『よく働いた男』
よしふみ
『よく働いた男』
「―――ロクな仕事じゃねえよ。チェンソーで20メートルの高さの木を切り倒しちまって、そいつをトレーラーの荷台に積んでよ……重たい鎖でぐるぐる巻きにして固定しちまって……350キロ先まで運ぶんだぜ?」
『それでも儲かるんでしょ?』
「まあなあ」
『じゃあ、愚痴ってないで働きなよ。アンタが稼がないと、来月には新しく娘が一人、増えちまうんだ。州の手当てだけじゃ、足りない』
「分かってるよ。ちゃんと働くさ―――っと!!?」
『え!!?……何よ、どうしたの……?』
「……いや……その……」
『事故したの!?会社、クビになるわよ!?』
「……オレは道の真ん中を走ってただけだぜ。悪くはない」
『ちょ……ちょっと、その言い方……っ。まさか』
「見間違いかもしれないから。ちょっと……か、確認してくる……っ。電話、切るからな」
『待って――――』
妻との電話を切った男は、スマートフォンを作業着の胸ポケットにしまい込むと、二メートルの高さがある座席から、脂肪のたっぷりとついた重たげな腰を動かし……握力と腕力を頼りに、120キロの体重をぬかるむ砂利道にゆっくりと下していった。
「たくよお」
ブブブブ。
スマートフォンが鳴るが、気にしない。妻からの電話に出ている場合ではない。どうして彼女にはそれが分からないのか?……こっちは……。
「ヒトを、はねちまったのかもしれないっていうのにな……」
丸い月の光と、車のライトの明かりを頼りにして、男ははねた対象物を探した。
「くそが」
舌打ちした。ライトのすぐ下には衝突を示すへこみがある。そこには、体毛と赤い血液がべったりと付着している。ロードキル……動物をはねただけならばいいが。どうにもこうにも、そこにある茶色い巻き毛は、ヒトの毛髪のそれに見えた。
「道路のド真ん中だぜ……?しかも……こんな山奥の……っ」
靴底で地面をこするように膝を震わせながら、男はもじゃもじゃのヒゲを神経質な猿のように引っかきつづけた。
ブブブブ。
連絡を求め続ける妻からの信号に、男は出なくてもいいのに反応してしまう。
「もしもし」
『ど、どうなったの?』
「……死体は、見えない」
『死体って……それじゃあ』
「轢いちまったんだろう……どこか、そこらに転がっていると思う」
『思うって……さ、探しなさいよ?無事かも、しれないでしょ?』
「総重量12トンじゃ済まねえと思うんだが」
人間どころか、トナカイやホッキョクグマを轢いても肉片と血だまりだけにしてしまいそうな重量だと、男は考える。アラスカに暮らして長いが……デカい車にミンチにされた巨大な獣の残骸を見たことは、何度もあった。
『とにかく、生きているなら、救助しないと』
「……そうだが……生きては…………まあ、探す」
『電話、切らないで』
「どうして?」
『アドバイスしたい』
「お腹のガキに悪いに決まってる。やめとけよ」
『それでも。したいのよ』
「……分かった。スピーカーモードにしておく」
『ええ……』
男は胸ポケットにスマートフォンを突っ込んだまま、誰かを轢いたはずの左側のタイヤを調べる……。
死体はないが……巻き込んだのか、タイヤの周囲が赤黒く汚れているように見えた。
「……血がある」
『そ、それを追いかけたら、見つかるかも』
「だろうな、ナイスアイデアだ」
『馬鹿にしないでよ』
「しちゃいないよ」
本心からの言葉だ。まったくもって馬鹿になどしてはいない。皮肉を口にする余裕もない。
妻の判断も間違いではないかもしれないと、男は思い始める。アドバイザーが欲しい。自分はこんな状況には慣れていない。職務規定を無視してしまうほどには不安定だ。
連絡すべきはずだった。速やかに会社へ……弁護士とも相談し、法律の専門家を頼るべき事案のはずだ。あの髪の毛が、獣であるはずもない。
「どうなっちまうのか……」
『そ、そうよ。ど、どうなるの!?……もし、ヒトをはねていたら』
「……クビにはなるかも」
『そんな!?……相手が悪いんでしょ?』
「だとしても……やっぱり、ヒトを轢き殺したのは悪いことだろ」
『そうだけど……でも、来月には、子供が生まれるのよ?家族が、増えるのに?』
「……ああ。わかってる……ちょっと、探していいか。あれは、たぶん……老婆だったと思うんだ」
『徘徊老人なの?』
「……こんな人里離れた場所に?……町と町のあいだの荒野だぞ。狼だって群れでうろついているはずなのに」
『近くに、民家があるのね』
「……だと思う」
男は妻の言葉を耳から聞き流しながら、トレーラーの下を探す……真っ暗だ。スマートフォンのライトを使い、照らしてみる。頼りないが……ヒトの大きさの肉片なら見つけられなくもないだろう。
寒いアラスカの夜風を浴びているのに。
汗がじんわりと肌から浮かんだ。木こりの作業をしている時のようだ。大型のチェンソーで大木を伐る……嫌いではない作業だが。運搬までやらされるとは聞いていなかった。免許があるから?……だから、こんなに働かされて。こんな不運に巻き込まれた。
悪態をつきたい。
地団太を踏みたい。
この場に寝転がり、バカな犬みたいに背中を地面でこすってみたくもなる。
どうしてオレが、こんなことに巻き込まれなきゃならないんだ?
