逆境のダイヤモンド少女たち

秋山如雪

第1章 結成

第1話 再会

 俺は夢を見ていた。


 夢の中で、懐かしい顔立ちの少女が、野球のボールを握りながら俺とキャッチボールをしている夢だった。


「先生。私、甲子園に行きたいです!」


 その少女が発した一言、そしてその迷いのない、強い意志を感じさせる瞳が印象的だった。


 それは2年前、俺が大学生の頃に家庭教師のバイトとして教えた「ゆい」という名の女の子だった。就活もあったため、1年で彼女の家庭教師を辞めたため、もう二度と会うこともない、人生で関わることもないと思っていた。


 だが、人生とはわからないものである。


 不意に「出逢い」が訪れ、その人生に影響を与えていく。



 西暦2060年。長年続く少子高齢化により、日本の総人口は予測よりも速く、2045年には1億人を割り、この年には総人口が8500万人にまで減っていた。

 同時に、子供の数が激減し、野球の競技人口も減った。

 高等学校野球連盟(高野連)は、この年、ついに「女子」にも夏の全国高等学校野球選手権大会への参加を認めた。


 男子だけでは、すでに高校野球が持たなくなっていたからだ。もっとも、男女間の体力や体格の違いを考慮し、女子は女子だけで、男子とは別に開かれることになった。


 電気自動車が当たり前になり、危険な原子力発電が廃止され、ドローンによる無人配送や、空飛ぶバイクまで出来て、すでに世界には様々なロボットまで出来ていたが、それでも日本では、野球だけは変わらずに愛される人気スポーツとして君臨していた。


 それから2年後。

 西暦2062年になっていた。


 俺の紹介をすると、名前は森悠一もりゆういち。23歳。かつてその「夏の甲子園大会」に硬式野球部の投手として出場し、決勝まで行って、プロからも注目を浴びたことがあった。


 俺はそのまま大学進学を選択し、大学野球の道に進んだが、そこが運命の分かれ道になった。

 大学3年時に、相次ぐ無理なピッチングにより、肩を故障し、プロへの道を絶たれてしまった。

 医者に言わせれば、今までの無理な投球が肩への負担を蓄積しており、回復は出来るが、それには膨大な手術費用と時間がかかるという。


 俺は迷ったが、すでに大学4年生近くにもなっており、手術とリハビリに時間を費やしては、どの道、プロから声がかかることはないだろう、と苦渋くじゅうの決断をし、野球の世界から離れた。


 それまで必死に野球に打ち込んできた反動もあり、絶望のあまり、何も手につかず、無為に1年を過ごし、結局進路も定まらずに大学は留年。


 だが、その1年の間に、必死に勉強して、日本史の教員免許を取り、この年、大学を卒業して、初めて赴任先へと赴くことになった。


 23歳の春、4月。桜が散る頃、俺は「新たな道」の一歩を踏み出していた。



「田舎だなあ」

 初めての赴任先は、埼玉県の秩父市だった。かつては最盛期には人口8万人程度がいたこの街も、少子高齢化により、人口が最盛期の半分の4万人程度の小さな街になっていた。


 秩父中心部まで西武秩父線で行き、そこからさらに秩父鉄道に乗り換えて、武州中川という小さな駅に降り立った俺は、目の前に広がる光景に絶句するような思いだった。


 まず、店舗がない。コンビニはもちろん、飲食店もないし、それどころかビルすらない。単に古い住宅街が広がる一帯で、少し歩くと、国道140号に当たる。秩父と山梨県を古くから繋いできた道だ。


 その国道を渡って、荒川にほど近い辺りにそれはあった。


 埼玉県立武州中川ぶしゅうなかがわ高校。


 門柱にそう書いてあった。だが、それは想像以上に小さな公立高校だった。野球経験者としては、まずグラウンドを気にしてしまうが、お世辞にも広いとは言えなかったし、校舎こそ新しく見えるが、どこかわびしさを感じるたたずまいに感じた。


