第5話 お嬢様と野球

 無事に、石毛英梨という元・剣道部の少女を部に入部させることには成功していたが、残りは4人もいる。

 しかも、石毛は野球未経験者だった。


 そのことに俺が不満を持ち、

「お前ら、せめて経験者を入れろよ。未経験者を育てるだけでも面倒なんだからさあ」

 翌日の水曜日の放課後、プレハブの部室で、パイプ椅子に座りながら、俺が足を投げ出して面倒そうに答えると。


「うっわ。カントク、感じ悪っ」

 話好きの羽生田に思いきり睨まれていた。


「んなこと言っても、せめて何とかなんねえのかよ」

 面倒で憂鬱な気分だったため、それが自然と態度に出ていた。


 石毛が加入したきっかけの一つが、平野の一言でもあったが、次のスカウトもまた平野がきっかけになった。

 だが、これが思った以上に難航した。


「経験者じゃないですけど、私のクラスに面白い子がいますよ。明日の放課後、一緒に来てもらえますか?」

 意外にも声をかけてきたのは、その平野だった。


 最初こそ俺のことを警戒しており、どこか距離を置いているように感じていたが、彼女は徐々に態度を和らげていたようだ。


「いや、俺がついて行く必要ないだろ」

 断ろうとするも、


「いいから行きなよ。どうせメンバー集まらないとやることないんだからさ、カントク!」

 今度は、妙に明るい性格の羽生田が背中を押すように言ってきており、他のメンバーも同調していた。


 仕方ないので、翌日の放課後に平野と約束をして、彼女の所属する1-Aの教室に向かうことになった。


 ところが。



「野球? 何故わたくしがそんな泥臭いスポーツをやらないといけませんの?」

 対面した少女は、非常に特徴的だった。


 身長が160センチくらいと平均的だったが、縦ロールの髪、スラっと伸びた手足、目鼻立ちも整っており、綺麗な印象を抱かせるが、所作や格好がどこか洗練されており、どこかのお嬢様のようにも見える。


「お願い、吉竹よしたけさん」

 平野が、その吉竹と呼ばれた生徒を必死で繋ぎとめようとしているが、


「イヤですわ。大体わたくしは忙しいんですの。野球などという、くだらないスポーツにうつつを抜かしている暇はありませんわ」

 と、にべもなかった。


 だが、「野球がくだらない」と言うその一言が、俺には無性にしゃくに障った。

「くだらないかどうかは、やってみないとわからないだろ」

 俺が横から口を挟むと、今度は吉竹という名のその生徒に思いきり睨まれていた。その瞳は意志の強そうな光を放っており、どこかプライドの高さを感じさせるものだった。


「なんですの、あなたは?」

「女子硬式野球部の監督の森だ」


「あら、わざわざこーんなド田舎までご苦労なことですね」

「実際、苦労してるよ。なあ、吉竹。お前、何かスポーツやってただろ?」

 その俺の不意の一言に、彼女の顔色が若干変わった。驚いた目つきで、なおも俺の顔を睨みつけてきたが。


「やってましたが、何故わかりましたの?」

「お前の体つきは、スポーツをやっていた人間のそれだ」

 そう呟き、彼女の身体をまじまじと見ていると、


「なんですの、いやらしいですわね」

 と、俺の眼差しを警戒するように胸を両手で隠してしまった。

 別にそういうつもりで見ていたわけではなかったのだが。


「本当なの、吉竹さん?」

 平野が食いつくように、目を見張る中、吉竹が観念したように口を開く。


「わたくし、これでも中学時代は陸上部のスプリンターでしたの。全国大会にも出場していますわ。それと、わたくしの家は、とある有名企業を営んでおりまして、フィットネスクラブを持っておりますの。わたくしはそこのフィットネスクラブの会員なんです。ですから、幼い頃から様々な運動をやってきましたわ。まあ、正確には『やらされた』んですけど」

 なるほど。見た目通りの「お嬢様」らしい、ということはわかった。


 だが、この子の意志の強そうな目は、武器になりそうだ。そう思ったが、現段階では作戦不足だ。


 俺は平野を促し、一旦は退散することにした。

 廊下で平野から、


「先生。何であっさり逃げてるんですか?」

 と逆に睨まれていたが、俺はちょっとした作戦を思いついていた。


「逃げたわけじゃない。あいつはプライドが高そうだ。だからそのプライドを刺激してやれば、面白いことになりそうだと思ったんだよ。平野、明日でいいから羽生田を呼んできてくれ」

