第5話 ラッシュ・サマー・ラッシュ

*登場人物(詳細はこれまでのエピソード参照のこと)

斎賀佳史さいがよしふみ:三十路ちょっと手前の二十代男性。営業部所属。何事もそつなくこなす、俗にいう「できる」タイプ。

鳥辺和樹とりべかずき:斎賀より二つ年下で同所属。女の子大好きで見境なくナンパする男。素直で人懐こい鳥頭。

三宅みやけ:斎賀と同期の女性。仕事をバリバリこなす総務部の華。斎賀にふられたことがあり、鳥辺に口説かれたことがある。


*以下、本文


場:総務部のオフィス

SE:オフィスの退勤時のざわめき


鳥辺「三宅さーん!」


SE:早足で近寄る音


三宅「どうしたの鳥辺くん」


鳥辺「この間商店街の福引きで、温泉旅館一泊のペアチケット当てたんです!」


三宅「(冷ややかに)あらおめでとう。それがどうかした?」


鳥辺「使用期限が今月までなんですよ。今週末、よかったら僕と一緒に行きません?」


三宅「行かない。なんで私を誘うのよ」


鳥辺「だって……いつもお世話になってますし、お礼にって」


三宅「(被せて)田中さんは誘わなかったの?」


鳥辺「いや、あのー、それはですね」


三宅「(被せて笑って)田中さんに断られたから私のとこに話を持ってきたんでしょ」


鳥辺「あはは……ばれてました?」


三宅「あはは、じゃないわよ。馬鹿にしてるにもほどがあるでしょ?」


鳥辺「(神妙に)……すみません」


三宅「そういう無神経さ、なんとかしなさいね。そんな風だから女子社員はみーんなあなたのこと相手しなくなったの、まだわかんないの?」


鳥辺「え? そんなことになってるんですか?!」


三宅「あなた、誰でも構わず口説いてるでしょ。そんな人とつきあいたいなんていないわよ」


鳥辺「つきあってくれさえすれば僕は彼女一筋ですよ。金遣いが荒いとか、すぐ殴るとか、浮気したりとか、そういうんじゃなかったら大歓迎です……っていうか、なんか暑くありません? 総務部のエアコン、壊れてるんですか?」


三宅「そうなのよ、明日には新しいのに取り換えてもらえるみたいなんだけど。ほら、皆ラフなかっこしてるでしょ」


鳥辺「部長も課長も、ネクタイまでとっちゃって販促の団扇ぱたぱたやってますね」


三宅「背に腹は代えられないわよ」


鳥辺「ですよねえ。僕もちょっとネクタイ緩めていいですか」


SE:ネクタイを緩め、襟元を少しくつろげる程度の小さな衣擦れ


三宅「あっ!」


鳥辺「どうしたんですか?」


三宅「(小声で)あなた、襟足!」


鳥辺「襟んとこがどうかしました?」


三宅「(小声で叱って)赤くなってるわ!」


鳥辺「え? ケガでもしたのかな」


三宅「いいから、シャツのボタンを一番上まで留めて!」


鳥辺「えー、暑いのに」


三宅「そんなの公衆の面前に曝さないでよね! 破廉恥でしょう!」


鳥辺「(心底不思議そうに)僕、なんかしました?」


三宅「心当たりないの?」


鳥辺「ごめんなさい、何のことだかさっぱり」


三宅「(深いため息、呆れたように)襟足のとこに赤い虫刺されみたいな痕があるのよ……昨晩はお楽しみだったんじゃないの?」


鳥辺「昨晩? (楽しそうに)ああ、斎賀さんと宅飲みしました! 斎賀さんがいいポン酒あるからって誘ってくれて、そのまま泊めてもらったんですよ。今朝起きたらパン1で……(笑ってから、首筋をさすって)何かにかぶれたのかな」


