第6話 ノット・オーダリー・ナイトフォール

*登場人物

斎賀佳史さいがよしふみ:三十路ちょっと手前の二十代の男性。営業部所属。何事もそつなくこなす、俗にいう「できる」タイプ。

鳥辺和樹とりべかずき:斎賀より二つ年下で同所属。女の子大好きで見境なくナンパする男。素直で人懐こい鳥頭。



*以下、本文


場:温泉旅館の廊下、大浴場から部屋へ戻る途中

SE:全編通じて小川のせせらぎ音と鹿威しの音を流す。ただし、在室のシーンは音量を控えめに。旅館をスリッパまたは草履で歩く音


鳥辺「大丈夫ですかー、斎賀さん」


斎賀「(鼻を押さえているので、ここからずっと鼻声で)……うん」


鳥辺「もうすぐお部屋ですからねー」


斎賀「うう……ごめん」


鳥辺「肩貸すくらいお安い御用ですよ。よいしょっと」


SE:旅館の部屋の扉を開けて入る音


鳥辺「あ、もうお布団敷いてありますね。ちょっと横になるといいですよ」


SE:どさっと布団に倒れ込む音、その傍らに座る音


鳥辺「斎賀さん、顔真っ青ですよ。はい、これで首と脇冷やして、氷握ってください。扇風機もつけますね」


斎賀「うん」


SE:扇風機の音


鳥辺「アイスバッグまで届けてくれて、仲居さんほんと親切ですね。ご飯もおいしかったし、アットホームっていうか、心づかいの宿っていうか」


斎賀「……迷惑かけちゃってほんとに情けない……」


鳥辺「脱衣場で鼻血出すんでびっくりしましたよ。のぼせたんでしょうね。やっぱり飲んだ後の長風呂はだめですよ」


斎賀「君だって同じなのに……なんでけろっとしてるんだ」


鳥辺「んー、いろいろと鈍感だからですかね?」


斎賀「君の鈍感は度が過ぎてるよ」


鳥辺「(屈託なく笑う)」


斎賀「鳥辺くんってカラスの行水のイメージだったのに、あんなに長風呂すると思ってなかった。うちでシャワー借りたときはすごく早かっただろ」


鳥辺「シャワーって時間かかんないでしょ」


斎賀「そうだけど」


鳥辺「僕、温泉なんてめったに来ないんで、成分をしっかり吸収しようと思って長風呂してたんですよ。斎賀さんまでつきあわなくてよかったのに」


斎賀「……俺がつきあいたかったんだよ」


鳥辺「のぼせて寝込んじゃったらこの後のお楽しみがおじゃんになるのに」


斎賀「……!」


SE:畳の上にぱたたっと血が落ちる音


鳥辺「あっ! まだ鼻血止まってなかったんですね。もう、しっかり押さえててくださいよ」


斎賀「あ、あのっ、鳥辺くん、お楽しみっていうのは」


鳥辺「(照れ笑いして)そりゃ、夜のお楽しみといったらあれしかないじゃないですか」


斎賀「(間をおいて、固唾を飲んでから)……俺、その……そのつもりはなかったって言ったら噓になるけど……心とか、体の準備とかもできてないし……(気弱そうに)でも、君が望むなら応えようと思う」


