第2話 女子硬式野球部の惨状
翌日。
俺は正式に「日本史」の教師として赴任した。
しかし、元が小さな田舎の高校。教師の数も少なかった。一通り挨拶をすると、妖艶な美女が俺の前に来た。
年齢は20代後半くらい。ストレートロングの黒髪に、黒いスーツ姿のキャリアウーマンみたいな格好の女性だったが、何というか漂うフェロモンが半端なかった。
香水の甘い匂いが漂い、シャンプーの匂いや化粧品の匂いが混じり合って、得体の知れない甘ったるい匂いが鼻を刺激する。
そして、身体つきからして「エロい」と感じるくらいの容姿だった。身長が165センチくらいで、胸が大きく、脚がスラっとしていて長いし、スタイルはいいし、おまけに目鼻立ちが整った、美人だった。
こんな田舎の高校には似つかわしくないほどの美女は、
「はじめまして、森先生。
と丁寧に挨拶をしたが、正直、俺は目のやり場に困るくらいだった。
その妖艶な美女と並んで学校を歩くことになり、さすがに野球漬けで女性経験の少ない俺は、緊張していた。
そんな中、
「聞きましたよ、先生。元・高校球児だったんですって。カッコいいですね」
しかもそんなことを臆面もなく、キラキラとした瞳を向けてくる彼女。初対面でいきなり「カッコいい」と言われて、悪い気はしなかったが、同時に、
(これは、「魔性の女」だな)
そう思わずにはいられなかった。
いつの時代も、無性に「男を惑わす」フェロモンを持った女というのはいるものだ。
「ええ、まあ」
緊張しながらも、多少警戒しながら俺は曖昧に頷いていた。
「すごいですよ。校長から女子硬式野球部の監督にも推薦されたとか」
耳が早いというか、どこから聞いたのか、彼女はすでにそのことを知っているようだった。
「まあ、そうなんですが、まだ迷ってます」
「ええ! どうしてですか? 是非、やって下さいよー」
甘えるような声で、やたらと勧めてくる彼女に戸惑いながらも、俺は一通りの施設の説明を受ける。
校長室、職員室以外に、体育館、保健室、購買部、学食、校庭、各学年の教室など。
そして、そんな中、俺は気になることを彼女に聞いてみることにした。
「でも、どうして俺なんかを監督に推薦したんでしょうか、校長は?」
すると、彼女はバツが悪そうに、曖昧に微笑みながらも、衝撃の事実を口走るのだった。
「ああ、それは多分ですけど、この学校、もうすぐ廃校になるらしいんですよ」
「廃校? なくなるんですか?」
「はい。少子化の影響で。ここ、全校生徒が200人もいないですから。市内にある別の高校と合併するそうです」
「そんな……」
最初に赴任した高校が、いきなり廃校になるとは、何という不運、と思っていると。
「ですから、せめて最後に部活動でアピールしたいんでしょうね。ウチの高校、部活動で目立った成績残してないですから。もし、野球部が甲子園にでも行ったら、もしかしたら、『廃校撤回』なんてことになるかもしれませんね」
彼女、渡辺麗奈は、お茶目に笑ってそう言っていたが、そんな都合のいい話は現実にはないと思う俺であった。
一通り説明を終えて、彼女と別れると、早速俺は最初の授業に向かう。
それは、1年B組だった。
初めての赴任で、初めての教師としての仕事。教育実習は受けたが、母校の東京都の学校で、大勢の生徒に囲まれて、あっという間に過ぎた2週間だったから、あまり印象には残らなかった。
ここからが、本当の意味での教師としての「第一歩」だ。
だが。
教室に入った途端、席を慌ただしい音と共に立ち上がった女子生徒が、俺の方を見て、大きな声を上げた。
「森先生!」
言わずもがな、あの唯ちゃんだった。
「唯ちゃん」
それは偶然とも運命とも思える再会だったが、考えてみればそもそも1学年3クラスしかないし、俺は最初から1年生の担任として決まっていたから、3分の1の確率に過ぎない。
生徒たちが、女子生徒を中心に、唯を質問責めにして、俺との関係を楽しんでいる。たちまち騒がしくなる教室。
「はいはい、静かに」
軽く注意して、ようやくホワイトボードに、自分の名前を聞いて、自己紹介をする。
お決まりのように、生徒たちが興味本位で色々な質問を投げかけてくる。だが、見たところ、ここが田舎ののんびりした空気に包まれた学校だからなのか。
東京のような大都会にある高校の生徒とはどこか違い、のびのびとしていて、明るい雰囲気を感じた。
(こんないい環境の学校がなくなるのか)
そう思うと、それが無性に残念に思えるのだった。
初めての授業を何とかこなし、職員室に戻って事務処理をこなし、ホームルームを終えて、放課後になった。
未だに「女子硬式野球部」の監督の件を決め兼ねていた俺に、教室から廊下まで走って追いかけてきたのが、彼女だった。
「森先生!」
唯ちゃんだった。
小走りで駆け寄ってくる彼女が、小動物にも見える。昔からどこか愛らしい、愛嬌のある子だった。
「なんだい?」