三宅「(呆れて)ああー……あいつ何やってんだか」


鳥辺「あ、それか、このワイシャツ、斎賀さんが着て行けって貸してくれたんで、洗剤が合わなくて発疹が出たとか……」


三宅「彼シャツ……べたなことやっとるわー」


鳥辺「え?」


三宅「ああ、なんでもないの、独り言よ。ところで、その温泉のチケット、なかなか引っ掛かんない女子を追いかけ回すより、もっといいことに使ったら?」


鳥辺「いいこと?」


三宅「例えば、日頃から迷惑ばっかりかけてるとか、いつもいろいろお世話になってる人とかにプレゼントするとか」


鳥辺「だからこうして誘ってるじゃないですか」


三宅「あのねぇ、私よりもずーっと鳥辺君を気にかけて大事にしてくれてる人、いるでしょ? 女子とか男子とか関係なく、身近な人に日頃の感謝を伝えるのって大事よ」


鳥辺「身近な人……?」


三宅「そうね、斎賀さんとかどう? いつも迷惑ばっかりかけてるんじゃないの? たまにはがっつりお礼でもしてみたらいいじゃない」


鳥辺「あ、そうか!」


三宅「喜ぶわよ、絶対」


鳥辺「斎賀さん好きな人がいるって言ってたんでペアチケット渡して、二人で行ってきてくださいって言ったら喜びますね!」


三宅「うーん、斎賀さんはを誘うと思うけど?」


鳥辺「え……なんで?」


三宅「えーと、仲良しさんだから」


鳥辺「いくら仲良しって言っても、斎賀さんは片思いのお相手を優先すると思いますよ?」


三宅「あー、そこんとこは深く考えない方がいいわ。とにかく、私は忙しいの、もうこれ以上あなたの相手はしてらんないわ。あっちに行って。仕事の邪魔」


鳥辺「いいことを教えてくださってありがとうございました! このお礼は後で必ず」


三宅「(ちくっと良心の呵責を滲ませて)お礼なんかいいけど……ただ、あなた、自分を大切にしなさいよ? いやなことはいやだってはっきり言わないとだめよ?」


鳥辺「(不思議そうに)どうしたんですか、急に」


三宅「……いいの、なんでもないわ。さ、邪魔だっていってるでしょ! とっとと自分の巣に戻んなさい!」


鳥辺「(明るく)はいっ」


SE:遠ざかるビジネスシューズの足音


三宅「(独り言)やれやれだわ。佳史、貸しを作っといたわよ」



場:営業部のオフィス

SE:近づいてくるビジネスシューズの足音



斎賀「(苦々しげに)鳥辺君、どこ行ってたんだ」


鳥辺「総務部です」


斎賀「だろうな。暑苦しい顔して」


鳥辺「斎賀さん、ちょっといいですか」


斎賀「なんだ」


鳥辺「今週末、空いてます?」


斎賀「事情によっては空けるけど。何か用事?」


鳥辺「今月末まで使える温泉宿のペアチケットがあるんですけど、行きませんか」


斎賀「温泉? この暑い時期に?」


鳥辺「夏の温泉、嫌いですか?」


斎賀「いやっ! 失言だった! オールシーズン、温泉は大好きだよ」


鳥辺「よかった! これ、日頃お世話になってる斎賀さんへ感謝の気持ちを込めて贈呈しますんで、斎賀さんが好きな人誘ってください」


斎賀「(呟いて)温泉……泊まり……旅行……非日常……浴衣姿……大浴場……(間をおいて震える声で)鳥辺くん」


鳥辺「はい」


斎賀「(はしゃぐ気持ちを抑えて若干高圧的に)俺と一緒に温泉に行こう」


鳥辺「昨日も宅飲みしたのに…… 野郎と行って楽しいですか?」


斎賀「楽しいよ」


鳥辺「僕、斎賀さんと片思いの人が行けばいいと思うんですけど」


斎賀「俺は鳥辺くんと行きたい」


鳥辺「(呆れたように)斎賀さん、相手の人にまだ告ってないんですよね? 逃げてたらいつまでもいい仲になれませんよ? 誘わなきゃ」


斎賀「つべこべ言わず、一緒に来ればいいんだよ!」


鳥辺「まあ、斎賀さんがそれでいいなら一緒に行きますけど」



――終劇

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