第12話 立ちなさい!

「いまの音は……まさか!」


 唐突に取り乱した声をラザールが上げた。

 戦いはラザールに優位であり、シホもクラウスもユカも、エオリアとアルスミットという強力な武人を模した複数の人造人間ホムンクルスを相手に苦戦を強いられていた。

 相手が本物でないことが分かり、武器を持つ手に躊躇いこそなくなったが、エオリアが四人、アルスミットが三人いる状況は、そもそも数的不利であり、その上、個々の力も本人と同等である敵に、三人の戦いは防戦一方だった。七人の人造人間の奥に立つラザールにまで刃が届くことはなく、薄ら笑いを浮かべるラザールが動揺の声を上げるような状況ではなかった。

 ラザールの動揺を引き受けたように、人造人間の動きが一瞬止まった。音、とラザールは言った。確かに何か、壁が壊れるような大きな音がしたことには気がついた。しかし、それが何なのかまでは、必死に手足を動かしていたシホには考えが至らなかった。

 この場にリディアがいないことに思い至り、まさかリディアが、とシホが思った時には、先程までの余裕もなく取り乱し、奇声を発したラザールがその場を走り去っていく背中が見えた。

 いったい、何が。


「シホ様!」


 クラウスの声にシホは我に返った。そして刹那の内にクラウスの声が注意を促していることを悟り、その場に倒れ、受け身を取って転がることで自身を狙った刃を避けた。


「……エオリア」


 シホを狙ったのはエオリアを模した人造人間だった。主人の動揺を引き写した硬直は一瞬のこと。既に全ての人造人間が動き出し、クラウスもユカも、その相手に追われていた。

 エオリアが倒れたシホを見下ろす。無論、それが本人でないことはわかっている。わかっているが、それでもシホはエオリアの声を、言葉を、その似姿に重ねてしまう。身分を気にすることなく、ひとりの友人として接してくれる甘い声。彼女は誰よりも女性であり、シホが目指す大人のひとりだった。

 いま、本物の彼女はどこにいるのだろうか。


「シホ様!」


 一瞬の逡巡があった。それが戦いの中で致命的な隙になるとわかっていても、シホの身体は動かなかった。彼女は生きているのだろうか。

 魔剣レヴィが持つ異質な超魔力『生命を与えるアニメイト』には二つの『与え方』があると文献には記されている。

 ひとつは、純粋に百魔剣に宿された魔力のみで、代替の生命を与える方法。これは魔法生物の動力となる。シホが学院に通い始めた初日に暴走した『岩人形ゴーレム』を始めとした無機物を、さも生き物のように動かすことを可能とする魔力の使い方である。だが、この方法は百魔剣でなくても可能だった、とする文献が多数ある。旧王国時代には希少であったとしても稀有な能力とまでには至らない力だったらしい。

 魔剣レヴィを百魔剣に、それも『領主』のひと振り足らしめたのはもうひとうの『与え方』にある。それは生者から生命を抜き取り、別のものに移し替える力だ、という。

 人でも動物でも、生者の生命を抜き取り、魔力に還元し、それを他のものに移し替えることができるのだという。生者から抜き取られた生命という魔力は非常に強力であり、それを与えられたものは無機物でも感情を得、かつて有機物であったもの……死者すら動かした、という記述をシホは目にし、記憶していた。

 死霊術ネクロマンスとも呼ばれたというその力がもし事実なのだとすれば、いまこの人造人間を動かしているのは似姿の当人……エオリア本人の生命であることもあり得た。

 わたしは、間に合わなかったのかもしれない。

 後悔と自分の非力を呪う感情が、シホの両肩に重くのし掛かり、目の前でエオリアそっくりの人造人間が刃を振り上げたことを確認しても、動くことはできなかった。再三、クラウスが叫ぶ声が聞こえていたが、彼も二人の人造人間を相手にして、こちらに手を伸ばすことができずにいる。動かなければ。そう思うが、冷たいエオリアの目がそれをさせなかった。

