第22話 いざ突入、“鉄の国”
数日後、“鉄の国”ことアイゼンブルク帝国の宮殿で事件が起きた。
突然彗星の如く城壁を何かが飛び越えたかと思うと、一番高い塔に向かって突っ込み、塔の最上階を破壊したのだ。あまりの速さに、城壁に組み込まれている自動追尾魔法がほとんど起動せず、一部発動した攻撃もすぐに目標物を見失ってへなへなと宙を彷徨う羽目になった。
すぐさま宮殿の衛兵が駆り出される中、塔のてっぺんを破壊した張本人は、新鮮な空気を求めて荒い呼吸を繰り返していた。
「ァ、ハァ、ゼェ……おいリゼ、このウスラ馬鹿、計画と違うじゃねえかッ……」
すっかり目を回したキリル、堪らず壁にもたれかかってずるずると座り込んでしまった。傍らに転がる箒の柄の先で、ルビーの羅針盤がキラリと光って言葉を発した。
「ごめんごめん。最高速度で飛ばすのは初めてでね、調整が難しかったの。ブレーキ掛けるのがちょっと遅かったみたい」
「でもリゼ姉ちゃん、そのせいで衛兵がありんこみたいにわらわら集まって来るよ。あーあ、結局正面突破になっちまったな」
キリルの外套の胸元で、翡翠のブローチがスヴェンの声で呆れると、羅針盤がどこか申し訳なさそうにくるくると針を回した。
深紅の羅針盤の正体は、“11の魔女”リーゼロッテである。
キリルはリーゼロッテが開発した魔道具、その名も「ヘクセンベーゼン・Mark-VI」――要は空飛ぶ箒という奴を借り受けた。リーゼロッテは発明好きの魔女で、最近(とは言っても魔女基準の“最近”であり、実際はここ百年近く)は飛行系の魔道具の開発にのめり込んでいて、この空飛ぶ箒は六作目の試作品ということだ。
新作箒は従来品よりもスピードにこだわり、最高速度は前作の1.5倍を誇ると開発者は説明した。そしてこの最高速度航行は、本来馬車で一週間はかかる“
ちなみに一言添えておくと、乗っていたのが
「オェップ……あーくそ、気持ち悪……早いとこあいつを呼び出しちまおう」
キリルは中指に嵌めた銀の指輪をつるりと撫でた。たちまち柔らかな風が渦を巻いて、右目元の二つ黒子が印象的な長身の男が姿を現した。ユルギスの思念体だ。キリルはくしゃみして、不機嫌そうに鼻に皺を寄せた。
「上手くいって良かったな」
「顔と言葉が一致していないぞ」
ユルギスは気を損ねるどころか、拳を口元に当てて楽しそうに喉で笑った。その様を見てリーゼロッテは驚いてますます羅針盤をぐるぐる回した。スヴェンはブローチ姿ながら「気持ちは分かる」とでも言いたげだ。
本来の計画では、宮殿に辿り着く少し手前の地点で箒を降り、商人か何かを装って忍び込んだ後で、指輪を使ってユルギスを呼び出す手筈であった。結局は強行突破という形になってしまい、今にも衛兵や軍人が集まって来そうな気配はあるが、あの高い壁を越えてくる侵入者はそうそういないのだろう、警戒して即座に拿捕に来る気配はない。
予定と少し違う形で呼び出されたユルギスは、大体の事情を察したようだ。何も訊かずに本来の自分の務めを果たすことにした。
「本当にありがとう、キリル。この恩は忘れない」
「そういうの要らねえから、くしゃみ出る。ほらさっさと行け――ぇっくし」
柔和なまなざしを最後にキリルに投げかけて、思念体はふっと姿を消した。目に映らなくなっただけで、彼の思念体はこの場を漂っている。
気配が失せたのを確かめて、キリルは鼻を一つ啜って瓦礫の山と化した塔内を見渡した。
「それじゃあ、ちと予定が変わっちまったが……こうなりゃ混乱に乗じて動くほかねえ。おいハインリヒ、出番だ。準備は出来てるな?」
「無論ですとも」
留め具を外して荷袋の口を解くと、ハインリヒを先頭にアウレリア騎士団がぞろぞろ、ぞろぞろと雪崩れるように出てきた。キリルは城を出る前に、騎士団のうち人身警護に特化した近衛騎士たちを国王・王妃の傍に残し、他の全員を荷袋に詰め込んで来たのだった。それというのも、王子を奪われた騎士たちたっての頼みがあったからである。
荷袋から騎士たちが這い出る間、キリルはリゼから魔道具を受け取っていた。ラッパ型のそれは拡声魔法の掛けられた道具で、声を遠くまで響き渡らせるものだ。
「あーあー、マイクテス、マイクテス――うわうるっせェなコレ!」
