第6話 雷の女帝
「ラザールさんの研究が『
走るまでは行かない早足でシホは目的地へ急いでいた。後ろにはルディとリディアが続く。
「あの研究室には様々なものがありましたが、どうやっても目立つものがありました。あれを運び入れようと思えば、当然人の手がいる」
「……
そのものを目の当たりにしていたリディアは気付いた様子だった。振り返らずにシホは頷く。
「あの大きな水槽とも言える円柱に使われていた硝子は、継ぎ手のない一枚成形でした。あのように特殊な、しかも大きなものを運び入れようと思えば人手も要りますし、目立ちもします。それを周囲に悟られることなく……いえ、別の理由で納得させて周囲に作業への疑問を抱かせず運び込み……もっと言えば、運び込まれる物品そのものへの疑問も、書類上の問題も回避させられる。そんな人物はこの学院でも多くはないはずです」
「学院運営側の誰かに、ラザールの後ろ楯がいると?」
「ええ。そう考えれば辻褄が合います。ですから学院長にその話を伺って……」
唐突に、大きな爆発音が響き、シホは身を竦めて立ち止まった。ルディもリディアも、同じように立ち止まったほどの爆音は、シホが目指していた建物の方向から聞こえた。
シホは顔を上げて目的地の方角を見た。整備された学院内の道の先、植樹された木々の向こうに目的地である学院事務局棟が見えていた。その建物の最上階の一部が崩れ、白煙を上げているのがわかった。爆発は、あの部屋で起きたのだろう。
「あそこは学院長室では……」
シホは自信がなかったが、ルディが言った言葉で確信を得た。間違いない。この学院に来た日、学院長と会ったのは、あの建物のあの位置だった。いま、まさに目的地としていた場所だ。
「いったい、何が……」
「……まったく、歳を考えろ」
困惑するシホの横を、黒い影がすり抜けて前に出た。『紅い死神』にはシホにもルディにも見えていない何かが見えている様子だった。
「リディアさん?」
「シホ、お前の推理は正解だ。どうやらいま、『話し合っている』らしい」
それだけ言うと、リディアは走り出した。その速さは普段の、戦いの中で見せる最速と同じだった。
「なるほど、やはり雷の力を宿す『
「そうだねえ。こいつは『媒体』と呼ぶにはずいぶん力の強いものなんで、あたしの手元に残したけど、まさかこういう形で役に立つとはねえ」
「ふむ。確かに我輩の『媒体』に匹敵する力を持っているようだ。非常に珍しい」
机も棚も、あらゆる執務用品が弾け飛び、壁や天井に至るまでも爆ぜ、瓦礫の山となった学院長室で向き合った二人は、周りの惨状を気にも掛けない様子で互いの手元の得物を評した。偶然にも似通った、木の枝のような姿をした得物はしかし、互いに違う色の魔力を放っていた。
「『媒体』? 『百魔剣』の間違いだろう」
「『百魔剣』とて広義では『媒体』と変わらんだろう。それを提唱していたのは他ならぬ女史のはずだ」
言いながらユベールが翳した右手は、半ば凍り付いているように白く見えた。『兵士』の百魔剣、魔剣ネージュは細い枝のように見えるシルエットをその手の先に伸ばしている。刺突剣の一種であり、刀身は間違いなく鋼で作られているが、宿している氷の魔力を放ち始めると見た目には雪山の凍り付いた木の枝のように見えた。
「……引かない、ということでいいのかい」
「言ったはずだ。我輩にも立場がある」
「立場がいつの間にか本人そのものになっていく。大人というのは窮屈なもんさね」
「誰もが女史のように強くはないということだ」
