第5話 友達

 尖塔の三階まで上がったシホは、すぐさまそこを通過して、四階を目指そうとした。ラザール・シュバリエの研究室が五階にあることは既に調べがついていたからだ。

 だが、それは叶わなかった。


「あなた……」


 シホは四階へと続く階段の手前で足を止めた。付き従ったイオリアも同じく立ち止まり、無言の内に警戒を強めた気配だけが、シホの背中に伝わった。

 尖塔の階段は各階毎に位置が変わる。ただただ同じ階段を上がるだけでは、上方階へはたどり着けない仕組みになっているのだ。王族を幽閉していたという後ろ暗い過去を思わせる設計だが、いま、シホの前に立っている人物は、まさにその幽閉された王族の幽鬼を連想させる蒼白の顔色であった。


「お待ちしておりました」


 幽鬼が恭しく頭を垂れた。長い黒髪が美しく、長身細身の彼女の輪郭を撫でて下がる。自分よりも歳上であることを想像させる落ち着いた雰囲気だが、その実、彼女と自分は同じ年齢である。その事を、シホは知っている。


「やはり、あなたたちは気付いていたんですね、ユカ・ドゥアン」

「どうでしょう。あの子は気付いていなかったかもしれません」


 年齢よりも遥かに賢く、冷静で、鋭い洞察力を持つ同級生、ユカタンことユカ・ドゥアンは、身を起こしながら乱れた髪に手櫛を通して整えた。その仕草には隙がなく、いま着ている黒一色の装束とも相まって、普段の制服姿以上に彼女の有能さを伝えてくる。

 黒い装束はイツキ国を中心とした東方諸国の民族衣裳である。クラウスが身に付けているものに似ているが、下半身は動きやすさを重視したのか、ハカマと呼ばれるものではなく、神聖カレリア等の西方文化圏で身に付けられるズボンを穿いている。クラウスも同じ理由で東方から帰るとすぐ、下履きだけは教会騎士団のズボン穿きに変えていた。


「あの子……アズサ・ユズリハさんですね。いまは一緒ではないのですか? 帝政イツキ国の『ミカド』様から仰せつかった任務は、この塔以外にも?」

「さすがカレリアの『聖女』様。わたしたちの正体は、既に調査済み、ということですか」


 ユカが自嘲気味に嗤う。シホは少し申し訳ない気持ちになった。

 をかけてみたのだ。ユカとアズサに関しては、ルディからの調査報告はまだない。その為、彼女たちの出自、この学院にいる目的は、シホの想像の域を出ていなかった。

 だが、いまのユカの言葉が、シホの想像を正解とした。

 つまり、彼女たちは……


「帝政イツキ国の間者。そういうことですね」

「ええ。そうね」


 帝政イツキ国。

 アヴァロニア大陸の遥か東方に存在する国家で、独自の文化圏を築く中心的役割を担う国家である。

 カレリアとファラ、大陸最大の二大国が交戦状態に入る以前から、密かに武力を増強している、という情報はあった。国境を接するブラムセル王国はカレリアと友好交流のある国で、天空神教会の信者も多い。彼の国の教会からもたらされる情報から、シホは予てよりイツキ国の動向を気にかけていた。


「ではこのエバンスに学生として潜入したのは……」

「陛下より仰せつかった任務は『エバンスによる『媒体ミディアム』の兵器転用技術の確認と確保』です」


 それはシホの予想した通りの回答だった。

 シホも感じていたこのエバンスの危うさ。革新的な技術の研究と開発を推し進めてはいるが、どの国にも属していない、どこの国の為でも……自国の為ですらない、という現状は、例えばイツキ国のような、この乱戦にあって兵力を高めようと考える国には、是が非でも友好を結ぶなり、傘下に置くなりしたい国である。

 だが、シホはその回答に違和感を覚えた。


「……やけにすんなり認めるんですね」


 ユカは間者であることを認めている。ならば皇帝から戴いた任務は極秘であろうし、そもそも自身が間者であることを簡単に認めたことも気に掛かる。


「ええ、まあ。ちょっと取引させてもらいたくて」

「取引?」


 ユカが一呼吸置いて、用意していたとわかる言葉を紡いだ。


「聖女シホ様。アズサがラザールに捕まりました」


 シホの背に、悪寒が走った。

 アズサがラザールに捕まった?

 旧講堂の地下を見たイオリアとクラウスの報告にあった、ラザールに捕まった、というのか。

 エオリアが捕らわれていた場合を考えて、シホは多少無茶をしてこの塔に入った。

 もし、シホが考えていることがこの塔内部で行われているとしたら、エオリアも、そしてアズサも危険だ。


「あの子の本当の名前はわたしも知りません。ただ、任務のためには、救い出しておきたい」


 ユカと言う名も偽名だろう少女は、冷徹に響く言葉を発したが、その目が一瞬だけ泳いだのをシホは見逃さなかった。

 三人で食べた学食の日替わり定食を思い出した。

 

「ラザール教授の目的は?」

「わかりません。ただ、アズサをイツキの間者と知って捕らえたわけではないようです」


 間者だから捕らえた、というわけではない。

 シホはその言葉を反芻した時、ふと、脳裏に浮かぶ映像があった。

 この尖塔の前で話す、生徒と教師。

 アズサが口を読んだ会話。

「あの生徒はどうだった?」と聞いたのは教師、ラザールだ。それに答えたのはルネ・デュラン。あの会話は、もしや……


「旧講堂では生徒が複数行方不明になる失踪事件が起きていた……」

「ええ。おそらく『旧講堂の死神』ルネの仕業です。アズサも研究の対象になったのです」


 あの旧講堂崩落の夜の直後であった為、シホはあの会話を自分に向けられたものと思っていた。しかし、あの会話が単に次の研究対象者……失踪の対象者を選んでいた会話であるのなら、その対象がアズサだった、と言うこともできる。

 そしておそらく、その通りだったのだろう。


「……なら、一刻の猶予もない、ですね」


 ラザールはの為にルネを使って生徒を拐っていた。

 には生きた人間が必要だからだ。

 そしておそらく、その実働を担っていたルネもまた……


「恐ろしい人ですね、ラザール・シュバリエ……」

「潜入しているのはわたしとアズサのみ。助け出すには人手が足りません。シホ様の目的がラザールであると見て取引させていただこうと思い、お待ちしておりました」

「取引というが、そちらはシホ様に何を提供できると言うんだ?」


 シホの背後で成り行きを見守っていたイオリアが口を開いた。対してユカは、やはり用意していたとわかる言葉を口にした。


「我々が調べたこの学院の全容、では如何でしょう」

「ならそれで構いません。いえ、取引である必要はありません」


 シホはイオリアが応じそうな気配を手で制して、決意を伝える。


「共に行きましょう。アズサさんを助けます。アズサさんもユカさんも、わたしの、友達です」

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