第4話 剣道と野球
翌週の月曜日、授業の合間を見つけて、校長室に行き、秋山校長に女子硬式野球部の監督になることを告げると。
「おお、そうか。やってくれるか。知ってると思うが、この高校は来年には合併されて廃校になる予定だ。最後の
そう、手を握って感動しているようだった。
(この人、元はスポーツやってたな)
そのごつごつした手の感触から、俺は秋山校長がかつて、何らかのスポーツをやっていたと確信した。それはもしかしたら、野球なのかもしれない。
おしゃべり好きな美女、渡辺先生には早くも情報が回っており、
「森先生。ついに決意しましたね。がんばって下さいね」
職員室で休んでいると、早くも弾んだ声をかけられていた。
「はい」
と頷くものの、部員集めから始めないといけない現状に、俺は先が思いやられて、溜め息を突いていた。
放課後、仕方がないからとりあえず女子硬式野球部の部室に向かった。
プレハブの小屋のドアには、赤い文字で大きく「着替え中。絶対覗くな」と書かれたプレートが貼ってあった。
この狭い部室は、着替えをする更衣室代わりにもなっているらしい。
プレートは恐らく俺が監督になったから、慌てて作ったのだろう。
だが、いくら若いとはいえ、女子高生にそんなことをしたら、社会的に破滅することは俺にも十分わかっている。
仕方がないから、プレートが外れて、彼女たちが出てくるまで外のベンチで待っていた。
待ちながら、グラウンドを眺める。
第二グラウンドは、メインのグラウンドよりも小さい。
センターまでの距離はおよそ110メートルほど。両翼は恐らく90メートルくらいか。明らかに狭い。
これならホームランが量産できそうな気がするが、それではまともな練習にならないような気さえする。
俺が溜め息を突いていると、ようやく彼女たちがユニフォームに着替えて出てきた。
改めて見ると、男子野球部とさして変わらない、白と黒の味気ないユニフォームで、胸の辺りにアルファベットで「Bushu Nakagawa」と書かれてある。
帽子は黒のオーソドックスなユニフォームだった。
早速、近づいて潮崎に聞いてみる。
「で、部員の当てはあるのか?」
ところが、彼女は、
「うーん。今のところ、特にありませんね」
何とも緊張感のない声が返ってきた。
現状を把握して、危機感を感じていないのか、とすら思う。
だが、
「ねえ、唯。あの子はどうかな?」
伊東梨沙だった。
中学時代から潮崎の親友だという彼女が明かしてくれたのは、たまに見に来るという女子生徒だった。
曰く。たまにだが、この第二グラウンドに来て、部員の練習風景を遠巻きにバックネット裏からしばらく眺めては、いつの間にか帰っていく子がいるという。
「ああ、あの子。たまに見てるよね」
「私、知ってるよ、あの子」
珍しくマネージャーの平野が声を上げていた。
「確か剣道部の子だったかな。1-Cの」
「へえ。じゃあ、私たちと同じ1年生か。今度、来たら声かけてみよう」
潮崎がそう声を発し、他のメンバーも同意していた。
考えてみれば、1年生が潮崎と伊東、マネージャーの平野、2年生が羽生田と辻。3年生はゼロだった。
圧倒的に経験不足で、人員不足の部活で、そもそも活動すら出来ていない。こんなので甲子園を目指すのがもう無謀すぎるのだが。
翌日、火曜日。
噂の子がやって来た。
女子硬式野球部は、4人しかいないからせいぜいキャッチボールとか、素振りくらいしか練習ができないのだが、バックネット裏にふらっと現れた少女は、それを熱心な目で見つめていた。
身長が160センチくらい。美しいストレートの黒髪が特徴的な子で、どこか憂いを帯びた目でグラウンドを見つめていた。特徴的なのは、背中に剣道で使う竹刀を背負っていたことくらいだった。
どこにでもいる平凡な少女にも見える。
だが、俺はその子の腕が少し筋肉質なのが気になっていた。恐らく剣道で鍛えたものだろう。
「ねえ、あなた。たまに見てるよね。野球、興味ある?」
恐れずに真っ直ぐに向かって行ったのは、潮崎だった。
彼女は、いつも明るくて、無邪気だが、悪く言えば他人に対して遠慮がないところがある。
「ええっと。少しだけ」
少女は戸惑ったような視線を走らせたが。
「じゃあ、やってみようよ」
半ば強引に潮崎に腕を引かれていた。
「えっ、ちょっと」
いきなり腕を引かれて戸惑う少女だったが。
強引に打席に立たされ、背負っていた竹刀を降ろし、バットを持たされていた。
俺は遠巻きにベンチからそれを眺める。
マウンドに立つユニフォーム姿の潮崎と、キャッチャーマスクをかぶって構える伊東。そして、ブレザーの制服姿のまま、ヘルメットをかぶり、金属バットを構える少女。
だが、ここで驚くべきことが起こる。
構えが野球初心者らしくなかった。丸きり剣道の構えだ。いや、正確にはあれは「
プロ野球の世界でも、たまにいるが、スクエアスタンスで、バットを身体の横、あるいは正面でゆったりと構える。その形が神職がお
だが、これは実は全身をリラックスさせた状態で構え、スイングの瞬間に全身の筋肉を動かすことで、より大きな力を発揮するという理論に基づくものだという。
もっとも、長打が望める反面、バットコントロールが非常に難しいとも言われている。
少女は、その神主打法を知ってか知らずか、自然とこなしていた。
あるいは、それは剣道の経験から来るものかもしれないが。
少女の目つきは、真剣そのものだった。
まるで剣道の試合で、剣を振るうかのように、剣ならぬバットに力を込めて握り締めている。
(そんなに固くなってると打てないぞ)
内心、そう思って見守っていたが。
次の瞬間、潮崎の遅いストレートが簡単に弾き返されてセンター前に鋭いライナー性の当たりが飛んでいた。
潮崎が手加減したのかもしれないし、少女の実力なのかもしれない。それはわからなかったが。
「すごいよ、あなた!」
打たれたはずの潮崎が、大袈裟なくらい満面の笑みを浮かべて、マウンドから少女に駆け寄って行く。
「いえ、たまたまです」
謙遜している少女に、
「どう? 面白いでしょ、野球。あなたもやってみない?」
潮崎は臆することなく、笑顔のまま声をかけていた。
少女は、少し考え込んでいるようだった。だが、数瞬の後、決意を固めたようで、潮崎の目を真っ直ぐに見つめながら、
「わかりました。私、ずっと剣道をやってきたんですが、中学で全国優勝してから、何だかずっと心にぽっかりと穴が空いたような気分だったんです。でも、そんな時に野球を思い出しまして。もしかしたら、剣道の経験を生かせるかもと常々、思っていました」
突然、雄弁に語り出した少女だったが、何気にすごいことを口走っていた。
中学で全国優勝。剣道で。それはすごい実力というか、ある種の「才能」と言える。
そんな子がこんな
一方の潮崎、伊東、羽生田は、いつものように大袈裟に喜んでいた。
「やったー! よろしくね。えーと」
「
こうして、剣道経験者で、野球は全くの未経験者の石毛が加入した。
なお、石毛は入学早々、剣道部に入っていたらしいが、翌日には、その剣道部をあっさりと辞めた。潔いというか、はっきりしていた。
残りは4人。
だが、ここまでは良かった。
次からは、さらなる試練が待ち構えているとは、俺を含め、全員が予想していなかった。
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