動いたのはほぼ同時。双方が握った『媒体』を突き出すと、その先から魔力が迸った。ユベールからは青白い冷気が、フィッフスからは紫色の稲妻が走り、その光が二人のちょうど中程でぶつかり合うと、強い衝撃波を周囲に広げた。ユベールが生み出す超低温の空気を、フィッフスの稲妻が一瞬にして蒸発させていることで起こる爆発で、先ほどユベールの執務室を内側から瓦礫の山に変えたのもこの爆発による衝撃波だった。
ユベールもフィッフスも、それを理解し、強い衝撃波を真正面から受けながら、互いに一歩も引き下がらなかった。立て続けにひとつ、ふたつと魔力の光を撃ち出し、あるいは撃ち落とし、空気が弾ける轟音と飛び散る瓦礫が辺りを支配した。
「……女史、そなたこそ我輩と命のやり取りをするほどの理由はないのではないか?」
「あんたの言葉を借りれば『立場』さ。あたしにも引けない理由はあるんだよ」
ふん、と鼻で嗤うように息を吐いたユベールが、その一息で撃ち合いを止め、驚くほどの身軽さでフィッフスとの間合いを詰めた。驚いたフィッフスは咄嗟に後ろへ下がったが、ユベールが真横に払った一閃の方が速かった。刺突剣の切っ先としての本来の役割を果たした魔剣が、フィッフスの左手の甲に突き立ち、切り裂いた。鮮血が舞い、それは即座に白く凍り付いて落ちた。
「あまり好みはしないが、我輩にも決闘の心得はある。命を奪う覚悟もな。悪いが……」
「ああ、知ってる。知ってるさね」
反射的に押さえた傷口から右手を離すが早いか、今度はフィッフスが踏み込んだ。大柄な体型からは想像できない素早い動きは、手にした『媒体』でユベールを突き刺す、深く鋭い一閃だった。
対してユベールは魔剣を振るい、その突きを弾き落とそうと動いた。好みはしない、とは言うものの、それは戦い慣れたものの判断で、十分な剣速でフィッフスを退ける。
「くっ!」
しかし、苦痛の声を上げたのはユベールだった。魔剣ネージュがフィッフスの『媒体』を払い除ける直前、迸ったのは紫色の閃光だった。ほぼゼロ距離で放たれた雷の魔力はユベールに襲い掛かり、その身体を大きく後方に弾き飛ばした。
「あんた、さっき、『やはり』と言ったね」
瓦礫の中で膝をついたユベールの顔に浮かんでいたのは、雷の魔力の直撃を受けた苦痛よりも、驚愕する感情だった。魔力は使役者を選ばない。あのように接触した状況で力を解き放てば、使役者……フィッフス自身も痛手を負うはずなのだ。
「なら覚えているってことだね? あたしがこの学院でなんと呼ばれていたか」
「
フィッフスの周囲を、紫色の光が覆っていた。それを見上げながら、ユベールはフィッフスが何をしたのかを理解したようだった。
力を解き放つ瞬間、同時にフィッフスは自分の周囲にも同じ力を張り巡らせ、炸裂の瞬間の衝撃を相殺した。ひとつの『媒体』で同時に行使できる力の数には限界があるが、フィッフスはなぜか雷の魔力にだけはそれぞれの『媒体』が持つ力を限界まで引き出し、複数の力の同時に行使することを可能にする適正のようなものがあった。
学院に在籍した若い頃に見出だされたその適正と、生徒会長までを務めた敬意から、当時の学生たちの間でフィッフスに付けられた異名。それが『雷の女帝』。
「話してもらうよ、ユベール。あの子達にはあんたの持ってる情報が必要だ」
「……それが女史の『立場』か。やはり女史は強いな」
苦笑いを浮かべながら立ち上がるユベールに、フィッフスは諦観の匂いを感じ取った。だが、いったい何を諦めたというのか。
「ユベール、あんた……」
「いいだろう、女史。我輩は我輩の『立場』を貫かせてもらう」
魔剣ネージュが冷気を吹き出し、これまでで最も強い輝きを放つ。
「女史を手にかけてでも、この場は退かせてもらう!」
なにかが来る。
フィッフスは自身の回りに障壁となる魔力を張り巡らす。
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