第16話 期待と不安(前編)

 初めての練習試合で、1点も取れずに敗北を喫した我が校の女子硬式野球部。

 俺は、面談の後、彼女のたちの「弱点」を鍛えることにした。


 投手の潮崎には、面談で話したように、緩急をつけるピッチング、低速シンカーと高速シンカー、そしてツーシームを覚えさせ、その間に守備連携を重視した。


 まずは外野陣。問題のレフト、平野の守備だ。彼女がミスをすると、そこだけ狙われる恐れもある。

 まずは基本的なところから覚えさせ、打球を追って、早めに落下点に入り、確実に捕球する訓練を始める。

 というよりも、彼女はまだボールを怖がっているから、そこから慣れさせないといけない。


 内野陣は、まだマシだったが、経験者のセカンド、辻と、運動神経抜群のショート、石毛の二遊間を鍛え、最低でも確実にダブルプレーを取れるようにする。

 ファーストの吉竹には確実な捕球、サードの清原には力まないできちんと捕球、送球するように教え込む。


 そうして、あっと言う間に6月は流れていった。


 6月中旬。梅雨空の中、俺は再度、彼女たちを試すため、練習試合を申し込んだ。夏の甲子園大会の県予選が始まるまでに、せめて「勝たせて」やりたかったのだ。


 相手は、聖毛せいもう学園。昨年秋の大会でベスト16、同じく夏の県予選でもベスト16まで勝ち上がっている。

 先日敗北を喫した、浦山学院よりは劣るものの、十分「強豪校」だった。


 しかも、今度は場所が比較的近い飯能はんのう市にある学校だった。

 そのため、彼らは、我が校まで来てくれることになった。


 試合当日の天気は、あいにくのどんよりした曇りの梅雨空。しかし、そんな中、少ないながらも観客が入っていた。


 普段はあまり部室に来ない顧問の渡辺先生、幾人かの生徒たち、そして特徴的だったのが、我が校の男子硬式野球部の連中が何人かいたことだ。


 普段は男子が使うグラウンドを使うこともあり、彼らもまた彼女たちに注目していた。


 ちなみに、俺はスタメンの打順を前回より少しいじっていた。


1番(一) 吉竹

2番(二) 辻

3番(右) 笘篠

4番(三) 清原

5番(中) 羽生田

6番(捕) 伊東

7番(遊) 石毛

8番(投) 潮崎

9番(左) 平野


 球に当てるのが抜群に上手い笘篠に期待してのことだったが、打順を下げられた2年の羽生田は、


「私、前の試合でヒット打ったのにー」

 と、ものすごく不服そうだった。


「本日は、よろしくお願いします」

 挨拶に来た相手高校の女性監督は、古久保ふるくぼみなみと名乗る40歳前後の恰幅のいい女性だった。かつては、女子野球で活躍していたというが、その体型はそれを想像できなかった。


 だが、

「このチームは、長打力よりもミート力が強いのが特徴です。2年の3番、愛甲あいこうさんが要注意です。それと、エースの山田さん。唯と同じくシンカーを決め球に持ち、多彩な変化球を操ります。フィールディングも上手いので気をつけて下さい」

 円陣を組み、キャッチャーの伊東がいつものように指示する。


 むしろ、潮崎よりも彼女がキャプテンの方がよかったかも、と思うほどしっかりしている。


 オーダー表をかわす。マネージャーの鹿取は相変わらず、男性恐怖症で、俺とは距離を取っていたが、それでも少しは警戒を解いてくれたのか、以前ほどは離れた位置にはいなかった。


 先攻は相手チーム、我が校は後攻となる。

 グラウンド自体は、浦山学院などに比べると狭いが、それでも一応は球場としての役割は果たしている。


 ―プレイボールー。


 二度目の挑戦が始まった。


「しまっていこう!」

 いつものは物静かなキャッチャーの伊東が、大きな声を上げ、ついに試合がスタート。


 立ち上がりの潮崎は。彼女は、まだ成長途中で、完全には低速シンカーと高速シンカーを投げ分けられず、ツーシームも中途半端だった。

 そこが内心、心配だったが、俺は夏に向けて、出来れば彼女を完投させるつもりでマウンドに上げる。


 初回は、順調な滑り出しだった。

 遅いスローカーブを見せてから、球速差のあるストレートで追い込み、決め球にはシンカーを使う。


 それに加えて、低めに集める伊東の巧みなリードが功を奏し、1番から3番まで全てを「打たせて取る」ピッチングだった。


 1回裏、武州中川高校の攻撃。

 ここで意外なことが起こる。


 マウンドに上がった、相手チームのエースは、山田明里あかり。下手投げの右投手で、2年生ながらエースナンバーをつけていた。球速も速く、決め球のシンカー以外に、スライダーとチェンジアップを持っている。

