第2話 生命は、誰のものでもない

 ルネ・デュランは学院の教職員のみが出入りできる棟の一室に囲われていた。とはいうものの、牢というわけでも、特に拘束されているわけでもない。ごくありふれた学習用の一室で、南向きの窓と壁に向かった小さな机と椅子、それに仮設された寝台がある以外には、何もない部屋だった。

 彼女の戦闘能力を考えれば、簡単に逃げ出すことはできる環境だった。それでもこの部屋が宛がわれたのは、彼女にその危険がない、と早々に判断されたからだ。


「あまり眠られていないと聞きました。お加減はいかがですか?」


 シホは寝台の脇に立ち、寝台の上で半身を起こした姿勢のルネに話し掛けた。

 ルネは身を起こしてこそいたが、目は虚ろで、意識があるのか定かではないような無表情をしていた。シホの言葉にごく僅か、瞳の光が動いたのを見逃していたら、シホはもう一度同じ言葉を掛けるところだった。


「……元々、人造人間ホムンクルスは眠らないので」


 羽虫の羽ばたきのように僅かな空気の流れがあり、その空気の流れが辛うじて言語になった。そんな極々小さな囁きを、ルネ・デュランは真っ直ぐ正面を見据えたまま紡いだ。


「わたしが寝ていたのは指示がないからで。『出来損ない』のわたしに、自ら思考する理由はないから」

「ルイーズさん」


 その名前に、ルネの目が見開かれた。驚愕と恐怖の色が一緒になった顔でルネはシホを見た。


「ラザールさんがあなたに求めたのは、ルイーズさんだった」

「……そうだ。そのために創造者マスターはわたしを作った。ルイーズ様の復活。創造者はそれ以外に興味がなかった」

「……お前が百魔剣を宿されたのはどうしてだ?」


 シホの隣に立つリディアが口を開いた。そう。それも確認しなければならない。その事実もまた、ラザールが人造人間を作り出していた事実と一緒になって、エオリアの消息を追う手がかりになる。


「ルネさん、あなたの魔力はあなたが手にしていた武器によるものではなく、あなた自身の内から発していた」


 ルネが手にしていた槍は、業物ではあったが特別なもの……魔力を宿した『媒体ミディアム』でも、まして百魔剣のひと振りでもなかった。それでも無風の室内で暴風を起こしたのはルネであり、その力はルネ本人から放たれていた。そこから導かれる答えは、ひとつだけだった。


「これは推測ですが……ルネさん、あなたの身体には……」

「そうだ。シホ・リリシア。お前の考えている通りだ。わたしの身体には百魔剣が埋め込まれている。『騎士』の魔剣、トルネドが」


 意外なほどあっさりと、それも昂るでもなく落ち込むでもなく、平坦な言葉でルネが言った。その無感情さに初めてシホはルネが人造人間であることを意識した。


「わたしは、人造人間であり、同時に百魔剣でもある」

「……それもラザールの研究目的か」

「いや、わたしに創造者が百魔剣を宿したのは、あくまでも『協力者』の意志に沿っただけだ。創造者の目的はルイーズ様の復活。武器や兵器を作ることに興味関心はなかった」

「ルネさん」


 正直なところ、ルネがここまで話してくれるとは意外であったし、ここまで知っていることも意外だった。もしかしたらラザールは……


「ラザールさんに協力したのは、何者でしょう」

「わからない。それは創造者から伝えられていない。『協力者』は百魔剣レヴィを貸し与えた対価として高位の媒体や百魔剣を利用した武器、兵器の開発を求めたと創造者は言っていた。創造者は『協力者』を特定の固有名詞では呼ばなかった。ただ『騎士団』と言っていたことはあった」

「『騎士団』……」

「ルネさん」


 ラザールが話していた『騎士団』とは『円卓の騎士ナイツオブラウンド』を指しているのだろう。『円卓の騎士』はエオリアを含む多数の武術に長けた人間を拐い、百魔剣を集めて、百魔剣を振るう剣士を複数人有し、人造人間や兵器の開発まで進めて、いったい何をしようというのか。


「ラザールさんは、あなた以外の誰かにその話をしていましたか?」


 シホの言葉にルネは虚ろな目を向けた。感情の動かない瞳はまさに作り物だったが、シホにはそれは違うように感じた。これがルネの全てではないのだろう、と。


「いや、創造者には『協力者』はいても目的を共有するもの……仲間はいなかった。死者を蘇らせるような研究だ。話せるものなど……」

「ラザールさんにとって、きっとルネさんだけだったんです。ルネさんだけが仲間……味方だった」


『円卓の騎士』たちの目的は、また追い掛けなければならない。

 エオリアの救出も急がなければならない。

 だが、いま、シホは感じたことを、このことだけは、いまのルネに伝えなければと思った。


「わたしは……わたしは、作られたものだ。創造者に作られたものだ。仲間にも、味方にもなれない。ましてわたしは創造者の求めたものに……ルイーズ様にはなれなかった、創造者の呼んだ通りの『出来損ない』だ。仲間や味方になど、なれるはずがない!」


 始めの羽虫の羽ばたきよりもか細い声からは想像できないような、強い感情を込めた声がシホを打つ。それでも、シホはルネに気付いて欲しかった。だから、身を引くことはしなかった。


「……ラザールさんには、あなたしかいなかった。あなたにラザールさんしかいなかったように。それは、ルイーズさんと同じです。でも、あなたはルイーズさんとは違う、あなたにしかできない、あなたでなければならない存在としてラザールさんは想っていたのでしょう」

「違うっ! 創造者はわたしを……」

「……お前がおれたちにラザールのことを包み隠さず話すのは、なぜだ」


 その言葉を聞いた瞬間に、シホは理解した。リディアも自分と同じ答えに至っている。


「それは……創造者を誤解して欲しくないからだ。創造者は純粋に自身の研究を求めて、ルイーズ様の復活だけを求めていただけだ。武器や兵器を作り出したい、などとは思っていなかった。戦い、傷付くことを誰かに求めてはいなかった。そういう人間だったことを正しく知って欲しい、と……」

「人の生の中で」


 リディアが一歩、ルネに歩み寄り、身を屈めてその顔を覗き込んだ。感情が表面に表れることが珍しいリディアがここまでするのを見たのは、シホも初めてだった。


「死してなお擁護してくれる、それほどの理解者を得ることは難しい。例えそれが親子……作り作られた間柄だったとしても」

「あなたの生命はあなたのものです。あなたには感情があって、ラザールさんを想うように選んだ。例えあなたが人に作られたものだったとしても、あなたの生命は、誰のものでもなく、あなたのものです」


 ルネがシホを、リディアを交互に見た。言葉はなかった。


「きっと、ラザールさんも同じだったと思います。だからあなたはなんと言われようとラザールさんを想った」

「……わたしが人間であれば」


 ルネの顔に浮かんでいたのは困惑と悔しさだった。


「こんな時に涙を流せたのだろうか」

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