第11話 新たな仲間

 彼女たちの指導方法について、考え、悩んでいた俺は、特訓をしなければ、と思っていた。


 全体的に戦力の底上げをしないと、甲子園どころではない。

 もっとも、今が4月の終わり頃で、例年、埼玉県の夏の甲子園大会の予選は7月頭に始まり、7月下旬には決勝が行われることを考えると、あと2か月程度しかない。


(今年は甲子園は無理だな)

 彼女たちには話せないが、俺は実質的にはそう思っていた。


 そもそもが時間がなさすぎる。たった2か月で鍛えるのは無理だ。


 だからこそ来年に賭けるため、何とか出来るだけの好成績を残して、せめて廃校延期くらいの希望を持たせてやるか、もしくはたとえ廃校になって他校に行っても、そこで活躍できることを望んだ。


 そんな中。


 4月末のある日の放課後、いつものように第二グラウンドにある女子硬式野球部の部室に行くと。


「あら、森先生。遅かったですね」

 見知った顔が出迎えてくれた。


 その細身の身体と、大きな胸、そしてリクルートスーツのようなスーツ姿の女性は、あの妖艶な渡辺先生だった。


「渡辺先生。何してるんですか?」

 生徒たちはすでに到着して、着替えを済ませていた。最近、早く行きすぎると着替えに当たるから、あえて遅れて到着することを俺は経験として学んだのだが。


「私、ここの顧問になりました。よろしくお願いしますね」

「ええっ」


 素っ頓狂な声を上げていたのは、俺だけだった。

 他の女子生徒たちは、

「カントク。デレデレしすぎー」

 とか、

「しょうがないよ。渡辺先生、美人だし」

 とか、

「胸ばっか見てんじゃねえよ」

 とか、好き放題に口々に言葉を投げてきた。


「あれ、聞いてませんか?」

「聞いてませんよ」


「私、これでも昔はソフトボールやってたんですよ。野球とはちょっと違いますが、森先生の手助けを出来るかもしれません」

 相変わらず、男を惑わすような妖艶にして、とろけるような笑顔を浮かべながら、彼女はそう告げていた。


 その経歴に驚いていると、

「つーかさ、カントクちゃん。さっきから先生の胸ばっかり見てるよね」

 と笘篠が、いつものようにあざとい瞳を向けて、微笑んでいた。


「むぅ」

 その横で、何故か潮崎がむくれて、頬を膨らませていた。


「まあ」

 注目を浴びている渡辺先生は、満更でもないように、妖艶な微笑みを浮かべていたが。


 とにかく、渡辺麗奈というこの女性が、女子硬式野球部の顧問に正式に就任した。

 話を聞くと、彼女は今年で25歳。何でも休部状態だった女子野球部が再開したと聞いた秋山校長が、彼女を推薦したそうだ。



 そして、もう一つ。

 俺には、助かると同時に、困った出会いが待っていた。


 翌日の放課後に部室に行くと、またも知らない顔がいた。

 身長が152センチくらいで、小柄な平野とあまり変わらないように見える。ショートボブの小柄な女子生徒が制服姿のままボールを磨いていた。


「誰?」

 俺が後ろから近づくと、


「あ、ダメですよ、先生」

 と声が聞こえたかと思った瞬間。


「きゃあっ!」

 部室中どころか外にまで轟く大きな声がその女子生徒から上がり、むしろ俺がびっくりして後ずさっていた。


「何やってんの、カントクー」

「セクハラか」


 などの女子たちの声に、慌てて、

「いや、俺は何もしていない!」

 無実を証明するために必死になっていると、近くに平野が来て、


「だからダメって言ったんですよ」

 嘆息していた。最初に聞こえた声は彼女の物だったらしい。


 どういうことかと聞いたら。

「この子は、新しくマネージャーとして入った、鹿取かとりすみれちゃん。私の友達で、私がマネージャー辞めて選手になったって聞いて、部員になってくれたんです」


 それはわかったが、あの悲鳴の意味がわからない、と嘆いていると、平野がゆっくりと説明してくれた。

「すみれちゃんは、男性恐怖症なんですよ。男性は半径4メートル以内には近づかない方がいいですよ」


「ははは……」

 乾いた笑いしか出てこなかった。


 監督兼マネージャーという、最悪の面倒臭い事態からは逃れられたが、新しいマネージャーには近づくことすら出来ないらしい。


 監督とマネージャーは、何かとやり取りをしないといけない立場なのだが、これでは先が思いやられる。


 仕方がないから、平野の言う通り、4メートルくらい離れて対峙した。

(遠い)

