第12話 特訓
こうして、ゴールデンウィークの全てを使った、一大特訓が学校で行われた。
しかもその日、運が良かったのか、それとも連休だから休んでいたのかはわからなかったが、グラウンドが空いていた。
いつもは野球部やサッカー部が占拠していた場所がまるまる空いており、これは「使いたい」と思った俺は、一旦部員たちを待たせて、職員室に行き、念のために確認を取ると、今日から3日程度はどの部も使っていないから、好きに使っていいと了承を得ることが出来た。
そのまま部員の元に戻り、着替えてからグラウンドに集まるように告げる。
俺は一足早くグラウンドに向かう。
そこは、やはり第二グラウンドよりは広かった。
高さのあるバックネットがあり、第二グラウンドよりも立派なベンチや小さな観客席もあり、センターも両翼も明らかに第二グラウンドよりも広い。
恐らく、センターは115メートル、両翼は95メートルくらいか。それでもプロ野球球団の本拠地に比べたら狭いが。
見ると、白線の引き方まで第二グラウンドよりもしっかりしているように見える。
やがて、
「ひろーい」
「初めて使えるねー」
口々に、賑やかな声を上げて、彼女たちがユニフォーム姿で入ってきた。
早速、俺は事前に用意した「特訓」メニューを書いたプリントを部員全員に配布する。
それは以下のような物だった。
①朝練 毎朝最低10キロのランニング
②ラダートレーニング、縄跳び使用
③ポジション別練習 各ポジションごとにシートノック
④ロングティー、フリーバッティング、シートバッティング
⑤投球練習 投手以外はキャッチボールや送球、中継プレー、捕球の練習も含む
⑤ウェイトトレーニング
これは、とある高校の男子硬式野球部が実際にやっている練習だという。その練習量は半端なく、高校野球のレベルを越えた、ハイレベルで、同時に「死ぬほどキツい」練習でもある。
それを俺は彼女たちに最初からやらせた。
当然、根を上げて、辞めると言い出す者が出るかもしれない。だが、所詮はあと1年で消えるかもしれない高校だ。
半ば、もうどうにでもなれ、という気持ちもあった。同時に、今から厳しい練習をしておけば、後々楽になるだろう、という予測と、彼女たちの「本気度」を探りたいという思いもあった。
実際にやってみると、ノックをする立場にある俺でさえ、根を上げたくなるくらいきつい、まさに丸一日野球漬けの「特訓」だった。
ノックを終えて、ベンチに座り込むと、さすがに疲れが出てきていた。
長年のブランクと、肩の故障による運動不足、体力不足が効いてくる。
というか、肩が故障しているのに、ノックは無謀だったと後悔し、次からは部員にやらせようと決意する。
見ると、マネージャーの鹿取は、相変わらず俺とは距離を取っており、だいぶ離れた位置、というよりも反対側のベンチに座っていた。
ひとまず何とか初日は終えたが、陽が落ちて暗くなった頃。
「どうだ? もう野球なんて辞めたくなっただろ?」
俺が半ば諦めの気持ちでそう呟くと、グラウンドに横たわっていた部員たちからは意外な声が上がっていた。
「こんな練習、屁でもねえぜ」
元々が、フルコンタクト空手をやっていた体力自慢の清原でも、息が上がっていたが、それでも顔は笑っていた。
「ええ、剣道部のしごきに比べれば、大丈夫です」
元・剣道部で中学で全国優勝までしたという石毛は、剣道部でのしごきに耐えてきたのかもしれない。
「望むところですわ」
プライドが高く、元々運動能力に非凡なセンスを持つ、アスリートのようなお嬢様、吉竹も答える。
「有名になって、見返すためにはこれくらいやらないとね。アイドルだって、華やかそうに見えて、裏では厳しい訓練をしてるし」
アイドル志望の目立ちたがり屋の笘篠まで、普段は見せないような余裕のない表情をしていたが、それでも心底嫌そうには見えなかった。
「いやー、これはマジでキツいわ。シニアでもこんなのなかったからねー」
チーム一のムードメーカーの羽生田も、笑ってはいたが、余裕はなさそうに見えた。
「……キツいけど、久しぶりにこんなに野球やった気がする」
無口でクールな辻は、いつもと変わらないようにも見える。
「ダイエットには、丁度いいんじゃない」
少しぽっちゃり気味な体型を気にしている、伊東が肩で息をしながらも呟く。
「キツいけど、楽しいです。こんなに思いきり野球やれたの久しぶりです!」
エースの潮崎は、体力の限界まで行っているのか、無理をしたような笑顔を見せていたが、全身汗まみれになっていた。
そして、ただ1人。
「わ、私もう無理です。辞めたいです」