 小柄な体格のボブカットの少女だが、その堂々としたマウンドさばき、フィールディングの上手さには定評があった。


 ところが。

 先頭打者の、吉竹がその山田の110キロを超えるシンカーを狙い打ちしていた。1球外した後の2球目。鋭い音を残し、打球は大きく弧を描き、ぐんぐんライト方向に伸びていき、ライトの頭上を越えた。


 吉竹が悠々と二塁まで到達した。


 しかも、ライトが打球処理に戸惑い、返球が思った以上に遅いことを、途中で見ていた吉竹はそのまま止まらずにセカンドベースを蹴った。


「いけー、吉竹ちゃん!」

 いつもチームで一番声を張り上げる、ムードメーカーの羽生田が中心になって叫ぶ。


 返球がようやく返ってきて、セカンドが中継して三塁に矢のような送球を送る。タイミングは正直、微妙だと思った。


 だが。

「セーフ!」

 塁審の声と共に、一塁側ベンチに控える生徒たちから歓声が上がる。


「吉竹さん、ナイス!」

「ナイバッチ!」


 あっという間にノーアウト三塁。初の得点が見えてきた。


 そして、次は2番の辻。

 俺が、密かに期待しながらも、未だに目立つ成績を残せていない、野球経験者だ。


 だが、この試合、俺の期待をいい意味で「裏切る」活躍を彼女が見せることになる。


 初球は外角のスライダーから入った。ボール気味の低めの球だったが、ギリギリでストライク。

 2球目は、内角高めのストレートが外れてボール。

 3球目は、遅いチェンジアップにタイミングが合わず空振り。


 4球目。追い込んでからは、やはりシンカーだった。左打席の外角に逃げる、打ちづらい上にボール球だった。ところが、辻は強引に食らいつくように打っていた。


 ―キン!―


 ようやく辻のバットから快音が響いた。

 打球は、低いライナー性の当たりで、一・二塁間を抜けてライト前へ。俊足の三塁ランナー、吉竹が悠々とホームインし、初の先制点を取った。


「いえーい!」

 チームメートが、初の得点に大喜びする中、俺は呟いていた。


「やっと辻が打ってくれたか」

 その呟きを、たまたま近くで耳にしていたのか、羽生田が明るい声を上げた。


「ああー、カントク。辻ちゃんはね、ムラがあるんだよ」

「ムラ?」


「そう。あの子は、典型的な気分屋だからね。気分が悪い時は全然だし、気分がいい時はがんがん打つの」

 なるほど。恐らく気分屋のB型タイプなのだろう。そして恐らく今日は「気分がいい」日なのだろう。

 だが、ムラがあるというのは、正直、監督としては使いづらいのだが。


 大体、彼女の調子がいつ良くて、いつ悪いかなんてわからない。


 だが、とにかくようやく辻がタイムリーヒットを打って先制。


 予想外の展開に驚いたのか、相手チームの捕手がタイムを取って、マウンドの山田に声をかけていた。


 続く3番の笘篠は、逆に山田のスライダーを引っかけてショートに飛ばし、あえなくダブルプレーに終わり、4番の清原は相変わらずの大振りで三振。


 だが、とにかくも初回から先制点を取って、リードを奪った。


 2回表。先頭打者に四球を出したものの、後続をきっちり三人で抑えた潮崎。

 2回裏。畳みかけたいところだったが、5番の羽生田、6番の伊東は共に相手のスライダーに惑わされ、内野ゴロに終わる。


 7番、石毛。

 俺がその長打力に期待しながらも、未だに安打すらない彼女。


 その日は、長い黒髪を後ろで縛って、打席に立つ。

 いつものように神主打法だった。


 長打よりも、確実に狙えと指示していたことが良かったのだろうか。

 その日の彼女は、いつもよりバットを短く持っていた。


 追い込まれてからの4球目。やはりシンカーだった。

 鋭い打撃音と共に打球は三遊間を抜けてレフト前へ。


「ナイバッチ、石毛さん!」

 彼女の初めてのヒットに、ベンチが盛り上がる。


 だが、続く8番、潮崎は相変わらず打撃不振で、ボテボテのセカンドゴロでチェンジ。チャンスにはならなかった。


 3回表。今度は試合は意外な方向に進む。