 そもそも、こんな田舎に高校を建てる意味がわからない。

 事前にもらった資料によると、創立は2020年頃だというから、すでに40年以上は経過しているが、少子化が続く中、こんな田舎に建てて人が来るのだろうか、という思いがあった。


 職員用の玄関から校舎に入って、廊下を歩き、校長室へと向かう間、授業が行われている教室を横目で覗くが、生徒の数がそもそも少ない。


 見たところ、一学年あたり3クラス。それも1クラスの人数がおよそ20人程度。そこから考えると、高校全体でも生徒数は200人にも満たない計算になる。


(ホントに大丈夫かなあ)

 日本史の教師として、初めて赴任する職場がこんな片田舎の辺鄙へんぴな場所で、俺は先が思いやられるのだった。


 3階にある校長室に着く。


 緊張しながらも、ノックすると。

「どうぞ」

 と声がかかる。


「失礼します」

 そう告げて、中に入り、扉を閉めると大きな両袖机の後ろに、オフィスチェアーに座った初老の男が座っていた。

 年の頃は50歳くらいか。顎鬚を生やした、少しダンディーにも見える、年齢の割には痩せた中年だった。


「本日、赴任しました森です。よろしくお願いします」

 着慣れないスーツ姿のまま、軽く頭を下げて、挨拶をした俺に、彼は、


「ようこそ、森先生。私は校長の秋山浩史あきやまひろし。こんな田舎まで大変だっただろう。まあ、座りなさい」

 そうにこやかな笑顔で言って、机の前のソファーを勧めた。


 丁寧な印象を受ける校長だったが、目の光が強く、鋭く見えるのが特徴的だった。

 ソファーに腰かけ、早速校長から説明が入る。


 その内容は、明日から「日本史」教師として働いてもらうこと、給料のこと、通勤経路などについてだった。


 それらは、事前に渡された資料である程度把握していたから、特に驚きはなかったのだが。


 その説明が終わった後、不意に秋山校長が発した一言は、俺には驚嘆すべき出来事の前触れを示すものだった。


「ところで、君の履歴は見たよ。元・高校球児で甲子園まで行って、プロにも注目されたとか」


「ええ。しかし、お恥ずかしながら肩を故障しまして」


「それは残念だったが、立派な経歴じゃないか」

 そう告げて、笑顔を見せた秋山校長が次に言った一言が俺の運命を決めることになる。


「その君の経歴を見込んで、頼みがある。女子硬式野球部の監督をしてくれないか?」


 だが、いきなりそう言われても、戸惑いしかないのも事実だった。

「女子野球部の監督ですか? いえ、でも僕は指導の経験なんてありませんし、そもそも資格とかいるんじゃないんですか?」

 つい、そう答えるのが精一杯だった。


 だが、校長は豪快な笑顔で笑いながら、

「そんなものいらないよ。実際、私立の高校では、教員免許すらない者を外部から呼び込んで、監督をやらせることもある。経験が大事なんだ。そういう意味じゃ、君は打ってつけの人材だ」

 とやけに俺のことを勧めてくる。


 後で思えば、これは「罠」だったのだが、その時の俺は当然、気づいていなかった。


「しかし、よりによって『女子野球部』ですか。そういうのは、女性がやった方がいいのでは……」


「そうなんだけどね。いないんだよ、人材が」

「はあ」


 思わず、何とも情けない溜め息を突いていた俺のことを気にもせず、校長は説明をしてくれた。


 昨今の少子高齢化の波は、「人材」すら奪っている、と。つまり、いくら女子に甲子園大会出場を認めさせたとはいえ、そもそも野球の競技人口も減り、それに伴い、指導者の数も減っているらしい。