鳥辺「(被せて、しれっと)鼻血出してちゃ無理だと思いますよ。安静にしててください」


斎賀「鼻血なんてすぐ止まるよ。……だけど、その、やっぱり初めてだし、優しく……」


鳥辺「(被せて、すごく得意そうに)ここ、混浴露天風呂があるんです。斎賀さん、知ってました?」


斎賀「……は?」


鳥辺「混浴ですよ、混浴! 僕、混浴って入ったことないんですよ。なんか、ときめきません? 温泉ならではの最高のお楽しみじゃないですか?」


斎賀「は?」


鳥辺「(楽しそうに)行きずりの女子と嬉し恥ずかし裸のつきあいですよ? ここの温泉、濁り湯なんで水面下が見えないのがちょっと残念ですけど、気分ぶち上りますよね?」


斎賀「(トーンダウンして)いや全然」


鳥辺「もー、斎賀さん、男に生まれたからにはいっぺんくらい混浴で女子と語らってみたいとか思わないんですか」


斎賀「全っ然」


鳥辺「斎賀さんは片思いの人にみさお立ててるから興味ないんでしょうけど、僕は行きますからね!」


斎賀「風呂はさっき入ったろ?」


鳥辺「僕はこの一泊で最低四回は入るつもりですから」


斎賀「混浴風呂なら入ったことあるけどそんな大したもんじゃないって。行かない方がいい」


鳥辺「斎賀さん、経験者のくせにそうやって未経験者をブロックするようなこと言うのってこすくないですか」


斎賀「だいたい混浴風呂に入ってくる女は男連れか女捨ててるかとんでもない地雷の三択だよ」


鳥辺「いいんです、何事も経験です! 経験さえできればいいんです」


斎賀「……俺がこんなに行くなっていうのに行くんだ」


鳥辺「ごめんなさい。男には火傷するとわかっていても火遊びしたいときがあるんです」


斎賀「火傷は痕が残るからやめろ」


鳥辺「安静にして待っててくださいね! じゃあ後で!」


斎賀「鳥辺くん、待ちなさい! 鳥辺くん!」


SE:旅館の部屋の扉を開けて出ていく音


斎賀「(しばらく間を置いてから独白)俺、何やってんだろう……(間をおいて、大きくため息をついて)俺、あいつがあんな奴だってよくわかってる。これからも多分変わらない。俺が好かれる日なんて絶対来ない。ああ、でも、さっき鳥辺くんのカラダ、ヤバかった……脳のブレーカーが落ちる音、初めて聞いた……鼻血が出てラッキーだったかもしれない、俺の下半身からみんなの視線がれたからな……。こうやって思い出しただけでもヤバい。変態か、俺は変態なのか。何なんだろう、俺のこの感情。これが切ないってやつか……でももっと濁ったもののような気もする。ああ、目からゲロが出そう……つか出てる」


SE:旅館の部屋の扉を開けて入る音


鳥辺「(元気なく)ただいま」


斎賀「(ちょっと鼻をすすり、動揺しながら)……お帰り。早かったね」


鳥辺「はい……先客がいて」


斎賀「先客? 男?」


鳥辺「いや、それがすごくきれいなおねえさんで」


斎賀「(声が裏返りかけて)よかったじゃないか」


鳥辺「先に岩風呂ちょっと確認してから、ラッキーと思って脱ごうとしたところにガタイのいいおじさんが来て……多分おねえさんの連れだと思うんですけど、……僕にガン飛ばしてから、さっと脱いだんです」


斎賀「うん、それで」


鳥辺「そのおじさんの背中に、すごく鮮やかな唐獅子牡丹が」


斎賀「えっ」


鳥辺「で、急いで引き返してきました」


斎賀「君にしちゃ賢明だ。変に絡まれなくてよかったよ」


鳥辺「がっかりですよ、もう……あー、もう寝よっかなー」


SE:布団に寝転がる音


斎賀「よしよし、ちゃんと状況判断できてえらいえらい。頭ナデナデしてやろう」


鳥辺「斎賀さん、僕はいい大人なんですけど」


斎賀「混浴に憧れる時点でいい大人とは思わない。でも嫌だったらやめる」


鳥辺「あ、嫌じゃないです。こうやって撫でてもらってると、意外といいなって思って自分でもびっくりです」


斎賀「いいなって?」


鳥辺「子どもの時のこと思い出して……」


斎賀「そうか」


鳥辺「斎賀さんって、僕によくしてくれるでしょう? 仕事でもこうやってプライベートでもいろいろつきあってくれるし、優しいし、諌めてくれるし……こんなに一緒にいて落ち着ける人、他にいませんよ。(間をおいてしみじみと)……斎賀さん、あの、こういうこと言うと気持ち悪いと思われるかもしれませんけど……」


斎賀「え、何? 気持ち悪いとか思わないから言ってみ」


鳥辺「あのー、斎賀さんとこうしてると、家族っぽいっていうか、安心するっていうか……なんか、兄がいたらこんな感じかなって思うことがあります」


斎賀「兄」


鳥辺「斎賀さんみたいに仕事ができてシュッとしたイケメンが兄だったら僕すごく自慢してたのになぁ……あれ? どうしました? やっぱり馴れ馴れしすぎました?」


斎賀「いや、うーん、えっと……いいことを考え付いた……いや、前から考えてたことなんだけど」


鳥辺「なんですか?」


斎賀「鳥辺くん、一緒に住もう」


鳥辺「は?」


斎賀「君は俺を親しく思っているようだし、俺と住めば家賃も浮くだろう? 人妻とつきあったのが旦那にばれて慰謝料で貯金ゼロのくせに」


鳥辺「だって既婚者だって最初知らなかったし……って、何で知ってるんですか?!」


斎賀「この間、酔っぱらって自分で言ってたじゃないか。社宅の家賃を天引きされるのすらつらいから彼女作って部屋に転がり込みたいって」


鳥辺「……他人ひとの口から聞くと、僕って最低ですね」


斎賀「うん、そうだな」


鳥辺「こんな最低なやつに、どうしてそこまでしてくれるんですか?」


斎賀「ほっとけないから」

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