不公平だろう、何もかも。
額に浮かぶ不条理だと判断する現実への批判がこもった汗の玉が、男の眉毛にかかるころ……男は、老婆を見つけていた。
「あった」
『い、いたの!?生きてる!?』
あまりにも楽天的な言葉に、男は奥歯を壊れそうになるほど噛みしめていた。
「そんなわけねえだろ!!」
『ちょっと、怒鳴らないでよ……』
「……ごめん」
『……どんな感じ?』
「胎教に悪いと思うんだが」
『……いいから』
何がいいのか、まったく分からなかったが。男は老婆の死体を確認した。最初は何故だか冷静に観察が行えた。折れ曲がって潰れた体に、ヒトを認識することが困難だったからだ。ぐにゃりと曲がりながら潰れたその肉体。頭部は前後が逆で、腕は一本ない。
血まみれの体は真っ黒に見えたし。ズボンの中で脚は、何か所もヒドイ骨折があるのだろう。一般的なヒトとしてのフォルムから、あまりにも逸脱していた。時間をかけて、その観察は徐々に現実的な『死』を男に教え込み、やがて状況を把握した男は不快感に囚われた。
「うぐうううう!!うげ、うげええええ!!」
40分前に食べたハンバーガーが、胃袋から込みあがりそうになる。抑え込もうとしたが、どうにもこうにも無理だった……っ。胃袋からこみ上げる嘔吐物の逆流に、意志では逆らえ切れなくなり、豪快にそれを吐き散らす。
死体から離れた場所に逃げるように走り込み、死体を冒涜することはなかったのは救いだが。現実の重さを改善してくれるほどには、明るい材料でもなかった。胃袋の内容物を全て吐いて、酸味と痛みの伴う喉奥と鼻を衝く感覚に……男は口から粘り液のある唾液と、瞳から大粒の涙をあふれさせた。
「どうしよう。どうしよう!どうしよう!!ばあさん、ぶっ殺しちまったああああああああああああッッッ!!!」
脂肪のついた喉を震わせて……男は夜空に向かって叫んだ。妻は、慌てる。慌てながらも、知恵を使おうとした。正しくなかったとしても、この夫婦の……いや、家族の窮地を脱しなければ、すべてが終わりだ。子供が産まれるのだ!!