 はっきり言って、面倒だし、声が小さくてよく聞こえなかった。


「は、はじめまして。鹿取すみれです。麻里奈ちゃんと同じ1-Aです。あの、私、女子野球部って女子しかいないと思ってて。すいません、すいません」

 オドオドした態度で、必死に頭を下げてきていた。


 まあ、悪い子ではないらしいが、そもそも何故平野は、ここの監督が男性の俺と説明していなかったのかが、謎だった。


 こうして俺を取り巻く環境は、徐々に変わりつつも整ってきたが。


 もちろん、最大の危惧は部活動の「中身」にある。

 そこで、その日の部活動で俺がホワイトボードに書いた文字は。


「特訓」


 の二文字だった。


「ええー、特訓。メンドー」

 真っ先に不満の声を上げていたのは、羽生田だった。


「お前ら、甲子園に行きたいんだろ? なら死ぬ気でやらないと無理だぞ」


「死ぬ気ってどれくらいやるんだ?」

 清原の言葉に俺は、満を持して、自分の案を披露する。


「もうすぐゴールデンウィークだ。その連休を全て返上して、特訓にてる」

 だが、当然ながら、


「えーっ」

 とか、

「もう友達と約束してるよ」

 などと言った不平不満の声が部員からは上がっていたが。


「黙れ、ヒヨッコども。甲子園を目指してる連中は、大体強豪校が多い。ウチより設備も部員数も充実してる。そんなところに本気で勝たないといけないんだぞ。まともにやってても無理がある」


「でも、そんなにやって、体壊したら、元も子もないじゃん」

 羽生田の言うことももっともだ。そして、現代っ子は特にこういう「しごき」みたいのに慣れていない。


「わかってる。だから、適度に休憩は取らせる。ただ、野球の『基礎』も知らないお前らには、まずはみっちりと体に叩き込む必要があるからな」

 そう告げると、


「じゃあ、野球の基礎を知ってる私らは、手抜いていいんだね?」

 羽生田が屁理屈を言っていた。


「アホか。俺から見れば羽生田も辻も強豪校のレギュラーには及ばないぞ。どの道、全体的な戦力の底上げをしないと、甲子園どころか、予選大会の初戦も勝てないぞ」

 仕方がないから、ホワイトボードを使って、俺は説明を始めることにした。


 それは、つい先日、ネットで得た知識の流用ではあったが。

 つまり、全ての物事に言えるのだが、「成長」するためには、現状把握と目標点が必要になる。


 現状、自分たちはどこにいて、どれだけのことが出来るのか。そして、目標をどこに置き、その目標に到達するためには、何をやっていく必要があるのか。


 きちんとした、野球の指導など俺はしたこともないし、そういう勉強をあまりしてこなかったため、これが正解かもわからなかったが、一般論としては「使える」と思ったし、理には適っていると思っていたからだ。


 そこで、ゴールデンウィークを丸ごと使って、強化合宿ならぬ、強化訓練をすることに決めた。


 実際には、休部状態だったこの部には金がなく、合宿に行っている余裕もないという理由もあったが。


 とにかく、少しでも戦力を底上げして、夏の甲子園大会前に、数試合は練習試合をやって、実力を計り、彼女たちに自信を持ってもらわないといけない。


 現状だと、甲子園どころか、練習試合すらまともに出来るか怪しいからだ。


 そういうことを理路整然と述べると、キャプテンよりも頭がいいと思われる、チーム一の理論派の伊東が、


「先生。私はいいと思います。ゴールデンウィークまでにもう少し具体的な訓練方法や練習方法を教えていただければ、助かります」

 妙に真面目くさった表情で賛同してくれた。


「うん、私も。野球漬けになっちゃうけど、今までが出来なかった分、めいっぱい出来るよ」

 潮崎も賛同し、キャプテンが賛同するなら、と他の者たちも渋々ながらも納得するのだった。


 夏の甲子園大会予選までは残り2か月。時間がなかった。

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