 それだけを言い残して、俺は去った。


 さらに翌日の金曜日、平野が約束通り、羽生田を連れてやって来た。


 放課後、三人で再度、吉竹の元へと向かう。


「またあなたたちですの。しつこいですわね」

 今度も吉竹に思いきり睨まれたが。


「ねーねー。私と100メートル走で勝負してみない?」

 羽生田が、無遠慮なほどに明るい声で吉竹に声をかけていた。


「はあ? 勝負? あなたは何を言ってるんですの?」

「私と勝負して、あなたが勝ったら勧誘を諦める。それでどう?」


「そんなこと、わたくしに何のメリットがありますの?」

 呆れたような顔で、あっさり断ろうとする彼女に、羽生田が声を上げた。


「あれー。吉竹ちゃんはスポーツ得意なんじゃないの? 私に負けるの悔しいのかな?」

 相変わらず、名字に「ちゃん」づけをする癖がある羽生田が、挑発するように畳みかける。


「なっ。そんなことありませんわ」

 力強くそう言い放った後、吉竹は決意の籠った強い瞳の色を見せて、頷いた。

「わかりましたわ。あなたごとき、勝ってみせます」


 プライドを刺激してみる、という作戦はとりあえずは上手く行っていた。


 ところが。


 約束した、メイングラウンドに彼女は体育用のジャージ姿に着替えて現れたのだが。

 

 俺は、練習していた陸上部に声をかけ、一時的にトラックを譲ってもらい、一本だけの勝負をさせてみることにした。


 潮崎がスタート地点で合図役を務め、何故か俺がゴール付近で、判定を下すことになった。

「では、位置について。よーい。スタート!」

 

 陸上部の連中が興味深そうに見守る中、いよいよ二人の勝負が始まる。


 だが、吉竹は予想以上に速いスピードを持っていた。さすがに元・陸上部だけのことはあり、足の運び方が上手い。洗練された、無駄のない動きで手足を動かし、羽生田を引き離していく。

 むしろ羽生田は、野球経験者だし、俊足と強肩が売りであり、身体能力は決して低くないにも関わらずだった。


 二人の差は広がり、ついに羽生田が追い付くことなく、吉竹が先頭のままゴールインしていた。


「……吉竹の勝ち」

 苦々しげに、俺がゴールで判定を呟くと。


「だから言ったじゃないですか? わたくしに勝とうなんて100年早いですわ」

 得意げに、腰に手を当てて言い放つ吉竹に、しかし羽生田は、


「すごいよ、吉竹ちゃん! マジで足、速いね。これで部活に入ってないなんて、もったいないよ」

 無性に感動しているようで、吉竹の手を取って、喜んでいた。


「当然ですわ。わたくし、幼い頃から様々な運動をしてきましたの。運動には自信ありますわ」


「吉竹。その運動神経は本物だな。とりあえず『仮』でいいから試しに入ってくれないか? 野球部は人手が足りないんだ」

 俺が横から呟くと、吉竹と呼ばれた少女は、長い縦ロールの髪をかき上げながら、


「……まったく、奇特な人たちですわね」

 と呆れたように嘆息した。


「やっぱダメかあ。でも、その運動神経はもったいないなあ」

 羽生田が大袈裟に天を仰いでいた。


 だが、

「入らないとは一言も言ってないですわ」

 吉竹だった。


「えっ」

 俺と羽生田が同時に彼女を見つめた。


 心なしか俯き加減になり、照れ笑いを浮かべながら、

「1-A。吉竹愛衣よしたけあい。内申点を稼ぐために、仕方ないから入りますわ。ただし、面白くなかったら、すぐに辞めますからね」

 どこか勝ち気で、プライドが高い彼女らしい、決意の籠った一言が返ってきて、俺と羽生田が喜びの表情を浮かべ、遠くにいた潮崎までが駆け寄ってきていた。


 こうして、ようやく残り3人にまで部員を集めることに成功したのだった。


 試練は続く。

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