「渡辺先生から聞きました。先生、まだ女子野球部の監督の件、迷ってるとか。だったら、一緒に来てくれませんか?」
すでに、俺の噂が広まっているらしいことを察した。というより、おしゃべりな渡辺先生がバラしているのだろう。
渋々ながらも頷くと、彼女は俺をグラウンドへと
グラウンドは、都内の私立高校や、有名な野球強豪校とは比較にならないくらいに小さく、こぢんまりとした規模の物で、狭いグラウンドを男子硬式野球部とサッカー部が二分して使っていた。
つまり、女子硬式野球部の姿などどこにも見えなかった。
ところが、彼女は俺をグラウンドの端へと連れていき、さらにそこから階段を降りて、もう一つある小さなグラウンドに導いた。
「ここは、第二グラウンドです」
そう元気な声で説明した彼女。
目の前には、荒川の流れが見え、自然に囲まれており、鳥の鳴き声すら聞こえる、のどかな田舎の風景が広がり、都内のように頻繁に電車の音も聞こえない。
もっとも、第二グラウンドは、メインのグラウンドに比べて少し狭かったが。
「ここですよ」
さらについて行くと、唯ちゃんは小さなプレハブの小屋のような建物にたどり着き、ドアを開けた。
恐る恐る入ると、そこには4人の女子生徒がいた。
1人は168センチくらいはあり、大柄で少しぽっちゃりした体型のメガネの子。1人は不愛想な
全員、女子生徒だった。
「ようこそ、女子硬式野球部へ」
唯ちゃんが明るい声でそう言って、俺を強引にみんなの前に出した。
4人が興味津々に俺を注視する中。
「いや、そもそも俺はまだ監督やるとは一言も言ってないけど」
精一杯の抵抗を見せていた俺に、唯ちゃんが明るい笑顔で、
「まあまあ、いいじゃないですか」
そう言って、俺にパイプ椅子を勧めてきた。
仕方がないから腰かけながら、周りを見るが。
「これしかいないの、女子野球部って? えっ、5人? マジで」
思わず、その現状に絶句する思いがする俺だったが。
「4人ですよ」
唯ちゃんの代わりに答えたのは、大柄なメガネの子だった。
「4人?」
「そうです。麻里奈、えーと、1人はマネージャーですから」
そう言って、あのツインテールの小さな子を指さした。
「はじめまして。
はきはきとしたしゃべり方をする、真面目そうな子という第一印象を、この伊東という生徒から感じた。バッテリーを組んでいたということは、ポジションはキャッチャーだろう。
少しぽっちゃり体型だが、ある意味、大柄でキャッチャー向きの体格かもしれない。
「私、
次に挨拶してきたのは、一番明るそうな性格のポニーテールの子だった。明るい表情を浮かべる、元気な子という印象を抱かせる。身長は170センチ近くはあり、長身でスタイルがいい。
「
ぼそっとした元気のない声で、呟くように言って、すぐに目を逸らしたのは、ショートボブの仏頂面の子だった。身長160センチ前後。ショートボブに、釣り目がちな目が特徴的で、ほとんど無表情だ。
「で、君は?」
最後に残ったツインテールの子を見ると。
警戒するように俺の顔色を窺った後、ようやく彼女は声を発した。
「
単に可愛らしいというよりも、なんだかマスコット的な可愛らしさを感じる。ある意味、男心をくすぐるタイプに見えた。
小さな身体つき、小さな目。おちょぼ口がロリコンに好まれそうな、幼い印象を抱かせる。
俺は、盛大な溜め息を突くしかなかった。改めて見ると、部員がたったの5人しかいない。選手としてはわずか4人。これじゃ、野球どころじゃない。
聞けば、休部状態で、部長=キャプテンすら決めてないという。
「無理だな、これは。部員がいないんじゃ、話にならないだろ」
思わず遠慮なくそう告げると。
唯ちゃんは、驚きも悲しみもせずに、真っ直ぐな瞳を俺に向けて、力強く言い放ってきた。
「無理じゃないです!」
驚いて、俺が目を向けると。
「どうして?」
「私たちは、本当に野球が好きなんです。だから諦めたくないんです。部員なんて集めればいいだけです。それにまだ4月ですよ。羽生田先輩と辻先輩は2年ですけど、私と梨沙はまだ1年です。せっかくの高校野球、諦めたくないんです」
その瞳は輝き、希望に満ちているように、俺には思えた。唯ちゃんの性格的に、嘘は言わないし、根が真面目で素直な子だということは知っていたからだ。
そんな彼女が、真剣な目でそう言うのだから、本当の気持ちだろう。
だが、俺にはそれと別に懸念事項もあった。
「じゃあ、まずは君の力を見せてもらおうか、潮崎さん」
あえて潮崎さんと言って彼女に告げた。
そう、それは、「野球にとって一番大切な物」と俺が常々、思っていたことだった。
つまり、野球の要、投手と捕手。その両方を見てみたい。
唯ちゃんに声をかけたが、同時に伊東という女房役の役割を見ることにもなるからだ。
すると、唯ちゃんと伊東は、目を合わせて、
「わかりました」
力強く頷いた。
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