 ごめんなさい、エオリア……

 シホが目を瞑り、その呟きが音となる。人造人間の無慈悲な刃がシホの頭蓋を砕きながら切り裂く。

 その、直前。

 シホは右の頬に熱を感じた。焼けるような、強い温度。

 何かがぶつかり合い、大きな音を立てた。同時に生き物が焼ける臭いが微かにした。


「立ちなさい、ミホ・ナカハワ。いいえ、シホ・リリシア!」


 シホが目を開ける。そこには人造人間の冷たい瞳はなかった。

 入れ替わるようにしてそこにあったのは、燃え盛る強い意志を宿した横顔だった。


「お話は伺ったわ! このわたくしが、エバンス王国元老院の一席を担うイグニスの次期総裁であるこのベルナデッタ・イグニスが、お力添えいたしますわ!」


 言うが早いか、シホの隣に立っていたベルナデッタは、赤いドレスを翻して走り出した。その手には既に白銀に輝く篭手が装着されており、ベルナデッタは一切の迷いなくその拳を打ち出して行く。


炎の拳ポワン・ドゥ・フラム!」


 炎を纏った拳が、立ち上がり掛けた『エオリア』を捉える。その人造人間はつい先ほどまでシホの前に立っていた『エオリア』であり、踞ったシホに刃を浴びせようとした刹那、ベルナデッタの拳を受けて倒れていた。その顎を下から掬い上げるような左の拳で打ち付けると、起き上がった上体に、続けざま渾身の右拳が炸裂する。

 魔力を宿した百魔剣アーマルスの炎の拳ポワン・ドゥ・フラムは、文字通り破裂する音と炎を持って『エオリア』を焼いた。完全な似姿が炎に包まれ、しかし人造人間は苦痛も悲鳴も上げずにその場に倒れていた真っ黒な炭となった。


「シホ様!」

「イオリア……ベルナデッタさんは……?」


 ひどい夢を轟然と破られたように、呆けた感覚でいたシホの側に駆け寄ってきたのは、イオリアだった。ベルナデッタの足止めをしようと残ったはずのイオリアが、なぜベルナデッタと共にここにいるのか。


「シホ様、申し訳ありません。シホ様のご事情を、ぼくから伝えさせていただきました」


 しゃがみこんだイオリアが身体を抱き起こしてくれた。そうか、それでベルナデッタはシホの本当の名前を呼んだのか。


「ご事情を聞かれると、この学園を守るため、そしてシホ様の絶対的正義のために手を貸す、と仰られて」


 シホの視線の先でベルナデッタはさらに突撃していく。『アルスミット』と『エオリア』がひとりずつ、その猛り狂う炎を引き写したかのような猛然とした突進を止めようと前に立ったが、斬りかかった刃を篭手で受け止め、反対の篭手で炎の拳を打ち付ける。『エオリア』がその一撃を受けて燃え上がり、続く刃を振りかぶった『アルスミット』は、拳を打ち抜いた反動を推進力に代えた回し蹴りを受けて大きく後退した。


「さあ、行きなさい、シホ・リリシア! 助けたいお友達がいらっしゃるのでしょう!」


 密偵が主君の情報を漏らすことは最も許されない行為だが、イオリアの判断は正しかった。迷いのない魔力を滾らせるベルナデッタは、強い。この場では最も頼りになる援軍だ。


「イオリア、シホ様を頼む」


 静かだが強い意思を示す声でクラウスが言う。ユカが視線だけを送り、頷くのも見えた。ベルナデッタを加えた三人で、残る五体の人造人間を抑え込む、と言ってくれている。


「いつまで座っているのです!? 立ちなさい! あなたにはやるべきことがあるのでしょう!」


 やるべきことがある。

 その通りだ、とシホは靴裏で床を踏みしめた。

 エオリアは無事ではないのかもしない。人造人間に使われた生命という魔力に変えられてしまったのかもしない。救うことができなかったのかもしれない。間に合わなかったのかもしれない。

 でも、それは全てシホの悪い妄想に過ぎない。まだ何も確かめられていないのだ。こんなところでは止まれない。座っているわけにはいかない。


「ラザールを追います。イオリア、帯同を」


 畏まりました、と答えるイオリアの声を背に、シホは走り出した。

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