『埋めましょう!!』
「……は?」
『う、埋めちゃえばいいのよ!!』
「な、なにを言っているんだ!?」
『真夜中に、道端を歩いているお婆さんでしょ?……わ、私の祖母も、そうだったけど。認知症がヒドイのよ……常識外れの行動をしちゃうの。何だって、しちゃう。家族も、きっと、管理することをあきらめていた』
「だからって」
『そ、そんな年寄りと!!わ、私たちと、私たちの、赤ちゃん!!……ど、どっちが大事かなんて、言うまでもないでしょ!?』
「……っ!?」
『考えてよ。わ、私たち……子供が一人増えるの。刑務所なんかに行ってるつもり?違うわよね?』
「だが、バレるぞ……っ」
『バレないわ。ちゃんと、あ、洗えばいいじゃない。血も肉も、会社に行く前にどこかで洗って落としちゃえばいい。ホームセンターで、買えるじゃない。タンパク質だって、落とせるわ』
「タンパク質って、言うなよ!?」
『タンパク質だもの!!……『それ』は、ただのタンパク質で、それ以上でも、それ以下でもないものよ。ロードキルしたのと一緒。犬猫を轢いちゃったのよ。大型犬ね。い、いや、アラスカらしく狼とか!?』
「……本気かよ」
『……ほ、本気。しょうがないじゃない。お婆さんの方が悪いんだもの。それに、家族も、そんな徘徊老人が死んだことを、きっと……』
「悪く言うなよ」
『……うん。ごめん。でも……分かってよ。嘘の一つで、きっと、みんなが助かる。お婆さんは気の毒だけど。もう、死んじゃったのよ?……私たち、生きてる方が大切だわ。少なくとも、子供が大きくなって、私が仕事に出られるようになるまでは……刑務所なんて行ってる場合じゃないわ』
「…………そう……だな」
間違った道を選択したと、男は考えた。妻は賢いし大学出だ。この罪を何年か隠せれば、彼女が働きに出てくれる。そうすれば、子供たちは誰も路頭に迷うこともない。
それに。
上手くすれば。
自分の罪も消え去って。人を轢いたという罪と罰と、汚名からも自由でいられるかもしれない。刑務所に入る?……車道のド真ん中に飛び出してきた、狂ったばばあのせいで?そんなことで人生を棒に振るなんて、不公平だと男は感じた。
行動は早かった。
吐き気をこらえながらも、老婆を車の下から引きずり出した―――いや。違う。タンパク質を引きずり出した。やせ細ったそれを、路肩のくぼみに引きずって行こうとしたが、脚の一つがぶちりと付け根から取れてしまい、男は胃液を吐き出した。
黄色い強酸の嘔吐に、食道を痛めつけながら……子供みたいに大量の涙をこぼしつつ。男は、アラスカの固い大地をスコップで掘った……ぬかるんで通れない道があれば、自力で整備するために用意されていたものだ。
泣きながら、大きな穴を掘る。
犯罪者みたいだと思って、悲しくなるし、事実、彼はまさに法を犯しているさなかにあった。
「善い父親になりたかったよおおお……っ」
『なれる!!……そうなるための、し、試練だと、思ってよ……っ』
頼りになる言葉を耳にしながら、男はスコップを振るうことに必死になった。体中が熱くなるころ……男は、大穴を掘りおえた……そこに、折れ曲がったタンパク質を投げ捨てた。
冷たい土をかけていく。
これは作業だ。
安月給で、いくらでもしたじゃないか。
世の中はなんて不公平なんだ。
こんなにキツイ仕事をしているのに。どうして、オレは善良な父親にさえなれない。こんなに苦しんでいるのに。頭が悪いからか?天才じゃないからか?NBAプレイヤーやメジャーリーガーになれなかったせいで?だから、こんなに苦しいことをさせられるのか。
「はああああああ、ああああああああ、ああああああああああああ!!?」
『大丈夫!?ちょっと、大丈夫なの!?』
「だ、大丈夫だよ……っ。大丈夫さ。いや、違うかも。もう、オレは……くそ!!ばばああああああ!!お前のせいだあああああ!!!お前が、お前がいなけりゃ!!オレは、もっと善人でいられただろうがああああああああ!!!」
不条理と老婆に怒りをぶつけながら、スコップは冷えた土で……全てを隠し終えることに成功した。
立ち去る前に、ビールを使って……フロント部分の赤いタンパク質を流していく。震える指で、赤と白の付着物を流していき……茶色の髪の毛は、手のひらでこするようにして落としていった……。
「こんなことをしていれば。狂っちまうよ……」
『大丈夫よ。すぐに……終わるから……っ』
「泣いてるのか?」
『泣いてない……気にしないで。大丈夫。だから、がんばって。何も、考えないの。洗車しているだけよ』
「……そうだな」