 先頭バッターを四球で歩かせる潮崎。コントロールがいいはずの彼女にしては珍しく、その日は制球がイマイチ安定していなかった。

 あるいは、色々と球種を試しているのかもしれない。


 その一塁ランナーが盗塁を仕掛けた。

「くっ!」

 伊東には意外だったのか、慌てて送球するも二塁はセーフ。


 伊東はリードはいいが、肩は若干の不安がある。というよりも決して強肩ではなかった。


 ノーアウト二塁で、9番はバントできっちり送り、1アウト三塁となって、1番バッターを迎える。


「1アウト!」

 伊東がチームを鼓舞するように叫ぶ中、潮崎のシンカーを打った相手の打球が、バウンドしてセカンド、辻のところへ。


 彼女は慣れた手つきで、キャッチして、そのまま一塁に送球した。

 だが。


 ファースト、吉竹のグローブからボールがこぼれ落ちていた。しかもそのままボールを後逸し、ボールは一塁ベースからラインを越えて後方へ。


 それを見た三塁ランナーが、一気に走ってホームイン。


 エラーによる失点となった。

 初心者チームの悪い点がここでも、悪い流れを呼び込んでいた。


 試合は中盤に入ろうとするところ。


 しかも、その悪い流れが、潮崎のペースを崩したのか、続く2番をまたも四球で歩かせて、3番の愛甲を迎えた。


 1アウト一塁。

 愛甲ゆかりは、聖毛学園の2年生にして、スイッチヒッターの巧打者だ。大振りせずに、安定したスイングをしており、引っ張りも流し打ちもできる、つまり広角に打ち分けることができる実力者だった。


 初球。いきなりシンカーから入った潮崎。

 左打席の愛甲からは逃げていくような外に曲がるシンカー。空振り。


 2球目。同じように外角のボールにも見える方向から緩いカーブがボールからストライクゾーンに入ってくる。愛甲がバットの先に当ててファール。


 2球で追い込んでいたが、それでも愛甲の表情は全く変わらず、真剣そのもので、むしろ潮崎を威嚇するように見つめていた。


 3球目は内角低めのボール。


 4球目は、低めのフォークボールだが、見極められたのか、バットを振らずにボール。


 そして、5球目。再び外のスローカーブだった。


 鋭い打撃音が轟き、打球はレフト方向へのフライになった。

 レフトの平野が懸命に追う。


 その小さな体が、グラウンド上ではさらに小さく見える。


 だが。

 打球には追いついたものの、彼女のグローブに当たった打球が、またも零れていた。エラーだった。


 慌てて追うものの、すでに一塁ランナーは三塁まで、愛甲は二塁まで到達。


 一気に1アウト二・三塁のピンチになっていて、しかもここで相手は4番だ。


(やれやれ)

 やはりまだまだ守備には不安が残る結果となり、俺は溜め息を突く。


 だが、ここで失点しては相手に流れが行ってしまう。


 本来なら、こういう時に「タイム」を取り、ベンチ入りしている選手を伝令に使って、選手に伝えたりするのだが、知っての通り、このチームには余裕の人員が1人もいない。


 俺は見守るしかできないのであった。

 本来なら敬遠すべきだが、この練習試合で潮崎を試したかった俺は、あえて勝負させることを選ぶ。


 ところが、潮崎は俺の予想を上回っていた。


 失点のピンチにありながら、彼女は動揺している素振りがなく、後続の4番と真っ向から勝負。


 その4番を得意のシンカーで打たせて取るピッチングで、詰まらせてショートゴロ。


 ショートの石毛が、見事なフィールディングでキャッチ、サードの清原に送り、飛び出したランナーを刺し、さらに一塁へ送球。今度は吉竹もきっちり掴み、見事に我がチーム初のダブルプレーが完成していた。


 チェンジして、戻ってきた吉竹と平野が、見るからに沈んだ表情を見せていたが、俺は、特段怒る態度は見せず、ただ、


「打って挽回すればいい」

 とだけ告げていた。


 彼女たちは、静かに頷いた。

 これで、少しでも変わってくれればいいのだが。

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