拡声器に向かって試しに話しかけると、キリルの声はつんざくような音量で辺りに轟いた。思わず顔を離して悪態をつく。ハインリヒが髭を揺らして笑って、キリルから拡声器を受け取った。
「では、奴らも魔法の袋から出しましたら、後のことは我らに任せて、貴女は王子を」
「合点承知。上手くやれよ。相手は“鉄の国”、技術も軍事力も世界一だ」
一つ頷いて、呼吸を整えたハインリヒは、今しがたキリルたちが塔の壁に空けた穴に向かって進み出て、拡声器を使って朗々と呼び掛けた。
「アイゼンブルク帝国、“鉄の国”よ。我らは“茨の国”ことアウレリア王国が騎士団である」
キリルの時とは違い、ハインリヒの深い響きの声は優しい音で人々の耳に届いた。しかもハインリヒは反響音も考慮しながらゆっくりと発音しているので、より言葉が聞き取りやすい。やはり人の上に立つ奴は違うとキリルは思った。普段から指示出しに慣れる者は、どうすれば自分の声がよく届くか心得ているものだ。
キリルは荷袋から今度は捕虜となった竜滅兵たちを引っ張り出した。武装解除された彼らはすっかりやつれているが、「王子と引き換えに祖国に帰してやる」と提案すると少し元気づいた。
「我らの要求はただ一つ、貴殿らが連れ去ったベルフォート殿下の身柄を解放せよ。さすれば貴殿らの兵は返還しよう」
「さて、あたしは行くよ。リゼ、あんたは騎士たちについてやんな」
「キリル殿、お気をつけて」
リーゼロッテと騎士たちに片手を振ると、キリルは荷袋から黒い頭巾を取り出して被り、顎下で留め具をぱちんと留めた。するとたちまち、キリルの姿は空気に溶けるように消えてしまった。この頭巾は“姿隠しの頭巾”といって、人の目に映らなくなる魔道具だ。
キリルは穴から塔の外へと躍り出て、外套の前ボタンをすべて開けて宙に浮くと、そのまま空を歩いて行った。時折立ち止まっては地上の人の流れをよく観察している。
「帝国があんな提案に易々乗るわけがねえ。ベルをもっと上手く隠そうとして、誰かがそっちに行くはずだ」
「さすが、目の付け所が盗賊だ」
ブローチ姿のままのスヴェンが相槌を打つ。
「あっちの方、兵士の一団が慌ただしく逆走してるぞ。侵入者の対処に動いてる訳じゃなさそうだ」
「確かめる価値はありそうだな。行ってみるか」
外套のボタンを一つ留めるごとに、キリルはふわふわと高度を下げていった。すべて留め終わって音もなく着地すると、姿を隠したまま兵士の一団をこっそりとつけて行った。
兵士たちはとある棟に入ったかと思うと、すぐに地下へと降りて行った。ぐるぐると螺旋階段を降りた先には鉄格子の扉の嵌まった地下牢が連なっていて、時々更に下へと続く階段も見られた。その一つを使って下階へ降り、奥まったところで、兵士たちは立ち止まった。誰かを閉じ込めている牢の前に、一人の竜滅兵が見張りに立っていて、彼に向かって兵士の一人が詰め寄った。
「おい、“茨の国”に行った竜滅部隊が捕虜になって、引き換えにそこの王子を要求されているぞ」
「大勢で押し掛けてきたと思ったら、一体何を言っているんだ? 早く持ち場に戻れ」
「本当だ。上じゃあ今、“茨の国”の直属騎士たちが乗り込んできて、大変な騒ぎになっているんだぞ。元はといえば貴様ら竜滅部隊が無茶な作戦行動を図ったせいではないか、どう収拾をつけるつもりだ?」
「それを俺に訊くのはお門違いだ、あの作戦は国軍総司令のご判断によるものだ。ここへ何をしに来た? 騒ぎ立てる方が余計に侵入者の思う壺だろうが」
「おーおー、まったくその通り」とキリルは離れたところで小さく呟いた。竜滅兵が番をしているその牢の奥に、暗闇でも美しい金の髪が見えたのだ。兵士たちは見事にキリルを王子の元へ案内してくれたのである。
それから暫しの間、番を続けたい竜滅兵と、王子を別の場所へ移送したい兵士たちとの間で押し問答が繰り返されたが、上層部から正式に指示のない兵士たちに軍配が上がることはなかった。兵士たちは渋々引き下がり、牢の前には番兵一人が残された。
