第8話『エクセル』教授ラザール・シュバリエ
「先生、ラザール先生!」
「待ってー、ラザール先生!」
幾人もの女子生徒が美男の教師を取り囲む。生徒たちは曰く、わからなかった授業の内容を教えて欲しいだとか、明日の昼食は食堂で食べるのかだとか、自分でお菓子を作ってきたから食べて欲しいだとか、とにかく我先にと言葉を急ぐ。
「……あの男が、ですか。それは……不覚でした。申し訳ありません」
若き教授を囲む嬌声を流しつつ、シホはそれとは対照的に低音の男声を聞いた。但し、その声は普段の彼の常とは異なり、心底驚いた、その驚きを隠せない様子だった。
「では、ルディから見て、あのラザールという先生に、怪しい動きはなかった、と」
「ええ、ですね」
学院の前庭に当たる噴水広場は、昼下がりの温かな日差しの中にあった。昼食後の授業は終わり、日暮れにはまだ遠い時刻であるいま、帰路に付く生徒と、まだ学舎に残ってそれぞれの部活動に向かうものとで、広場は賑わっている。
その中でも、特に高い声が上がっているのが、ラザール・シュバリエ教授の周囲だった。
「シホ様が聞かれたという言葉、裏を取らなければなりませんね」
シホは広場を一望できる場所に設置された長椅子に腰掛け、膝の上の本に目を落としていた。ラザール監視のために選んだ距離、そして木陰になる位置だったが、昼下がりの日差しは心地よく、最前までは半分は偽装だった読書を楽しんでいた。
だが、いまは目を落としているだけ。本当に偽装していた。視線や挙動はそのまま、意識は長椅子の左端、自分とは反対の端に座ったルディ・ハヴィオの言葉に向いていた。
「わたしは……直接聴いたわけではありません」
「……と、言うと?」
シホは先ほどの昼休み、ラザールとルネが会っていた現場を目撃した状況を、本に目を落としたまま詳細に説明した。
視界の端のルディは、なに食わぬ様子で、膝の上に置いた紙束に何かを考えているように書き付けていた。
「……口を……読唇術ですか。一介の女学生が正確にできるものではないように思います」
「ええ、そうですよね。わたしもそう思います。でも、あの夜、わたしたちを殺さなければならない、と言った、あのルネ・デュランと密かに会っていたのは事実です」
いま、アズサとユカは図書館棟に行っているので、この場にはいない。借りたい本があるのだといい、二人は連れ立って行ってしまった。戻ってくれば一緒に帰る予定にして、シホは彼女たちを待っている。
しかしいま、この場を外している間、彼女たちは本当に図書館棟へ行っているのだろうか。
「……それにしても、まさかあの男が誰かと会うとは思いませんでした」
「どういうことです?」
「あのラザールという男、授業以外はほとんど『東の尖塔』……あの教職員住居兼研究施設に閉じ籠りっきりでしてね。誰とも会わないし、どこにも出かけないんですよ。言い訳がましいですが、それでおれも少し距離を置いていたんです。警戒されているのかとも思えましたからね」
あれほどの生徒から取り囲まれ、少し困ったようにはにかんで見せる好青年としか見えない人物の交友関係が、実際にはほぼ皆無に等しい。
シホは少し不思議に思った。それとも学院で若くして教授職にまで就く研究者とは、そういうものなのか。
「まあ、とにかく、裏は取ってみます。ラザールとルネという生徒の繋がり、それとシホ様の偽装が疑われている要因があるのかどうか、あとはあの二人の生徒のことも」
そういうと、ルディは長椅子を立ってその場を離れていった。シホは一度も視線を向けなかったが、それが絶妙なタイミングの離席であることは、なんとなくわかったので、気構えができた。
「ミホちゃん、お待たせー!」
「待たせたわね」
やはり直後に掛けられたアズサとユカ、二人の声に、シホは本から視線を上げ、満面の笑みを見せた。
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