第6話 生還者

 廊下を歩くと、生徒たちが口々に噂する声が耳に入る。それらは概ね誇大に膨らんだ妄想じみた話が殆んどだったが、全てに共通している情報もあった。


『旧講堂が崩落した』

『旧講堂の周囲が封鎖された』

『崩落は人気ひとけがなかったはずの夜中で、明け方には生徒会が封鎖していた』


「……自然に崩れたのかなあ?」

「そうね、あの建物、相当老朽化してたでしょう?」

「んー、でも、だからって急に崩れるような造りには見えなかったけどなあ」


 隣を歩くアズサとユカがいつもの調子でやり取りするのを聞きながら、シホは欠伸をこらえ、眼鏡の下の涙眼を素早く拭って、二人の会話を聞いていたように頷く素振りでそれを隠した。

 結局、昨夜は眠れなかった。屋敷に戻った時間の問題もあるが、突発的に起きた生徒との戦闘のせいだ。その後、リディアがイフス家に来るのではないかと待ってみたが現れることはなく、不安が残り続けたことも眠れなかった一因であることは自覚している。


「やっぱりあれなんじゃない? ほら、『旧講堂の死神』!」

「……あんた、ほんとに楽しそうね、その話する時」

「生徒会の人たちの対応も速すぎると思うし、実はんじゃないかなあ、って」

「あんたにしては的を射た推論ね」

「でしょう! ねえ、ミホちゃんはどう思う?」

「へぇ!」


 シホがルディの手引きで旧講堂を退いた後、その背を守ったリディアは戻らなかった。そして旧講堂が崩落した。いったいあの後、あの建物の中でどんな戦いがあったのか。シホが去り際に聞いた声は、生徒会長ベルナデッタ・イグニスのものだった。恐らく百魔剣と思われる力を振るう彼女の。そして生徒も百魔剣らしき力を使っていた。三者が入り乱れた旧講堂。百魔剣と向き合い続けてきたリディアに油断はないはずだが……

 と、考えを巡らせていたところで話題を振られたので、シホは変な声を出してしまった。それがよほど面白かったのか、アズサは大笑いし、ユカまでも笑いを噛み殺すのに必死の様子だった。シホは顔が熱く紅潮していることを意識した。


「う、うん……まあ、古い建物だったし、生徒会の人たち、前から夜警してたそうだし……」


 シホのどうにか繕った返答も、二人から笑いを取り上げるには至らなかった。ますます顔が紅潮してしまう。

 だが、そんな恥ずかしさも、ノーマの講堂の扉が眼に入った途端、消え去った。

 昨夜、旧講堂で対峙した生徒。ルネ・デュラン。いつも決まった席にいて、いつも決まって臥せって寝ている生徒。


 なぜここへ来たの?

 わたしはあなたを殺さなければいけない。

 ごめん。死んで。


 彼女がシホに向けた言葉が、初めて聞いたあの声が、幽鬼じみたその容姿が、鮮明に思い出された。この扉を開いた講堂のいつもの席に彼女がいるとは思えない。だがもし、いたとしたら、リディアは……


「どうしたの、ミホちゃん、入らないの?」


 気が付くと足が止まっていた。アズサが自分を追い越して先に入室していく。ユカは何も言わないが、相変わらず含みのある微笑を肩越しに見せた。迷っても仕方ない。無駄に怪しまれても仕方ない。シホは小さく息を吐いて止めると、意を決して歩を進めた。

 講堂は昨日までと何一つ変わらず、暖かい陽の光を南向きに開けた大きな窓から取り込んで、穏やかで明るい空間だった。アズサが先んじて三人の席を決め、ユカがそこに並ぶ。アズサがシホを呼んでいる。それはわかった。だがシホの足は止まり、声も出なかった。

 手を上げて呼ぶアズサの背後、窓際の席に突っ伏したあの影は……


「ルネさん……!」


 走り出しそうになる自分を抑えて、シホは二人の元に歩き、席に着いた。

 受講の内容は、殆んど頭に入らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る