第9話 ユカ・ドゥアンの力
「クラウス!」
部屋に飛び込むなり、シホは目の前で起きている映像に、ほとんど反射の領域で叫んでいた。
もしシホが声を上げなければ、そしてそれがクラウスの耳に届かなければ、クラウスが刃を引いて避けることはなかったであろうし、そうであれば、クラウスは手痛い傷を負っていた。
踏み込んだクラウスの『イアイ』が、対する
シホはその風が自然のものではない……魔力を帯びていること、そしてその魔力は、もし直撃を受ければ、身を爛れさせる熱量を帯びていることを知っていた。
そう。シホはその魔力を知っていたのだ。
「……どうして」
ベルナデッタが魔法の火球により打ち砕いた研究室の壁。口を開けた大穴から室内に飛び込んだシホは、すぐにその知った魔力を察知した。喜びに溢れかけた声は、しかしすぐさまクラウスの名を叫んでいた。
「……お下がりください、シホ様」
クラウスが『敵』とシホの間に立つ。肩越しに聞いた声に油断はなく、相手を理解した上で、どんな相手でも斬る覚悟を持った男の声だった。それだけに、シホの心は焦燥に駆られた。止めなければ。どちらも。
「いいえ」
そう言って、シホはクラウスの隣に歩み出た。
「下がりません。彼女はわたしが相手します」
クラウスに並び立ったところで、相手の騎士と彼女も同じように横並びに立ったところだった。
「……エオリア」
「騎士の方はラインハルト殿の右腕だった男です。アルスミット・アイヒマン」
「わかります。『銀の騎士』殿ですね。どちらもあの戦場から行方不明になった」
肩までで切り揃えた浅緑色の髪は少し長くなって、いまは肩を越えて背中に流れている。だが、春の若葉のようにきらきらとした輝きはそのままだ。垂れた目尻が印象的な優しい顔立ちのその女性。探し求めてきた友がいま、目の前に立っている。そして彼女だけではない。かつては同じ戦場に立った協力者が、いま、シホの前に敵として立ちふさがっている。二人とも何を考えてそこにいるのか。目の色を伺うが、推し量ることはできない。虚ろな表情、虚ろな瞳の色がこちらを見返すだけだ。
「……操られている……?」
「違うでしょうね」
シホは背中にかけられたその言葉に振り返った。多くを語らず、協力を申し出てからはただ付き従ってきた異国の少女が、はっきりと確信を得た声音で話しながら近づいて来ていた。
「これもわたしたちが調べていた内容のうちです」
エバンスによる『
ユカは金属の輪の内側に中指を掛けると、器用に回転させ始める。だらりと下げた両手の内で回る金属輪から、空を斬る鈍い音が発する。
「
シホが驚く間も無く、ユカの腕が動く。僅かな動きで、右、左と前へと伸ばした手から金属輪が離れ、エオリアとアルスミットに向かい飛翔する。
それを認識したエオリアとアルスミットが小さな動作で金属輪の飛来範囲から離れる。高速で回転する鋭利な刃物は確かに驚異だが、避けることはそう難しくはない。だが。
「だめ!」
シホは思わず叫んだ。ユカの金属輪に、ただ投げられるだけではない仕掛けが見て取れたからだ。
シホが認めた通り、ユカが動く。伸ばした手の先で、細く美しい指先が踊る。すると飛翔する金属輪が唐突に放物曲線を変えた。ほとんど直角に曲がった二つの金属輪は、僅かな動きで避けようとしたエオリアの首と、アルスミットの顔をそれぞれ切り裂いた。
シホは、音もなく、敵として立ち塞がった二人が崩れ落ちるのを見た。目の前で起きている現実を受け止めようとして、出来ず、失った言葉が帰ってきて、押し寄せて、叫び掛けたその時に、あることに気付いた。乱れ掛けた感情が急速に立ち戻り、冷静であるシホ・リリシア本人の感覚を取り戻した。
「……あなたたちは、誰ですか?」
シホが警戒を強める。それはクラウスも同じであり、先ほどと同じく、シホの盾になるようにエオリアとアルスミットとの間に立った。
首を半ばまで切り裂かれたエオリア。顔のほとんどを潰されたアルスミット。
だが、二人は立ち上がった。
どちらの傷からも、血は一滴も流れていなかった。
「
「ええ。元になった人物の精巧な似姿。そして姿だけではなく、その人物が持つ才能や適正までも映し出す、完全なる複製」
クラウスの言葉に応じながら、ユカは腕と手と指先を巧みに動かす。その度、金属輪は飛翔する方向を変え、最後にユカの手元に戻った。あれは紛れもなく、百魔剣。ベルナデッタのアーマルスと同じく『奇剣』に類される類いのものだろう。ユカが『力ある言葉』を発し、その手に現れた透き通った水が金属輪と繋がって伸び、ユカの手指の動きに合わせて飛翔したのが何よりの証拠だ。
「……そんなことができたのは、歴史上、ひとりしかいません。それを実現させたものも、ひとつしかありません」
イツキ国にも百魔剣があり、イツキ国の間者が百魔剣を巧みに扱うことに対しての驚きはもちろんあった。だが、いまは、もっと優先しなければならない事象があった。
「ええ。ですから、それも調べる必要があったのです。我が主の命を越える研究ですから」
『
その技術を明らかに上回る事象。
これは、そうした技術……いや、『力』である。
「まさか、ラザール・シュバリエは」
「わたしの研究室では、静かに願いたいものだ」
シホが察したラザールの『力』を確かめようと、クラウスが話し始めたとき、この場にはいなかった男の声が割って入った。
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