そんな風に思うことなんて、どうしてもできなかった。荒野のド真ん中で、ビールと素手で洗車なんてしやしない。狂っていく。この作業の意味や、動きを精密に認識なんてするほどに、心は壊れてしまうに決まっているんだ……。
憔悴しきった男は。
運転席に戻り……しばらく猫のように丸まって。嗚咽もないまま、涙を流し続けた。
一時間が経ち。
目玉がすっかりと赤く腫れあがり、痛くなったころ。
脂肪のついた大きな尻は、座席にどっしりと座る。深いため息を吐く。首を振った。何かを捨て去るためには、動きによる誤魔化しが必要だ。頼りたかった、わずかな行いでも。ないよりましだ。
「……ヒーローからは遠い行いだ」
『違うわ。ヒーローよ、私にとっても、子供たちから見ても』
「…………うん。ありがとう……それじゃあ。帰るよ」
『待ってるわ』
スマートフォンの通話を終了して。男は、充電ケーブルにそれを差し込み……トレーラーを走らせようとして、気が付いた。
「……片腕」
あの老婆は……片腕がなかった。どこかに、落ちているのかもしれない……せっかく、死体を埋めたとしても……道端に腕が転がっていれば、すぐに他の誰かに見つかるかもしれない。
「どうしよう……」
妻に相談して大学出の知性を借りるべきか?……いや、妻だって、こんなことに長く突き合わせるべきじゃないはずだ。彼女は妊婦なんだし。だから。男は考えた。
トレーラーを200メートルほど蛇行させながら走らせて……停車させる。そこから降車すると、道を戻って歩いた。地面に落ちている老婆の腕を探したのだ。
車体の底のどこかに腕が絡んでいたとしても、蛇行しながら走ることで、揺さぶってやった。さすがに落ちているはずだ。だが、どこにもない。見つからなかった。
安心すべきだろうか?
……トレーラーの底に、まだ張り付いているだけだとすれば……。
長らく走り続ければ、やがて落ちてくれるだろうか。それを、誰も見つけずに済むのだろうか?それとも、街中で落ちたら?……何の保証も出来ない。それでも、男は疲れ果ててしまっていた。
疲弊した想像力と、追い詰められた心は、楽観であることを選んだ。
「きっと……道端に落ちてるババアの腕なんか……調べたところで……何の証拠にもなりはしないさ……町まで戻ったら……会社に戻る前に……洗車場で、下に潜り込もう。そうすりゃいい。そのときまで引っかかっていたら、回収して……どこかに埋めればいいんだ」
それで。
全ては終わるんだ。
男は疲れ果てた体で、座席に戻り。運転を始める……正気を保つために、ラジオに頼った。陽気なDJが、これほど頼りになると感じたのは、いつ以来だろう。睡眠時間を削りながら、長距離運転をし始めたころだろうか……。
「…………そうだ。オレは……がんばってるじゃないか。だから……見逃してくれ、婆さん」
彼女にも家族がいただろうが、妻の推察の通り、きっと孤独な立場だったのだろう。こんな場所で、見捨てられていた…………それは、とても悲しいことだ。だが、それでもガマンして欲しい。こちらにだって事情があるし、家族がいるんだ。
「オレは……間違っちゃいな―――ぐあああああッッッ!!?」
足首に、初めて感じるほどの強い痛みが走る。高校時代にアメフトのラインマンをしていた時に、酷い捻挫を二度ほどしたが、その時とは比べ物にならない痛みだった。
「なんだよおお!?」
ブレーキをかけてトレーラーを停車させる。右足首を見たが……何かが動いた。大蛇のような……だが、それほどは長くない何か。それが動いて、自分の脚から離れて、狭い運転座席の足元を、這いながらどこかに消えた。
動物。
動物。
動物。
……そうに違いない!!
「じゃないと、何だっていうんだよおおおおお!!!?」
パニックになりながら、助手席に移る。恐怖のあまり……男の太い腕は、護身用に備え付けてあるショットガンに手を伸ばした。使うつもりも機会もないものだった。あくまでお守りに過ぎない……。
それを手にした男は、痛む足に無理を言わせながら、車外へと飛び降りた。着地した瞬間に体重がかかり、右足が燃えるように痛む。何が起きているのか?分からないが、とにかく、血が流れている……。
「何なんだよ……っ」
文句を言いながら地面を転がり、足首を手探りで調べた。アキレス腱の近くに食い込んでいる何かがある。痛みの発生源だと思しきそれを、震える指で引き抜いた……。
「……何で……っ?」
理解は及ばなかったが。それの正体は分かる。爪だ。間違いなくヒトの爪。老齢に歪んで不健康そうなしわくちゃだし、泥だらけかつ血だらけではあるが、ヒトの爪に他ならないものであった。
それが、どういうわけか……。
右足首に食い込み、肉を穿つほどの深さで食い込んでいた?
