第四章

『協力者』

第1話 救い

 二日前、東の尖塔で起きた火災は、生徒会の活躍もあり大きな被害はなく鎮火した、と学院は発表した。

 ただ、ラザール・シュバリエ教授の行方が火災の前後でわからなくなっている。東の尖塔内で火災の被害にあった様子はなく、その行方は杳として知れない。安否調査は継続中である、とした。


「……浮かない顔だな」

「えっ」


 意外な声にシホは顔を上げた。フィッフスの生家、イフス家の離れ。シホに宛がわれた一室で出掛ける準備を整えた、声はまさにその時に、開け放たれた出入口の扉から聞こえた。

 

「リディアさん」

「いま、いいか」


『紅い死神』らしからぬ丁寧さで問う様子に、シホはここで話しておかなければならないのだろう、と察して頷いた。ちょうどシホもリディアと話したいと思っていたところだった。立ち上がりかけた執務卓にもう一度座り直した。


「イオリア、だったか。お前の騎士から連絡があった。ルイーズの件だ」


 ラザール・シュバリエが最後に生命を吹き込もうとした人造人間ホムンクルス。生きている人間と見紛うほどに美しく成形された身体に、アズサの生命を魔力として宿そうとした。ラザールはそれをずっと『ルイーズ』と呼んでいた。


「ルイーズは数年前に病死したラザールの恋人だ。以来、ラザールはルイーズを生き返らせる方法を模索して研究に没頭していたらしい。もっとも、本人は『治療』と言っていたそうだが」


 さあ、ルイーズ、わたしと共に生きよう。ラザールが最後に残した言葉がシホの中で繰り返し再生されていた。おおよその想像通りではあったが、やはり、それほどに大切な人だったのだろう。彼女さえ生きていてくれるのであれば、他にはなにも必要ないと思えるほどの。


「ただ……これはおれにはよくわからないが」


 珍しく、リディアが小首を傾げ、頭を掻く仕草をした。間者として一流であるイオリアが調べてきた内容に間違いはないはずで、シホはリディアの次の言葉を注意して待った。


「ルイーズは、ラザールの実の妹だ。ルイーズ・シュバリエ。二人の両親は既に亡くなっている。それからはずっと、ふたりだけで生きてきたらしい。ラザールは両親が亡くなる前、すでに在学中であった学院で書いた論文が評価され、そのことで後ろ楯を得、学院で教師になることで生活を保証された」

「妹で、恋人……」


 天空神教会の教義では、近親間の婚姻や交際を禁じている。大陸で最も教徒の多い教会の教えは、即ち大陸で生きる人々の共通の倫理観に紐付く。つまり皆、「なぜ」と問うこともなく従っている。いま、リディアが「わからない」と言ったのも、そうした倫理と価値観からだ。だが……


「わからんな。単に恋人のように見えるほど仲のいい兄妹きょうだいだった、というだけか……」

「そうでしょうか」


 シホは執務卓に両肘をついて、組んだ手の上に額を当てて俯いた。リディアが不思議そうな視線を向けていることがわかったが、思い付いた言葉はリディアと目を合わせて言えるようなものではなかったので、伏せたままでいた。


「どういうことだ?」

「ラザールさんの様子は最愛の人を失った、心への強い衝撃によるものだと思いました。そこに立場も身分も関係なかったのではないでしょうか。ラザールさんにとっても、ルイーズさんにとっても、お互いしかいなかった。それが偶々兄と妹だった、というだけで」

「それは……」


 リディアはそれ以上言わなかったが、声音にはその考えをお前が口にするのは危険だ、と言っていた。わかっている。シホはそのつもりで俯いたまま頷いて見せた。自分は教会最高権力者八人のひとり。その自分が言っていい言葉ではない。それでも……


「兄妹でも、想いを抱くことを止めることの理由にはならなかった。人々から崇め讃えられて聖女と呼ばれても、命を奪うことを生業として死神とまで恐れられる人を想ってしまうのと同じです」


 シホは顔を上げた。頬が熱い。いま、自分はどんな顔をしているだろうか。リディアが嫌悪感を抱かない顔ができているだろうか。

 伝えておかなければならない、と思ったことを口にして、シホは席を立った。

 なぜいま、言葉にしようと思ったのかをシホは考えた。思うにそれは、ラザールの首が落ちたときだ。

 ラザールの首が血を吹いて落ちたとき、シホはリディアがシホの罪を肩代わりしたことを強く感じた。あの時、シホは躊躇した。アズサを助ける為とはいえ、ラザールに致命的な一撃を与えること。致命にならない攻撃で済ますことはできないか、と土壇場で思考した。それがシホの身体を金縛りのようにその場に縫い付けた。

 だが、リディアにその迷いはなかった。百魔剣は全て破壊する。力に魅せられ、取り込まれた人間も同様だ。そう言い切る言葉通りに、リディアはラザールを斬った。

 お前が手を汚さなければならないのなら、代わりにおれが汚す。半年前、リディアはシホにそう言った。守らせてくれ、と。その言葉はいまもシホを支えている。それでもラザールが斬られたあの瞬間からシホの心の隅に巣くったのは、リディアが離れていく恐怖心だった。いま、自分の本心を伝えておかなければ、リディアが本当に遠くへ行ってしまうように思えた。


「……ラザールにも、救いがあるべきだったと思うか」


 リディアの表情は動かなかった。そしてリディアから出た言葉も、シホの言葉に対して直接相対するものではなかった。


「……救いは、誰にでも等しくあるべきだと思います」

「ラザールは、救われたと思うか」

「……死は、救いではないと思います」


 もし、ラザールが死によって救われたというのであれば、百魔剣を手にしたものは、やはり等しく死でなければ救われない、ということになりはしないか。それを認めてしまったら、『統制者』という最強の百魔剣に縛られ続けるリディアも、死によってしか救うことができない、と認めてしまうことになる。そんなことはシホには堪えられない。


「そうか。それを聞きたかった」


 それだけいうとリディアは踵を返し、部屋から出ていこうとした。その背中に影を感じて、シホはリディアを呼び止めた。


「わたし、いまからルネさんのところへ行く予定です」

「……ルネ? ルネ・デュランか」

「少しずつですが、お話が聞けるようになっているそうです。……一緒に来てくれませんか?」

「……わかった」


 意外なほど素直に承諾したことに胸を撫で下ろし、シホはリディアと共に部屋を出た。

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