第7話 家政婦は見た

「……どこかの家政婦みたいね」


 壁の陰に身を潜めていたシホは、背後から掛けられた声に身が飛び上がるのをどうにか堪えた。


「……家政婦……?」

「イツキ国にそういう話があるのよ……まあいいわ。で、何してるの、ミホさん」


 講堂での授業が終わり、昼休みになった。シホは講堂から出ていくルネ・デュランの姿を認め、その背を追った。アズサとユカには用を足してくる、と言い置いたのだが……後を付けられていたことにも気付かなかった。冷静ではなかった証拠だ。


「……二人は、ルネさんがどこから来ているとか、知ってる?」

「ルネ? あのいつも寝てる子?」

「わかんないなあ。あの子、いっつも講堂で寝てて、気が付くといなくなってるから」


 本当のことは話せない。だが、取り繕うことも出来ないと判断したシホは、自分の行動だけは知らせてしまうことにした。潜入とはいえ、二人に嘘は付きたくなかった。


「で、そのルネがどうしたの?」

「うん……」


 当然の質問を頷いただけで終わらせたのは、視線の先を見るように促したからだ。シホは二人に背を向けて、壁の向こうを覗き見る。アズサとユカがそれに倣って、同じように壁に張り付いた。

 ノーマの講堂を出たルネは、皆が生徒食堂に進むのとは反対方向へ歩いていった。程なく人影はなくなり、廊下を何度か曲がったところにいまのルネはいた。この先は確か『東の尖塔』と呼ばれている建物で、一部の教師が居住し、個人の研究室も兼ねているはずだった。


「あれって……」

「ラザール先生?」


 二人が小声で話し合う言葉を聞きながら、やはり、とシホは自分の記憶を確かにした。ラザール・シュバリエ。ルディの報告にあった三人の監視対象者のひとり。若いながらも優秀な研究者であり、学院の教授職を持つ、エクセル担当の教師。

 ラザールの動向観察はルディに任せていた為、シホが彼を認めたのは初めてだった。だが、その年齢、性別、容姿的特徴は記憶していた。確信は二人の言葉で得ることができた。


「ルネと……何か話してる?」

「ラザール先生が生徒と二人きりなんて珍しいよね、いつも取り巻きがいるから。しかもルネとか」


 アズサのいう通り、ラザールの人気は高いと聞いている。若さもあるが、端正な顔立ちと物腰の柔らかさもその要因でしょう、とルディが話していた。

 シホは改めてラザールの姿を覗き見る。確かに整った顔立ちをしている。どことなくリディアに近い印象を抱くのは、細面で長い黒髪だからだろう。教授たちに支給されているローブを纏うその表情は優しく、リディアと比べても遜色ない美男だが、見れば見るほど、シホはリディアとは真逆の印象を抱くようになった。

 リディアは『死神』の二つ名が示す通り、近寄りがたい雰囲気が全身を包んでいる。ラザールはその逆だ。逆なのだが……ラザールの眼の奥に光るものがない。リディアにはあんなに優しい光が灯っているのに。


「……何を話しているのか……わからない」

「……『あの生徒はどうだった』」

「アズサ?」

「……『そうか。わかった』」

「……あなた、口を読んだのね」


 アズサが意外すぎる特技を見せ、ラザールの会話を読み取った。ルネはこちらに背を向けているのでどう話しているかはわからない。


「あの生徒?」

「誰だろう。そもそもルネは寝てただけだよね?」

「……ラザール先生、ルネに何を頼んだのかしらね」


 シホは二人の会話をただ黙って聞きつつ、ルネとラザールの姿を見ていた。『あの生徒』とは、もしかしたら自分のことかもしれない、という感触を持ちながら。

 もしその感触が確かであれば、昨夜ルネが旧講堂にいたことに理由を付けることができる。目的まではわからないし、思い込みは危険だが、筋は通る。

 つまり、ルネはラザールの何らかの目的の為に、ラザールの指示で旧講堂にいた。そして近寄る人間を殺そうとした。『旧講堂の死神』として。

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