第2話 次はない

「……やられましたね」

「致し方ない。……奴らの目的はわかっている。追跡の必要もないな」

「ええ。むしろ追跡に気付かれると、国際問題になりかねません。イツキ国は謎の多い国ですし……」


 学院のとある一室にラザール・シュバリエの研究室から回収した遺物を集め、『円卓の騎士団ナイツオブラウンド』の手掛かりを得るため、一部をカレリア本国へ持ち帰ろうとしていた矢先だったという。イオリアから報告を受けたクラウスは、部屋の惨状を視力以外の感覚で察した。

 種別ごとにきれいに並べられていたはずの研究遺物はバラバラに散乱し、中には砕かれているものもある。イオリアによると、幾つかの遺物は紛失しており、持ち去られた可能性があった。そして、それを持ち去った容疑者と思われる人物が、同時に学院の医務室から失踪していた。


「失踪したのはアズサ・ユズリハだけか」

「いえ、ユカ・ドゥアンと名乗っていた女もいなくなっています。さすがにあれだけ衰弱した状態では、アズサひとりで医務室から出るのも難しかったかと」

「それはどうかな」

「……と、いうと?」


 イオリアの問い返しには答えず、クラウスは破壊された遺物のひとつを手に取った。触れてみると遺物は、破壊、粉砕された、というよりは、何か鋭いもので切り裂かれた様子があり、それを欺瞞しようとバラバラにされているような印象をクラウスは持った。

 滑らかな切り口が残る残骸に触れると、ふと先日、あの『東の尖塔』での戦いを思い出す。あの戦輪チャクラム。あの切り口が異常なほど滑らかなだったのは、おそらくあれが水の魔力を宿していたからだ。鋼で押し切るだけではない、不定形でありながらあらゆる干渉を断ち切るだけの靭性を宿しもする、水の力。


「イツキ国か」


 アズサ・ユズリハ。

 ユカ・ドゥアン。

 次に会う時は名前も、姿さえも異なるかもしれない密偵たち。

 果たして彼女たちは敵となるのか。

 いずれにしても、一筋縄ではいかない相手がまた現れた。

 それでも。

 それでもおれが成すべきことはただひとつ。

 クラウスがそこまで想った時、クラウスの意志を引き受けるように、腰に佩いた百魔剣『雷切らいきり』が光を発した。発した光は魔力となってクラウスの身体へと流れ込む。失われたクラウスの視力が一時的に回復し、瞼の奥から魔力の光と同じ青い瞳が周囲を見た。

 瞬間、クラウスは何かを感じて斜め上を見上げた。そこには大きな窓があり、窓の向こうには学院を彩る並木と青い空があった。


「……騎士長?」

「……いや」


 

 そう想って顔を伏せたクラウスは、意識的に昂った魔力を解除した。





「怖っ、あの人、気付いてたよ。こっち見たもん」

「クラウス・タジティ元神殿騎士団長……いまはサムライの剣を身に付けた武芸の達人にして聖女シホ・リリシアの私兵。やっぱり油断ならない男ね」

「サムライの剣って、うちの諸島の戦士団の『サムライ』のこと?」

「ええ……しかもあの古強者、ドウセツの愛弟子。できることなら、敵にしたくはないわね」


 学院の並木はどれも巨木であり、二人の女子が幹に腰を掛けることは造作もないことだった。ただ、彼女たちがいまいる場所が、どんなに木登りが上手くとも、常人にはたどり着くことが困難な幹の頂点付近であることを除けば。


「あなたのせいでとんだ苦労をしたわ。密偵が囚われるなんて、死と同義だと教わらなかったの?」


 ラザールの研究成果の一部を持ち出し、他のものを破壊した。気付かれるのはもっと後になると予想したが、自分たちが姿を消す前に察知された様子があったため、二人は相手……シホらカレリア教会一派の動向を観察してから引き上げようと決め、この場に控えていた。

 想定よりも早く事態が明るみになったのは、二人が予想した以上に、シホの密偵である少年騎士、確かイオリアと言ったか。彼が優秀であり、自分たちが消した足跡を素早く辿られた結果だった。そこに来て、あの元騎士団長の所作である。まさか気付かれるとは思っていなかったユカは、心底肝の冷える思いを味わった。その上で、クラウス・タジティが追跡に動かなかったのは政治的な判断か、それとも忠義に厚いという人柄の通り、先の『東の尖塔』でのを返したつもりなのか。恐らくその両方なのだろう、とユカは納得した。それ故に、次に敵として相対した時、あの男に容赦の二文字はないだろうことも。


「もちろんわかってたよ。だから助けてもらえるなんて思わなかった」

「……あんたね」

「感謝はする。だが、次は任務を優先しろ。お前こそ、そう習わなかったのか?」


 突然口調が代わり、纏った気配すら変わった。アズサ・ユズリハの仮面を捨てた下から現れたのは、ユカと同じ、いや、実はユカ以上に幼いうちからイツキ国皇帝カシワキに仕える、密偵筆頭の姿だった。


「……勘違いしないでもらいたいわね。任務を優先したら、助けなけゃいけなくなっただけ」


 イツキの密偵に上下関係はない。それでもアズサが地を晒した言葉を紡ぐとき、ユカは緊張したものを感じる。


「ふむ。ならばよい。では、戻るとしよう。我々の戦いも、これからが佳境だ」


 言うが早いか、次の瞬間には、アズサの姿はその場になかった。それこそ百魔剣や『媒体ミディアム』を用いて魔法を使ったのではないかと思うほどだが、


「……あんたが敵に回らなければ、大抵のことはどうにかなる気がするけど」


 アズサが密偵筆頭であることを知ったのは、ユカですら彼女を救出してからのことだった。救出の手は必要なかった、というより、自分の命と引き換えに皇帝陛下の所望される情報が得られるならば、端から自分の命など必要のないものだ、という趣旨の話をされ、ユカは筆頭が『人ならざる者』という噂通りの人物であることを思い知り、同時に自分が、密偵であるにも関わらず『アズサ』という仲間を助けたいと僅かにでも思っていたことに苛立ちを覚えた。

 雑じり気が多すぎる、中途半端な自分。

 ユカは盛大にため息を吐き、一呼吸置いてから、筆頭に倣って跳躍した。

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