第5話 仮説と証明
「どこで疑問を持った、イフス女史。それだけは訊いておきたい。興味がある」
自身の執務卓の脇に立ち、フィッフスには背を向けた形でユベールは問い掛ける。ユベールの視線は執務卓の向こうにある大きな窓の外に向いていて、その先の日差しの、さらに先を見つめようとするように、少し上を見ていた。
「『疑問は探究の始まりである。探究は変革の始まりである。変革は進化の始まりである』」
「『故に疑問は進化への足掛かりである』」
『エバンス王立魔導学院学術研究要領』の初頁に記された言葉を
「初めからだよ、ユベール。シホの手の者が情報をかき集めて、監視対象者を三人まで絞ったときだ」
「ミホでなくても?」
振り向きはせず、ユベールは微笑を浮かべた気配があった。ユベールが吐き出した紫煙が、ゆっくりと立ち上っていく。
「あんたの方も初めから気付いていたんだろう? あんたを騙し通せるとは思ってないよ。あんたがあたしの話に伸るか反るか。それによって説明しようとは思っていたさね」
「結果、我輩は伸った。そこに隙があったというわけか」
また一服、ユベールは葉巻を吸った。
「……監視対象者の中に学院の教授の名が上がっていた。だから調べさせたのさね。ラザール・シュバリエの出自と家族構成を」
「そして、ラザールに親がいないことを確認した」
「学院の入学には保護者か、それに相当する後見人が必要。今回シホを入学させたときに、あたしがなったように。在学中に両親を失った場合も同様に、代わる保護者か後見人を立てなければ在学し続けることはできない」
「そしてラザールの後見人を確認した」
「ラザールの後見人は、結局誰だったのかわからなかったよ。いや、わからないようにされていた、というべきだろうねえ」
「ならばその線からは追えなくなったはずだ」
「複数の仮説を立て、証明する。証明を元に新たな仮説を立てる。研究と同じさね。仮説は仮説のまま終わることがほとんど」
「では、別の仮説が?」
問われてフィッフスは、身体の置くから紫煙をゆっくりと吐き出した。指先に挟んだ葉巻を小皿に置きつつ灰を落とし、空いた両手を組んで膝の上に肘を付いた。
「寧ろあたしが本命だと思った仮説は別でね……ラザールは両親が亡くなる前、まだ一介の学生でしかなかった時に書いた論文が評価され、学院で教師になることで生活を保証された」
「そうだ。彼は優秀だな」
「あたしが知る限り」
フィッフスは葉巻を再び手に取った。
「そんな偶然は、この学院では起こらない」
「……ほう」
「ラザールは優秀なんだろうとは思うけどね。そんなに都合のいい時期に論文が、まして一介の学生が書いたような論文が評価されることはない。論文の評価機関の年間予定は決まっているし、学生の論文では、有力な誰かの後押しがなければ、そもそも評価してもらうことすらできない」
フィッフスは一服呑んだ。視線の先のユベールは両手を上げて小さく首を横に振った。指先の葉巻から立ち上る紫煙が、窓越しの日差しを受けて白く光る。
「あんたの名前だったよ、ユベール・バイヨ。論文の評価者、ラザールの後ろ楯たる人物は」
つまり、ユベールはラザールの研究の全てを知っていたことになる。ラザールの研究の資金的援助と、生活面で後見人たる役割りも果たしていたはずだ。
「やはり、この学院に長く、深く関わったものの見識だ。流石だよ女史」
「豆のスープさね」
「スープ?」
「シホたちはよく資料を集めて、それをよく精査した。でも、その資料全体を俯瞰で眺めることは、若い頃には難しい。どうしても一つ一つの目に見えてわかりやすい点に焦点が向いてしまう。あたしらもそうだったろう?」
「なるほど、豆のスープには、何が入っているか、という問いか」
「木を見て森を見ず、ともいうかね。若い頃の我武者羅もいいけどね。この年にもなると、観るともなくものの全体像が見通せるようになる」
最後の紫煙を呑み込んで、フィッフスは葉巻を小皿に押し付けて消した。
「ユベール、訊いてもいいかい?」
「お答えしよう、と言いたいところだか」
同じように葉巻を消したユベールがゆっくりと振り向いた。葉巻を挟んでいた指先は握り込まれ、小さな枝のようなものを掴んでいた。
「我輩にも立場があるのでね。若い頃とは違う」
「それは学院長としての立場かい? それとも……」
フィッフスも袖のうちに忍ばせた『
「お察しの通りだ、女史。騎士団の一員としての立場だよ」
ユベールの腕が『媒体』を振り上げる。フィッフスもほぼ同時に立ち上がりながら『媒体』を振った。
激しい炸裂と爆風が、学院長室を内側から爆ぜさせた。
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