6-2「明けた空に光明を見る・村井勇利」


 日本選手権前日、記者会見会場。その壇上に用意された席、村井勇利は有力選手の一人としてそこに座っていた。村井は国内でのレースの際は殆どこの前日記者会見を受けていた。初めの頃は、勝手もわからず余計な緊張をしていたものだが、今ではそんな事も無い。完全にリラックスした状態で、という訳にはいかないが、それでも慣れた感じで、何を話そうかなどと、壇上にて考えるくらいの余裕は持ち合わせる事が出来るようになっていた。


 今回の男子選手でこの会見を受ける選手は、村井の他に2名いた。

 一人は大室。昨年の日本選手権は2位で、夏合宿にも参加していた選手だ。

 もう一人は、朝川。彼は昨年3位だった。第一線で活躍するベテランという意味での抜擢だろう。


 会見は、それまでの他の大会とほとんど変わらず進行された。

 まず、各選手の自己紹介。次に今シーズンを振り返っての感想。最後に明日の日本選手権への意気込み。

 村井は、大阪城大会の時と違い、すべての質問に当たり障りの無い回答をした。


良いレースも悪いレースもありました。全力を尽くします。応援お願いします。…。


決して本心でない訳では無い。今の自分の心情から出た言葉であることは違いない。しかし、真に今の自分の心情を正確に言い表しているかというと、答えはNOだった。上っ面だけというと聞こえが悪いが、村井の心情の表面のみを切り取って言葉としただけの、いわば言葉としての芯の無い回答だ。

しかし、これは村井に考えがあっての選択だった。以前のように静かな闘志というか、他者を圧倒しようとするような発言も良い。それを求めている人がいることも知っている。しかし今回は、それを辞めた。変に事を荒立たせる必要も無い。特にチームとの折り合いがうまくいっていない今、村井としては「早くレースをさせてくれ!」という思いでいっぱいだった。

だからこそ、この会見では余計な事を言わない。聞かれたことに素直に返す。そして早く明日のレースを迎える準備をしたい。

それに今回は昨年以上に「追われる立場」だ。手の内を曝け出すような事もしたくなかった。それくらい、今回は勝利に対して固執している。

初めての経験では無い。むしろ、今までだって勝利に対しては、執着と言って良いほどに貪欲に求めていたし、固執していた。しかし、今回は今までのような純粋な「勝ちたい」という想い以外にも勝利を求める理由がある。だからこそ、今までの自分の在り方を変えてでも、「勝ち筋」を逃したくはなかった。



記者会見が終わり、選手に対する競技説明会が始まった。殆どのレースで、この競技説明会の進行方向のフォーマットは統一されていた。そうする事で、大会側の伝達ミスを防げるし、選手側としても内容を理解しやすい。

今回も他の大会とほとんど変わらぬ方法で説明が進行される。要所要所で、コース環境や、日本選手権特有のルールについての注釈が入るが、概ねいつも通りだ。コースに変更点がいくつかあった。ランコースの説明に移った。数カ所、昨年までとの変更箇所があった。


昨年の大会で村井は、ランの最後1,5km地点でスパートを仕掛け、並走していた大室を置き去りにし、そのまま優勝した。昨年村井がスパートを仕掛けた箇所、そこは変更されていなかった。

仕掛けどころとしては、あそこが一番村井にとってやり易かった。しかし、昨年やられた方法と全く同じ場所で、大室が同じ手に掛かるとは考え難かった。合宿でも感じたが、彼は村井に勝ち、日本チャンピオンの座を手にすることに尋常で無いほどの執念を持っている。とすれば、おそらく同チームのアシスト役の青木を使って、バイクで仕掛けてくるかして、ランを有利な展開で進められるように動いてくるだろう。少なくとも、昨年勝負所になったランの最後1,5km地点よりも手前で勝負を仕掛け、持久力勝負に縺れ込ませるだろうと村井は考えていた。

素直にその作戦に乗るか、それとも争うか。しかし、大室・青木のチームプレイは最早芸術の域にある。それに対してこちら側が出来ることなどたかが知れている。ならば、途中まで彼らの作戦に乗り、隙をついて仕掛けていくか。無難に術中にはまったフリをして、最後力でねじ伏せるのが一番ベストな展開だ。しかし、それだけの事を彼らに対して自分はできるのか。

しかも、敵は大室だけでは無い。朝川をはじめとする強豪選手はまだまだ沢山いる。それらの選手の目線は、おそらく全て自分に向いているだろう。現日本チャンピオン。新たな日本チャンピオンを決める舞台で、昨年度チャンピオンを無視する道理は無い。


自分以外、皆が挑戦者。


孤軍奮闘という言葉が、背筋を伝う。冷たい水滴を流し込まれたのかのように、胸の奥に暗いものが生まれる。自分という存在が、虚になり、大勢のライバル達に押し潰される光景が浮かぶ。万事休す。勝ち筋皆無。


しかし。しかし今年だけは。このレースだけは誰にも譲る訳にはいかなかった。

自分の勝利の前に立ち塞がるライバル達。自分の一挙一投足全てが彼らに監視され続ける今回のレース。正に四面楚歌だ。

しかし、だからこそ良い。

今回はどうしても勝利が欲しい。選手として求めるのはもちろんだが、それに加えて自分自身の価値を認めさせるためにも、今回はどうしても勝利が欲しかった。

だとすれば。これだけの困難な状況。その中で手に入れた勝利は、何物にも勝る武器となるはずだ。そしてその武器を手に入れる機会が、目の前にぶら下がっている。

誰も彼もが挑める訳では無い状況だからこそ、価値が生まれる。そこで得る勝利だからこそ、強みが生じる。


———最高だ。


表情を孕んでいなかった村井の口元に、不適な笑みが浮かぶ。本日初めて表情らしい表情が、その口元に浮かんだ。

皆が競技ルールの映し出されたスクリーンに視線を止める中、村井はその先を視ていた。

その瞳に映るのは、スクリーンからの機械的な光ではなく、もっとか細く、心許ない、しかし一直線に村井の元から先へと伸びる光の筋。


勝利への光明だった。

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