第12話 接触

 アズサ・ユズリハは『ノーマ』寮棟の食堂で夕食を済ませて自室に戻るところだった。同じイツキ国出身で、生活のほとんどを共にしているユカ・ドゥアンは、今夜は一緒ではなかった。ユカは『目的』のために出掛けている。『潜入』もそろそろ終盤。今ごろユカは『仕上げ』に掛かっているはずだ。


「……アズサ・ユズリハさん」


 自室まであと少しという廊下で、アズサは名を呼ばれて立ち止まった。いまにも消え入りそうな声だったが、その声にははっきりと自分の足を止めさせようという意思があった。

 アズサが声の方に顔を向けると、アズサがいま立つ広い廊下から、無数にある寮の部屋へと伸びる細い廊下の一角に、生徒が立っていた。ノーマの指定制服として支給されている外套とは少し形が違っていて、相手はその外套と一体になった帽子を目深にかぶっていた。それからは耳の長い獣のような、一対の膨らみが伸びている。必要性があるものではなく純粋な装飾のようだった。濃紺の色は制服と同じだが、仕立ても違うようで、踝まで隠れるほど長い。


「あなた……ルネちゃん?」


 アズサはその生徒が誰であるか、すぐに理解した。それは同じノーマの学生であるルネ・デュランだった。だが……


「ルネちゃん……だよね?」

「お前の『目的』に、手を貸そう」


 背筋に冷たいものが走った。ということもあるが、それ以上に、いま、目の前にいる少女の、常ならざる異様な気配がそう感じさせていた。


「な、なんのこと?」

「『生命の魔剣』」


 目深にかぶった帽子の下で、ルネの口角が吊り上げる。ひどく禍々しい気配は、戦慄させるのにも十分な異様を放っていた。

 取り繕う必要もなさそうだ、とアズサはこの瞬間に考え方を変えた。


「イツキ国皇帝カシワキの命を受け、お前たちが魔剣とその付帯技術を手に入れようとしていることはわかっている」

「へえ? それで、一介の、それもノーマの生徒でしかないあなたが、わたしたちにどうやって手を貸してくれるというの?」


 アズサは終始、この学院で演じてきた『明るく、少し抜けたところなあるアズサ・ユズリハ』の仮面を捨てた。


「あなたより、手を貸してくれるなら、あなたの主人の方が陛下もお慶びになるのだけど?」

「……そう言っている」


 しかし、ルネはアズサの変貌に驚く様子も見せなかった。むしろ応じた一言に驚いたのはアズサの方だった。


「我が主ラザールからの命を受け、わたしはここにいる。……ついてこい。目的を果たさせてやる」


 どういうつもりだ、ラザール・シュバリエ。


 アズサは言うなり背を向けたルネの姿を見つめながら、ルネの主人の本心をはかりかねた。なぜいま、向こうから接触してきたのか。その目的は何なのか。考えてはみるものの、その答えには至らない。そうしている内に、ルネが肩越しに視線を寄越す。来ないのか? と問う視線は罠へと誘っているように見える。だがそうだとわかっていても、ここは従わざるを得ない。

 それが帝政イツキ国皇帝直下の密偵である自分に課された役目なのだから。


 ユカ、後は頼んだ。


 音になりかかった言葉を飲み込んで、アズサ……いや、この名も偽りでしかない密偵の少女は、ルネに続く一歩を踏み出した。それを確認して、ルネが先を行く。

 ルネが向かう廊下の奥は火が落とされて暗く……闇の中に踏み込む恐怖があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る