それを見届けると、キリルは荷袋から古びた書物を取り出して、スヴェンに「耳があるなら塞いでろ」と指示した。広げた書物に書かれている言葉を、小さく、ゆっくり読み上げると、何やら声の聞こえた番兵ははじめ何事かときょろきょろ辺りを見回したが、次第に目が虚ろになっていき、やがてぱったりと地面に倒れてしまった。
「よし、済んだぜスヴェン」
書物をパタンと閉じて合図すると、ブローチがぽーんとはじけ飛んで、灰色の髪に蔦の絡んだ少年の姿に変わった。かと思うと、翠色の目をひん剥いてキリルに詰め寄った。
「やいゴリラ。今のは呪いの品だろ! 読んだら精神イカれるって代物だ、それをこんなことに使いやがって!」
「あたし平気だもーん。要は全部聞かせなきゃいいのさ。半分も読み上げてねえから、半日もあれば正気に戻る。さ、早いとこベルを連れてハインリヒたちと合流しよう」
格子戸の錠前を針金で器用に開けて、キリルは中へと滑り込んだ。
牢の中の粗末なベッドに、ベルは鎖の付いた鉄枷を嵌められて横たわっていた。少し揺すったが瞼が開く気配はない。息も脈も確かめられてホッと息を吐いたものの、キリルの眉はひそめられている。
「魔法を受けた痕跡があるな。〈茨の魔法〉の在処を誰かが吐かせようとしたのか……ったく、仮にも王子だぜ、拷問はコクサイホー違反だって知らねえのか?」
「お前どの口で言ってんの? ……この魔法痕、ランプレヒトだ、間違いない。賢者の魔法の残滓がある」
ベルの腕に残る魔法痕を見て、スヴェンが言った。
「王様にかけられてた〈操り人形の呪い〉は魔女たちにも分からないくらい上手に隠されていたけど、これは隠す気もなかったんだろう。これでいよいよ〈茨の魔法〉をランプレヒトが狙ってるって話が真実味を増してきた。ユルギスの奴は可哀そうだけど……」
ユルギスを思って声を落とすスヴェンだったが、一方でキリルはふんと鼻を鳴らした。
「同じ賢者同士、てめえで始末つけるさ」
「お前ホント、ユルギスには冷たいよなっ!」
「うるせえ。で? ベルが呪いにかけられてたりはしねえだろうな?」
「ざっと調べた感じでは問題ないよ。でも今すぐには目覚めないと思う」
「んじゃあコレぶっ壊してさっさと行こう。見張り番の交代が来たら面倒だ」
そう言うが早いか、キリルは頑丈な鎖を引きちぎり、慣れた手つきで鉄枷の錠前に針金を差し込んで外してしまった。そして手足の自由になったベルを荷袋に入れて、姿隠しの頭巾をもう一度キッチリ被って、ブローチ姿のスヴェンがしっかり胸についているのを確かめると、元来た道を歩いて行った。
誰とも出会わずに地上に出て、無事にハインリヒたちと合流できそうだと胸を撫で下ろしたその時、キリルは強烈な視線を感じてはたと動きを止めた。
ぎこちなく、広場の方を振り返る。
――縦長に切り込みの入ったような、鋭い瞳孔が、キリルをじっと見ていた。
(はァ!? 何だって竜がこんなとこにいるんだよ!)
(おいらだって知らないよっ! さっきまでいなかったのに……!)
キリルとスヴェンは声にならない声で叫び合った。
広場のど真ん中に、先ほどまではいなかったはずの真っ青な鱗をした竜が、鎖に繋がれて鎮座していた。ベルを連れ去ったと同じあの竜が今、黄金の双眸を真っ直ぐキリルに向けて外さない。
(え、これってバレてる? この竜、あたしをバッチリ捉えてるカンジ?)
キリルはそぉーっと、視線を竜から離さないまま、横へ移動してみた。大きな竜の視線がそれに合わせて、そぉーっと、動いた。見えている。魔道具の頭巾で姿を隠しているというのに、しっかりバッチリ姿を捉えられている。
万事休す。そう覚悟を決めた二人だったが、ふとキリルがきょろきょろ辺りを見回した。
「誰かあたしのこと呼んだ? スヴェン、お前?」
「こんな間近で呼んだら分かるだろ。おいらじゃないよ」
「でも近くに人なんかいねえし……まさかこの竜ってわきゃねえよな」
すると竜がぐうんと首を下げてきて、鼻先がキリルすれすれにまで近づいた。思わず後ずさるキリルだったが、しかしある可能性に思いが至って、ヒクリと口の端を引きつらせて笑った。
「なあスヴェン。もしかすると、これはもしかするかもしれねえぜ。賭けに乗るか?」
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