ガチャン!
「ひい……っ!?」
ドアが開いていた。男が転がり落ちて来たのとは、反対側のドアだった。見えない。見えない。何がどうして開けたのか?動物は、そんなことしやしない。何が、どうやって開けたっていうんだ!?
混乱しながらも、男の震える尻は後ずさりする。健康な左足を使いながら、得体の知れない何かがいるトレーラーから……ゆっくりと逃れていく。離れたい。とにかく、危険なんだ。あれは、何かは分からないが―――いいや、認めたくないが、きっと。
「来るんじゃねえええええ!!!ばばああああああああ!!!」
威嚇する。追い詰められた悲鳴に似た叫びで。ショットガンを小脇に抱えたままのケツで這いずる逃避行……そんなことをしながらも、男はショットガンに弾を込める。
弾は外部に取り付けられている。二発だけ。十分だ。十分なはずだ。護身用のそれだ。トレーラーにトラブルが起きたときは、ショットガンをもって作業する。狼が出没する場所では、それが社内規定だ。ろくでもない護身の方法だ。こんな世界の果てなんかに、来るんじゃなかった!!!
「はあ、はあ!!はあ、はあ!!」
弾を込めた男は、太った腕でそれを愛車に向けて構える。どこにいるのだろう。ドアを開けて反対側に降りて行った、何かは……っ。
探す。
首を右から左に動かす。何度も視線を右に左に。探した。何かを。いや、あの老婆の体の一部を探している。敵意に蠢く、不気味な腕を。
「……っ!?」
右だった。その這いずる古い腕は、トレーラーの右側を蛇のように這いずって、男に近づいて来ていた。指がピアノ弾きのように動き、それを動力として、かなりの速度で這いずって動いている!?
「うあああああああああああああああああああああああ!!!?」
引き金を絞る。
外れた。
だから、慌てて、二発目を撃ち―――今度は、それを形が無くなるまでに吹き飛ばしていた。肉片が……散らばっている。骨片もだろう。非現実的な出来事に。男の心は、壊れそうになる。
だが。もう……終わった。
終わってくれた―――。
「―――ぐるるるるううう!!」
「え……っ!?」
狼がいた。二メートルほどはあろうかという、巨大な狼が。それも、複数だ。どんどん視界のなかに、それらは現れて……男を取り囲もうとしているようだ。
「銃だ!!銃があるぞ!!」
男は、威嚇するためにショットガンを掲げた。狼たちは、それに怯えて数歩だけ後ずさりするが、距離を保った。確かめようとしている。
何を?
ショットガンの弾が、本当に出るのかを?
「ふざけんな……っ。く、くそ……脚が痛えええっ」
それでも脚で地面をひっかくようにして、男はトレーラーに向かう。トレーラーにさえ戻れば、問題はないはずだ。そこまでは、狼どもも追ってはこない―――。
「―――ぐはああああ!?」
狼が出血している右足首に噛みついた。ボギリ!と破壊的な音がして、男の足首は狼のあごに砕かれていた。ショットガンで打ち付けようとするが、今度は、他の狼が、右手首に噛みつき、その動きを止める。
もちろん。
残酷な粉砕の音と痛みが走り、男の右手首も噛み潰されていた。狼たちは男が上げる悲鳴に勝機を感じ取ったのだろう……左腕に噛みつき、脇腹に噛みつき、男を引きずりながらトレーラーから遠ざけていく。
「いやだああああああ!!!!やめろおおおおおおおおお!!!!ひぐ―――」
狼の食欲に濡れた巨大な牙が、生臭く湿気た熱い息をまとったまま。脂肪のついた喉元に食らいついた。喉からあふれた血に、言葉は溺れるように沈む。
オレはきっと悪くない。
これはとんでもなく不条理なことに違いない。
オレのせいじゃない。
きっと―――きっと……。
ごぎゃり。
残酷で歪んだ音が響いて、噛み潰された男の喉からは大量の出血が始まった。意識はそう長くはもたない。恨みながらも、誰が悪いのか分からないまま、男の意識は狼の牙の前に閉ざされていた。
『よく働いた男』 よしふみ @yosinofumi
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