そう言った少女がやはりいた。
平野だった。
無理もない。体力もなく、元々野球どころか、あまりスポーツをやってこなかった彼女だ。
この結果は、俺としても予想はしていた。
「そうか。じゃあ、残念だが平野は辞めて、女子野球部も解散するか」
そう、俺がわざといじわるく言ったのが、余程腹に据えかねたのだろうか。
平野は、ふらふらとした足取りで立ち上がり、俺の顔を正面から睨みつけてきた。
「先生。辞めたいけど、『辞める』なんて言ってませんよねえ」
そこには、マスコット的な可愛さのある、小さな少女の姿はどこにもなく、鬼気迫るような鬼の形相をした女の子が立っていた。
(面白くなってきた)
俺は彼女たちが甲子園に行けるなど、実は最初から本気で思ってはいなかったのだ。
彼女たちが本当に本気で、死ぬ気でやるという自信と、確かな意志を確かめて、それでも根を上げなかったら、考えてもいいと思っていた。
これは、彼女たちには明かせないほど、いじわるなやり方ではあるが、逆に言うと、本気で何かを目指そうと思っていない人間が、頂点に立つことはあり得ないのだ。
努力すれば結果は自然とついて来る。
そして、こういうことが日本全国で毎年のように行われ、その中の、ほんの一握りの人たちだけが「甲子園」という舞台に立てる。
高校野球とは、そういう厳しくて、シビアな世界であることを彼女たちにも知ってもらいたかったというのもあった。
結局、ゴールデンウィークの約1週間の間、毎日この地獄のような特訓を、彼女たちは受け続け、1人の脱落者もなく、無事に終わらせてしまった。
(やればできるじゃないか)
俺は少しだけ、彼女たちの本気度を見直していた。
ちなみに、特訓の最終日。俺は羽生田を呼びつけていた。
「どうだ、羽生田。ピッチングは慣れたか?」
そのことを聞きたかったからだ。
彼女には、この特訓を通して、潮崎から球種を教えてもらって身につけて欲しいとお願いしていた。
すると、いつものように明るい表情で、彼女は屈託なく笑って答えてくれた。
「慣れたよー。潮崎ちゃんに教えてもらって、カーブとフォークを覚えたんだ」
「ほう。ちょっと投げてみろ」
ついでだから、投球が見たいと思った。
いつものように、伊東の後ろに立って、審判役として見守る。
他の部員たちは、別の練習をこなしており、集中して見るにはちょうどいい機会だった。
「羽生田。ストレート、カーブ、フォークの順で投げてみろ」
そう呟くと、大きな声で彼女は頷いた。
1球目。ストレート。
速い。球速は110キロくらい。男子野球から見ればもちろん遅いが、それでも伸びのある直球というか、少しバックスピンがかかっていて、ツーシームに近いだろう。
エースの潮崎よりも速いし、使えるかもしれない、と思った。
2球目。カーブ。
球速は大体90キロ前後。潮崎のカーブをそのまま習ったのだろうが、彼女のカーブはスローカーブの潮崎の物よりも速かった。ただ、曲がりの変化としてはそんなに急激に曲がる物ではなかったが。
3球目。フォーク。
球速は100キロくらい。潮崎のフォークと違ったのは、彼女の物はより速く、より変化が少ない。つまり、フォークボールよりも、どちらかというとスプリットフィンガー・ファストボールに近い。
日米野球の違いでよく論じられるように、日本のフォークボールよりも、彼女のはメジャーリーグの選手が使うようなスプリットに近い気がした。もちろんそんなにキレはないが。
その後、何球か投げてもらってから切り上げてもらい、俺は伊東に感想を聞いてみた。
「いいですね。唯とは違った意味で、面白い投球をします」
彼女は自信に満ちた声を上げていた。
「実戦で使えそうか?」
「大丈夫だと思います。ただ、ちょっと荒れ球気味なので、先発よりも中継ぎや抑えをやらせた方がいいかもですが」
伊東のお墨付きを得たことで、俺は彼女を次に組もうとしていた練習試合で使ってみようと思い立った。
なんだかんだで、捕手というのは、野球において、最も重要で、よくフィールドや選手を見ている物だし、この伊東というキャッチャーは、俺の理想とするキャッチャー像にも近かったから、頼りになるのだった。
どんな時でも冷静で、配球もソツがないし、落球や後逸もほとんどしない。
若干、肩が強くないのが難点だったが。
打撃こそ、そんなに打てる物ではなかったが、それを差し置いておいても、いいキャッチャーだと再認識していた。
こうして、地獄のようなゴールデンウィーク強化特訓は終わりを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます