第13話 デビュー戦(前編)
5月中旬。女子硬式野球部が始動を始めてから1か月が経った。
俺は、そろそろ頃合いだと思い、ある日の放課後に彼女たちに提案をした。
「そろそろ練習試合、するか?」
真っ先に食いついたのが、キャプテンでエースの潮崎だった。
「やります、やります! やりたいです!」
彼女は余程心待ちにしていたのだろう。目をキラキラと輝かせて、子供のように純粋な瞳を向けて叫んだ。
それを見ていた親友の伊東も、微笑みながら、
「私もです。唯のピッチングがどこまで通用するか見てみたいです」
普段から冷静で、あまり自己主張をしない子だと思っていた彼女が珍しく力強い瞳を向けていた。
「私もー。試合なんてめっちゃ久しぶりだし」
「やってやるぜ」
「ついにわたくしの実力を示す時が来ましたわ」
それぞれ、羽生田、清原、吉竹が同調し、他の部員も応じたので、俺は早速、対戦相手を探すことになった。
顧問の渡辺先生にも手伝ってもらい、ひとまず近場に限らず、埼玉県内全域に広げて、試合をしてくれる相手を求めて、メールを送り続けた。
何しろ、部員が9人しかいない上、ついこの間まで休部していた、無名弱小校に過ぎない我が校の女子硬式野球部だから、受けてくれるかどうか、不安という気持ちの方が大きかったからだ。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式で、メールを送りまくった。
だが。
2日、3日経っても届くのは、丁重な断りのメールのみ。それが何十通と届いてくるのを見ると、うんざりした気分になってくる。
(やっぱダメか)
諦めムードになっていた頃、不意に届いたメールは、丁寧な文面の女性らしい文章だった。
「はじめまして。
調べると、浦山学院はさいたま市に存在していることがわかった。
そして、そこは男子も女子も、硬式野球部が甲子園に何度も出場している、常連の強豪校だとわかった。
去年の夏の甲子園埼玉県予選で、ベスト8まで勝ちあがっている。
(いきなりの実戦で強豪が相手か。あいつら、ヘコまなきゃいいけど)
早くも負け試合の予感がしていた。
だが、その情報を部室にいる彼女たちに届けると。
「浦山学院! すごいじゃないですか、先生!」
エースの潮崎が目を輝かせ、他の連中も乗り気だった。
「だがなあ。さいたま市は遠いし、ウチには金もないし、電車だぞ」
「いいって、いいって。そんなの関係ないよ。私らは野球やれればいいし」
羽生田が笑顔で応え、他の連中もそれに同調していた。
「わかった。試合は次の日曜日、場所はさいたま市だから、早めに秩父駅から出発するぞ」
待ち合わせ場所と時刻を指定する。
「さて」
俺はホワイトボードに向き合い、1~9の数字を書き込んでいく。スタメンの打順を決めるのを忘れていたのだ。
とりあえず、いちいち意見を聞いていては、決まる物も決まらないから、俺が今まで見てきた経験と勘で、打順を決めた。
1番ファースト、吉竹。経験者で俊足の羽生田と迷ったが、その羽生田にも勝った、元・陸上部の俊足が魅力だったからだ。足が速い奴というのは、それだけで塁に出れば相手にとって脅威になる。
2番セカンド、辻。これはもちろん彼女が経験者で、守備力はもちろん、肩もいいし、小技も出来るし、ミート力も高いことを期待してのものだった。
3番センター、羽生田。彼女のバッティングは、目立つ物ではないが、堅実で安定している経験者らしさがあったし、4番の前に打たせようと思って決めた。
4番サード、清原。ここが一番の悩みどころで、恐らく「ブンブン丸」の彼女は、バットを振り回して三振する恐れも高い。だが、当たれば簡単に飛ぶあの長打力は捨てがたかった。同時に、チーム内で一番度胸がある。
5番ライト、笘篠。未知数な部分があるが、バットに当てる技術は上手いため、清原が倒れた時の予備に彼女を持ってきたいという気持ちがあった。上手くヒットを稼げればチャンスを掴める可能性が出る。
6番ショート、石毛。彼女もまた未知数ながら、剣道で鍛えた力が長打力を感じさせる部分があった。もっとも打率的には低いことが想定され、この打順に決まった。
7番キャッチャー、伊東。捕手ながらも残りの二人よりはバッティングに期待が持てることから、この打順に確定。
8番ピッチャー、潮崎。彼女に関していえば、バッティングはほぼ期待できないが、それでも平野よりはマシと思っていた。
9番レフト、平野。一番小柄で、一番非力な彼女。そして野球の経験もほとんどない。ある意味、仕方がない打順ではあった。
多少の文句は出てきたが、それでも一応、彼女たちはこの打順に納得してくれるのだった。
そして、ついにこの弱小野球部のデビュー戦が始まる。
天気は晴れ。気温が23度くらいで、湿度もそれほどなく、野球をやるには絶好のコンディションの日だった。
だが、この先に待っている運命を俺たちはまだ知らない。
浦山学院のあるさいたま市は、埼玉県の中心部にあり、秩父市という山に囲まれたこの田舎町からは遠かった。
電車を乗り継いで最寄り駅まで2時間以上はかかった。その上、そこからさらにバスに乗り、ようやくたどり着く。
「カントクちゃん。次は車で送って行ってよ」
笘篠がそう愚痴っていたが、そもそも9人、いや監督の俺とマネージャーを入れたら11人も入る車などない。だが、確かにバスを調達しないと面倒だと思った。
しかもそこは、強豪校の名に恥じない規模の、大きな高校で、野球部専用の大きなグラウンドまであった。
職員室に挨拶に行くと、出迎えてくれたのは、30代くらいの若い女性教員だった。小綺麗に化粧をして、ラフなワンピース姿の彼女は、
早速、挨拶を交わし、雑談をしながら、グラウンドに向かうことになった。
道すがら、今回の件の礼を言うと。
「いえいえ。私たちにとってもいい経験になりますから」
メールの文面から感じた印象以上に、丁寧な人だった。
「でも、女子野球部の監督を男性がやるのは、珍しいですね」
一番言われるであろうことを真っ先に言われていた。
実際、女子野球は盛んになってきたが、監督やコーチを務めるのは、圧倒的に女性の方が多い。
中には、実際の元・プロ野球選手やソフトボール選手もいる。
「お恥ずかしながら、当校は人材不足でして」
などと話しているうちに、あっという間にグラウンドにたどり着く。
ホームチームの浦山学院が一塁側、対してアウェーの武州中川高校が三塁側と決まり、ベンチに集合する。
一応、俺は事前に調べていたことを、試合前に彼女たちに告げる。
「相手の要注意人物は、左のエースの
簡単な情報だが、それを告げると、キャッチャーの伊東が補足してくれた。
「阿波野さんの球種は、スライダー、カーブ、シュート。特にスライダーの『真っスラ』は決め球だから注意が必要ですね。あと、大島さんは強打ですが、早いカウントから大振りする癖があるので、それを逆手に取っていきます」
さすがは、キャッチャーだった。
彼女は、冷静だし、相手のことをよく調べていた。
相手のユニフォームは、縦縞の白いストライプで、黒い帽子だった。
先攻は我が校、後攻は浦山学院となった。
―プレイボールー。
という審判の声と共に、ついに彼女たちのデビュー戦が始まった。
なお、女子野球は「7回」までという規定が昔からあったが、2060年の甲子園出場から改定され、男子と同じ「9回」制に変わっている。
まずマウンドに上がったのが、注目の阿波野めぐみ。身長165センチ、ショートボブの綺麗な髪が目立ち、眼光が鋭く、手足が長いのが特徴的な2年生の
ワインドアップからオーバースローで1球目を投げる。バッターは野球自体のデビューがこの戦いになる吉竹愛衣。
初球から鋭い変化球だった。
恐らくシュートだろう。見送ってストライク。
2球目は外角に外れてボール。
3球目に来た球をファールして、カウント1ボール2ストライク。早くも追い込まれていた。
そして4球目。注目の球が来た。
「真っスラ」だった。真っスラとは、真っ直ぐ=直球とスライダーの中間的な変化をする球で、通常のスライダーよりも速球との球速差が少なく、高速スライダーに近い。
変化量こそ少ないものの、いわゆる「キレ」のあるボールで、吉竹は空振り三振になっていた。阿波野は左打者には有利とされるスライダーを上手く使っていた。
仕方がないとは思いつつも、改めてこの阿波野というピッチャーの底知れない実力を知った。
球速も女子としてはかなり速く、120キロ近くは出ている。速球と変化球を使い分けれる本格派のエースだった。しかもそのスライダーのキレには、なかなかの物があった。
結局、2番の辻も3番の羽生田も倒れ、1回表は三者凡退。
1回裏、後攻の浦山学院の攻撃。
マウンドに立った潮崎は、この広いマウンドの感触を確かめ、味わっているようにも見えた。
堂々とした動きから、彼女はキャッチャーミット目がけて、サイドスローで投げ込んでいく。
キャッチャーの伊東は、やはり決め球に「シンカー」を使っているようで、面白いくらいに凡打と三振の山を築いていった。こちらも三者凡退。
やはり、潮崎の球は通用する、とわずかながらも思っていた。
だが、やはり現実はそんなに「甘く」はなかった。
2回から5回にかけて、こちらは阿波野を攻略できず、選球眼のいい伊東のフォアボールのランナーを出しただけで、ヒットが1本もなかった。
対して、一巡した後の浦山学院は、潮崎を攻略し始めていた。
彼女たちは最初から「シンカー」を捨てたのである。
打てないなら、打てる球だけを狙えばいい。割り切っているが、合理的な戦術だ。
たちまち、早いカウントから、潮崎のカーブやフォーク、ストレートが狙われて弾き返された。
5回裏1アウト一、二塁。バッターは、浦山学院が誇る強打の4番打者、2年生の
緊張した面持ちで、ナインが見つめる中、二人の攻防が始まった。
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