて、声援に応えていた。
相手に傾きかけていた「流れ」を止めたかに思えた。
二塁ランナーもタッチアップしており、なおも2アウト一・三塁となっていた。
続く8番の打った打球は、鋭いライナー性で二遊間へ飛んだ。抜けたと思うほどの強烈な勢いのライナーだった。抜ければ確実に点が入る。
それを、セカンドの辻が横っ飛びでダイビングキャッチしていた。バウンドはしていないからアウトだ。
「ナイスプレー!」
声が上がる中、見ていた俺でも驚くくらい、俊敏な動きだった。この辺りはさすがに野球経験者の強みでもあった。
打つ方では、好不調の波が激しい彼女だが、守備に関しては、一級品だと思えるほどの芸術的なプレーだった。
「辻さん、ナイス!」
再び観客席が盛り上がっていた。
守備でも攻撃でも見せる辻。ピッチャーの潮崎とは違い、その日の彼女は「絶好調」だった。
5回裏から8回表までは、どちらも決め手を欠いた。
両者ともに四球や単打を浴びるも、タイムリーヒットには至らず。
そして、運命の8回裏を迎えた。
こちらは1番からの好打順。吉竹が見事なセンター返しを放って、塁に出る。
盗塁のサインは出していなかったが、得意の俊足を生かしたいと思っていたのか、吉竹がやたらと大きなリードを取っており、俺は危惧していた。
相手ピッチャーの山田がちらちらと、横目で一塁を窺っていたのが、気になった。
そして、
「バック!」
チームの誰かが叫んだ。
慌てて一塁に戻る吉竹の頭上に鋭い返球が飛んできた。
「アウト!」
牽制死だった。あらかじめフィールディングが上手いと警戒していたはずの山田だったが、彼女は牽制球も抜群に上手かった。
チャンスはなくなり、1アウトランナーなし。
だが、続く2番、辻。やはりこの日の彼女は動きが違った。
山田の投げるボールをきっちり見極め、球数を投げさせてファールで粘った上に、四球を選んだ。
「ナイセン!」
ナインがベンチから叫ぶ中、1アウト一塁。バッターは3番笘篠。
その日は当たりがなかった彼女だったが、ボールに当てる技術が高いことは本当だった。
3球目のシンカーを捉えた。やはり、彼女たちは潮崎のお陰で、シンカー慣れしていたのだろう。
打球は三遊間を抜ける流し打ちになって、1アウト一・二塁。
4番の清原を迎える。
この試合、何度目かのチャンスだ。
だが、これまで幾度となく、得点圏でチャンスを潰し、未だに「ブンブン丸」の大振りが抜けきらない清原。俺は心配していた。
1球目は外角高めのストレートが外れてボール。
2球目は内角低めのスライダーが、すっぽ抜けて、清原の体に当たりそうな勢いで進み、彼女がのけぞって、ギリギリでかわしていた。
「ちっ」
明らかな舌打ちをした清原が、鬼のような形相で山田を睨みつけており、相手の山田が動揺しているように見えた。
3球目は高めのチェンジアップがストライクゾーンの上部に入って行った。それは失投だったのか、それとも清原に恐怖して委縮して内角に投げれなかったのか、わからなかったが。
―ガキン!―
叩きつけるような、強烈な打撃音が鳴り響いた。
左足を大きく前に踏み出して、腰を捻りながらボールを捉えていた。打球は、ピッチャーのはるか頭上を飛び越えて、猛烈な勢いでセンター方向へ飛ぶ。相手のセンターが必死に追いかけるも、ボールの勢いは収まらず、白球は大きな放物線を描きながら、ぐんぐん伸びて行った。
そして、そのままバックスクリーンに直撃していた。
「おーっ、ホームラン!」
ナインの喜びは想像以上で、この即席チーム初めてのホームランに沸きに沸いた。さらに観客席までお祭り騒ぎのように騒がしくなり、
「ナイスホームラン!」
「すげーな、清原!」
という声が飛んでいる。
一躍、主役となった清原は、ゆっくりとベースを回り、そしてホームイン。
辻と笘篠に迎えられ、さらにベンチ前でナインから頭や肩を叩かれて、熱い祝福を受ける。
4-3。逆転ホームランで、再びリードを取っていた。
(やっと打ったか)
俺には感慨深いものがあった。何故なら清原は、ストレートには強いが、変化球には滅法弱い、と思っていたからだ。
それが、チェンジアップを見事に捉えた一撃だった。さすがの怪力で当たれば簡単に飛ぶ。正直、この日も打たなかったら、4番を外すことも考えていた。
もっとも、センターまでの距離が通常より短い、狭い球場だからホームランになったとも言えるのだが。
後続は倒れたものの、9回表。
聖毛学園の最後の攻撃。1番から始まる好打順だった。
その1番にシンカーを狙い打ちされて、レフト前へと運ばれた潮崎。やはり予想通り、向こうのチームも「シンカー慣れ」しているようだった。
ウチと同じように、山田のシンカーを打っているからなのかもしれない。
続く2番。制球が定まらない潮崎は、またも四球を与える。
ここで一番怖い3番の愛甲を迎える。
俺は、交代や敬遠も考えたが、ここまで来た以上、最後まで見届けることを選択する。所詮、これで打たれるようでは、「夏」は負ける、とさえ思った。
初球は見せ球のボールから入り、2球目は緩いカーブをファールされる。
3球目は反対に外角にストレート。これを見逃すも判定はボール。
2ボール1ストライク。
4球目。シンカーを捕らえた愛甲。だが、運が良かったのか、それとも芯を外したのか、強いライナー性のショートへの当たりだった。
一瞬、「抜ける」と思った。
抜ければ、下手をすればランナーが返って同点になる。
ショートの石毛が打球にすばやく反応していた。
全身を伸ばすようにして、横に飛び、ダイビングキャッチ。アウトにしていた。
さらに、彼女は間髪入れずに、二塁ベースにボールを投げる。カバーに入ったセカンドの辻がしっかり捕球していた。
「アウト!」
ダブルプレーで一気に2アウトになっていた。
「ナイスプレー!」
球場が、小さな歓声に包まれる。
観客は多くはないものの、熱心に試合を見てくれている人たちがいた。
そして、我が女子硬式野球部にとって、運命の1球が来る。
9回表2アウト一塁。
バッターは4番。
粘った後の6球目だった。
高く打ち上がったあたりがセンターの頭上を襲う。これは抜けそうだ、と思えるくらいに大きな当たりだった。
ところが、フェンスへと猛烈に走る人影があった。羽生田だ。
彼女は、俊足と、広い守備範囲を生かすように、フィールドを駆け抜けて、センターの先にあるフェンスまで向かっていた。
打球は慣性の法則で、落下に入る。
微妙なタイミングだと思ったが。
高く、そして長く伸ばした彼女の左手の先のグラブにボールが激突したように見えた。
羽生田はバランスを崩しながらも、何とか地面に降りて、片膝を突いた。
「アウト!」
審判の宣告により、ようやく試合が終了した。
4-3。これが弱小の女子硬式野球部の初めての「勝利」だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます