第4話 魔女と紳士

「邪魔するよ」


 中からの返事を待たずに、フィッフス・イフスは重い木製扉を引き開いた。


「イフス様!」

「いるんだろう?」


 学院の事務局員が静止する声を無視して踏み込んだ部屋の中に、フィッフスは問いを投げる。

 果たして、その相手は確かに室内にいた。


「おお、イフス女史、突然だな。どうした?」

「申し訳ありません学長。約束を取るようにとご説明させていただいたのですが……」

「構わないだろう、ユベール」


 特に凄んだつもりはなかったが、フィッフスが腹のうちに何を抱えてここへ来たのかは伝わったらしい。面長な輪郭の上に撫で付け、几帳面に整えた白い髪と、やはり綺麗に形作られた白い口髭。そのどちらもがはっきりと緊張した気配を示し、それを隠すように金縁の眼鏡の位置を直したエバンス王立魔導学院長ユベール・バイヨは、纏った濃い茶色の背広の胸元を引いて執務卓に向かった居住まいを正した。


「ああ、構わない。……悪いがしばらく二人にしてもらえるかね?」


 ユベールの言葉は柔和であったが、相手に反論を許さない強さがあった。事務局員が頭を下げて学長室を出る気配があり、フィッフスの背後で重い扉が閉ざされた。


「あたしが何故来たか、訊かないのかい?」

「訊いた方がいいかね?」


 ユベールは執務卓の引き出しを開けた。フィッフスは一瞬緊張したが、中からの出てきたのが彼愛用の葉巻であることに安堵した。


「まあ、掛けたまえ。一本、どうかね?」

「いただこうかね」


 フィッフスは促されるまま来客用のソファに腰を降ろした。ユベールは自身とフィッフスの分、二本の葉巻を切り、火を点けるための小物を卓の上に広げて、準備を始める。


「……こうして燻らせる時間は、いつ以来か」

「若い頃はそんな時間もあったねえ。あんたの選ぶ葉巻は安くても趣味がよかった」


 小気味良い音を立てて葉巻が切られ、切った面に熱を発する四角く黒い箱形の『媒体ミディアム』を押し付けると、絶妙な温度で火が点る。ユベールは一本を小皿に置き、それを持って立ち上がると、フィッフスに歩み寄ってそれを手渡した。


「……便利なもんさね」

「『媒体』のことか?」


 いま、葉巻に火を点けた『媒体』が、本当のところ何のために作られたのかは、わからない。どのように用いられていたのかも、実はわかっていなかった。ただ、かつて魔法の力によって栄えた統一王国時代に、必要があって作られたということは、似たような使い方をされていたのだろう。身体を温めるには強すぎ、人を傷付けるには弱すぎる、そういう熱が必要だったのだ。


「……便利さの先にあったのは、万能であることだったのだ」

「そうして万能であろうとして、傲慢に欲求した進化が魔法を肥大化させ、旧王国を滅ぼすきっかけを作った……あんたが提唱し続けている仮説だね」

「人は自分の欲に目処を付けることはない。ここまででいい、と言える人間はごくわずかだ」

「あんたは……」


 フィッフスは葉巻を口に運び、深い息と共に薫る煙を身体の中に取り込んだ。葉巻を吸うのは久しぶりだったが、心地よい薫りが身体の内側を回り、満たされていく感覚に不快感はなく、ユベールの言う通り、かつてこうしてゆったりと燻らせた時間を思い出す感情と綯交ぜになった心持ちは、快楽と安堵にも似た感覚をフィッフスに抱かせた。

 だが、それに溺れるのはいまではない。過去を懐かしむほど、年老いたわけでもない。

 濃い煙と共に、フィッフスは言葉を吐き出した。


「どっちだったんだい、ユベール」

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