 もっとも、プロ野球自体は今でも人気で、大勢の観客が球場に集まる、人気スポーツとして日本では依然として人気があったのも事実だったが。


 おまけに付け足すと、こんな田舎の高校に赴任したいという「物好き」がいないらしい。


 勝手に「物好き」にされてしまった俺だったが、さすがにこの場での決断ははばかられたため、


「少し考えさせて下さい」

 それだけを告げると、校長は嫌な顔一つせずに、頷き、そのまま明日からの手続きを進めてくれた。


 40分程度、話し込んだ後、校長室を出て、帰路に着く。

 その日は、本当に手続きだけだったからだ。


 職員玄関へと向かう途中、1階の1年生の教室の扉が開き、次々に生徒が出てきた。

 丁度、授業が終わったタイミングらしかった。


 賑やかな声が響き、若々しさが満ちている。


 つい数年前まで自分もその輪の中にいたのだが、高校生というのは、いつの時代も元気があり余っている。


 そんな賑やかな中を、奇異の視線を浴びながらも、何とか帰ろうとしていた俺だったが。


「あの……。もしかして森先生ですか?」

 不意に背中に響いた声は、どこか懐かしい声音こわねがした。


 振り向くと、見知った顔がそこにいた。

 正確には、見知った顔が成長していたが。


 セミロングの髪、大きな目、そして細い手足。身長が前に見た時よりも伸びており、160センチ近くはあるだろうか。

 黒のブレザーに身を包んだ彼女の名は「唯」だったはずだ。


「えっ。もしかして、唯ちゃん?」


「はい!」

 満面の笑みを浮かべ、小走りで駆け寄ってきた彼女は、かつて家庭教師として教えたことのある、潮崎唯しおざきゆいという名前の女の子だった。


 確か2年前は中学2年生だったから、今は高校1年生か。

「お久しぶりです! こんなところで会うなんて、どうしたんですか?」


 その鈴の鳴くような、綺麗な声が何とも心地よいものだった。2年前はまだ幼さの残る子だったが、子供の成長は早いし、女性は特に男性よりも精神面で大人になるのが早い。


 実際、子供のように、廊下でじゃれ合う男子生徒に比べ、女子生徒はどこか大人びて見えるから不思議だ。


「この学校に赴任したんだよ」

 そう告げると、


「ええ! 本当ですか? 嬉しいです!」

 その無邪気な瞳を向けて、彼女は喜びを表現していた。たちまち、大きな声に視線が集まり、ただでさえ生徒同士ではない俺たちは、周囲の視線を集めていた。だが、眩しい笑顔が懐かしいと思うと同時に、俺はかつてのことを思い出していた。


「そういえば、唯ちゃん。まだ野球やってるの?」

 彼女は、中学生の頃、野球部に所属し、ピッチャーとして活躍していた。俺が家庭教師として呼ばれたのも、そもそも彼女が野球漬けになって、勉強をおろそかにしていたから、彼女の両親が心配になって、呼んだのも理由としてあったからだ。


 つまり、彼女は「勉強が苦手」だった。反面、運動は得意で、ピッチャーとしてなかなかのセンスを持っていることを俺は知っていた。


「やってますよ。ただ……」

 そう言った後、彼女の表情が曇った。俯き加減になり、声のトーンを落としていた。


「ウチの学校、野球部はあるんですが、ほとんど休部状態なんですよ」


「休部状態?」


「はい。部員が集まらなくて」

 その時、丁度、次の授業の開始を告げる始業のベルが鳴り響いた。

 廊下に出ていた生徒たちが慌てて教室に入って行く。


 潮崎唯は、その光景を眺めながらも、横目で俺の方を見ていたが、

「それじゃあ、森先生。明日から、よろしくお願いします」

 「また」の部分を強調し、元気な声でそう言った後、廊下を走って教室へ去って行った。


 その懐かしい後ろ姿を眺めながらも、

(女子野球部か……。唯ちゃんがいるなら、まあやってみてもいいかな)

 我ながら、決意が揺らぐというか、見知った顔がいるだけで、少しは安心できると思っていた。俺はまだ決めかねていたが、それでも唯ちゃんの存在は大きかったのも確かだった。


 成長した彼女の「投球」を見てみたいという気持ちもあったからだ。


 だが、この時の「決断」が後々まで、「苦労」を呼び込むことになる。

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