第2話 遭遇
ほんの出来心だった。
ちょっとした悪ふざけのつもりだったのだ。
あいつが『肝試し』という、古風な言葉を使ったせいなのかもしれない。
「いるわけないって、死神なんて」
「でも、もう三人も行方不明になってるんだって」
「それで生徒会も自警のために見張りを置くようになった、って?」
「自警、っていうか、捕まえる気らしいよ」
「誰が?」
「会長」
「うわー、言いそう。あの会長っぽい」
集まったのはぼくを含めて男三人女二人の計五人。いずれもノーマの学生で、同じ部活動の仲間だった。仲間のひとりが『旧講堂で肝試しをしないか』と言い出したのが事の発端ではあるけれど、まさか言ったその場で四人も名乗りを上げ、その夜すぐに行うことになるとは思いもよらなかった。『肝試し』という古風な言葉に、ぼくらを沸き立たせるような何かしらの力があったのかもしれない。
もちろん、ぼくだって信じていない。死神が廃墟に居座っているなど、どう考えても非現実的すぎて、馬鹿げている。大体、何で死神なのか。廃墟に幽霊の方が、まだ信憑性があるように思う。
ただ……こうして暗がりの中にうっすらと浮かび上がる廃墟を目の当たりにすれば、誰でもいま、ここにいることに場違いだという感情を抱くはずだ。それほどに、旧講堂が抱えている闇は深い。
「で、どうやってやるんだよ」
「おれ、中を知ってるからさ」
と、言い出したのはこの肝試しを発案した男だった。続けて彼は旧講堂の内部の様子を簡単に説明した。
講堂、と言うだけあって、中は大人数を収容して授業を行うことを前提に作られているという。扇状に曲線を描いて並んだ長机と椅子の列。それらは中心に向かって緩やかに下っており、扇の要に当たる部分には、非常に大きい『魔石板』が掲げられている。かつてはこの『魔石板』に講師が『魔石』で文字を書き付けて授業を行っていた。
「ここに、魔石を用意した。人数分だ」
彼は五つの魔石を取り出して皆に配った。
魔石、と言っても、これは『
「こいつで、旧講堂の真ん中にある『魔石板』に、名前を書いて戻ってくる。最後に全員で見に行くから、名前がなかったやつはすぐにわかる」
いいね、面白い、と誰かが言い、いやだ、怖い、と今さらのように女の子が口にした。
ぼくが魔石を受け取ると、その石に何かの紙が巻き付いてた。
「お前、当たりな。一番」
そう発案者の彼が言う。どうやらこの魔石自体が順番を決めるくじ引きになっていたらしい。今日発案し、今日準備したにしては、よく考えられている、素直にそう感じた。
ぼくも怖かった。が、ここでいやだ、と言うほどしおらしくも、言えるほど自尊心が低いわけでもなかった。終始無言で仲間たちから離れ、ランタンを手に旧講堂の崩れ掛けた石造りの入り口を潜った。
中は、話の通りの、とても単純な作りになっていた。正面に大きな扉。両開きのそれは、木戸を綿や布で被って装飾を施していたのだろうことがわかる程度には原型が残っていたが、ほとんど砕け、割れ、壊れていた。ぼくはその間から講堂の中に入った。
扇状に曲線を描いて並んだ長机と椅子の列が、講堂の高い位置にある採光用の窓から差し込む月明かりに浮かび上がる。机の間には中心に向かって伸びる通路があり、緩やかな坂になっている。ぼくはその通路を通って下って行った。
目的の『魔石板』は、仄明るい程度の月光の下でもはっきりとわかるほど大きかった。ぼくは手にしたランタンを下げ、月明かりに頼る形で歩を進めて行った。ランタンを持っているのとは反対の手の中で握り締めた『魔石』が、奇妙なほど熱を持っていた。
と、その掌の熱を意識した瞬間だった。ぼくは何かの気配を感じて、意識と視線を、掌から『魔石板』に向けた。
自分の目を疑うことはなかった。それほどに、その姿は鮮明だった。
『魔石板』の前、青白い光に照らされたその場所に、闇が蟠っていた。その闇は人の姿をしていて……いや、その闇は黒い外套を纏い、背中まで届く黒い髪を前に垂らして、ゆっくりと立ち上がったところだった。
驚愕に、声が出ない。喉が震え、空気が抜ける音すら、ぼくからは発することが出来なかった。そのぼくの前で立ち上がった黒い影が、右手を挙げる。その先で、紅い光が輝いた。あれは、なんだ?
「お前か」
影がそう言った。若い、男の声。たぶん、ぼくと同じくらいの歳の声。だが、あまりにもぼくら学生とはかけはなれた、深い闇の底から聞こえてくるような、声。
その声を聞いたとき、ぼくは前後の関係を一切考えず、ただ、死ぬ、と思った。ぼくは死ぬ。この場で死ぬ。相手が何者か、なぜここにいるのか、そして、なぜぼくの命を奪うのか。そうした疑問や疑念の指し挟まることの出来ない、絶対的な死の予感。それがぼくに向かって倒れかかって来た。
それと同時に、理解もした。なぜ旧講堂に現れる怪異が、幽霊でも怪物でもなく、『死神』なのか。この闇を目の前にして、生き残った人がいるのかは知らない。知らないが、もしぼくがこの後、奇跡的に生き残ったとしたら、やはりこの闇のことを『死神』と呼ぶだろう。絶対的な死を感じさせる、『死神』と。
がたん、とぼくの左後ろで音がした。木の音で、それが机を弾いた音だということは、こんな状態でもすぐにわかった。ぼくは振り返ろうとしたが、その前に『死神』が動いた。ぼくのすぐそばをすり抜けて、ぼくの左後ろで発した音に向かって跳躍した。
青白い光の中を、黒い影が、紅い輝きの帯を引いて飛ぶ。その姿は幻想的であり、この世のものとは思えない美しさすらあった。が、直後、その美しさとは真逆の、圧倒される爆発が旧講堂内で起こった。原因不明の爆発による爆風に、ぼくの身体は弾き飛ばされて、朽ちた長机と椅子を壊しながら倒れた。
いったい、何が起きているのか。わけもわからず、身も起こせずにいるぼくを無視して、爆発はさらに数度起こった。反射的に頭を守るように抱えたぼくに見えたのは、爆発の前に瞬く強い光で、それは青白い光と、『死神』が手にした紅に似た光をしていた。
「そこまででしてよ、『死神』!」
爆発が一瞬止んだ、それを待っていたかのように、女性の声が旧講堂に反響した。あれは、ベルナデッタ会長……?
幾人かの人の気配が旧講堂内に雪崩れ込み、ぼくは自分の命が救われたことを理解した。その途端、ぼくは意識が遠のいていくのを感じた。
目を閉じて、完全に意識を失う直前、ぼくが思い出したのは、月光の下、宙を舞う闇と、帯を引く紅い輝きの美しさで、それはまるで一枚の絵画であるかのように、ぼくの心に鮮烈に焼き付いた。
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