第4話 研究者
「これは……火の『
綺麗に四角く掘削された地面と、そこから顔を覗かせる物体を前に、恰幅のいい初老の女性はひとりごちた。黒髪よりも白髪の多くなった、豊富な髪の太い三つ編みを肩にかけ、捲り上げた紫の貫頭衣の袖の下や、丸顔の頬を泥で汚しながら、それでも満足そうに手にした紙に文字を書き付けている。この発掘現場の記録だ。意気揚々と筆を走らせる横顔は、子供のように輝いていて、年齢よりもずいぶん若く見えた。
「フィッフス先生、こっちはどうかな」
別の掘り穴に入っていた作業員の男が、女性を呼んだ。フィッフス・イフスは呼ばれるままにそちらに近づく。
「なんかの形になってねえか?」
「見覚えがあるねえ……それも保存に回しておくれ。慎重に掘り出して……」
「わかってまさあ」
男が威勢よく返事をするのを聞きながら、フィッフスは男が指摘した出土品を記録する筆を走らせる。
地中に埋没した遺跡の発掘には、多くの人手がいる。大陸中を旅しながら研究するフィッフスには、金銭的にも人脈的にも、なかなか機会を得られないことであったが、この土地だけは、と思い切った。その結果はおよそ狙い通りで、フィッフスが研究対象とする年代の出土品が続き、当時の庶民の生活様子が伺い知れる成果が上がりそうだった。
「おそらく、ここには大きな街があった。いまは名残すらないけどねえ」
「へえ、こんな森の入り口にかい?」
「先生、この遺跡はなんなんだい?」
神聖王国カレリアの北、『カレリアの屋根』と称されるシフォア山脈の北東。山脈の裾野に広がるシフォア大森林に繋がる土地。確かにここは、現在は土地の所有者を見つけるのも難しい田舎だった。その所有者を探し出して発掘許可を取り、近隣の村や、中規模都市で人手を集めた。発掘は素人という人間たちがほとんどではあったが、皆自分たちの土地に興味を持ち、郷土を愛していた。フィッフスがいうことを聞き、学びながら、よく働いてくれた。
「旧王国時代の街が、ここに埋まってるんだねえ。あたしの勘では、たぶん、この森の奥に続いてる」
「旧王国時代?」
「それって、あれかい、この大陸全土を統一したとかいう……」
アヴァロニア大陸がひとつの王国にまとめあげられたのは、千年近く前のことだと思われる。それからどの程度、その王朝が支配を続けることができたのかが、はっきりとはわかっていない。王朝滅亡の時期、その理由は、フィッフスのような研究者にとっては、最大の謎であり、最大の研究対象だった。何らかの理由があって、王朝は突然滅びた、とするのが、いま有力な学説だが、フィッフスはそれについては疑問を持っていた。
「なあ、フィッフス先生、昔は、この辺りは大都会だったりしたんかねぇ?」
「そりゃねえわ。ここは昔っから大陸がなくなるまで、田舎だよ」
男たちが声をあげて笑う声が、森の木々に木霊する。自虐ではなく、心底この土地を愛しているからこその、それでいい、とする笑い。きっと、この土地には昔から、そうした郷土愛が根付いているのだろう、とフィッフスは思った。それこそ旧王国時代から。
「そろそろひと休みしようじゃないか。差し入れも持ってきたからねえ」
「お、先生の焼き菓子か?」
「いいねぇ、あれ美味いんだよな」
研究の傍ら、料理を趣味としているフィッフスは、発掘隊の小腹を満たす菓子や間食をよく用意した。評判は上々で、それを楽しみに発掘隊に参加するものさえいると聞いた。そこまで言われれば、やりがいもあるというものだった。
「……ん、なんだ?」
フィッフスが男たちに背を向け、休憩の用意をしようとした時だった。男のひとりがそう言った。
「ん、どうした?」
「いや、なんか聞こえねえか?」
「そうか?」
「いや、聞こえる」
「お前もか。なんか、ごー、とか、ばたばた、とか……」
「そうだ、風を切るような……」
男たちが口々にいう。その言葉に倣って、フィッフスも準備の手を止めずに耳だけ澄ましてみる。男たちの半数程度が言う通り、確かに風を切るような、何か大きなものが迫って来るような音が聞こえた。空からだ。
「……まさか」
フィッフスの頭のなかを、ある人物の顔が過った。屈託なくよく笑う、娘のような少女の顔だ。
フィッフスは空を仰ぎ見た。大森林の入り口とはいえ、その空はほとんどが背の高い木々に覆われていた。隙間から見える空は青く、白い雲も浮かぶ、穏やかな晴れ空で……と、フィッフスは木々の先端が不自然に、皆同じ方向に揺れていることに気づいた。まるで、何か強い風に煽られているように……
考える前に、フィッフスは走り出していた。すぐに森は終わり、その先に広がる草原に飛び出そうとした時、頭上を何か大きなものが行き過ぎる影が通った。
草原に飛び出すと、フィッフスは空を見上げ、破顔した。
草原の上に、巨大な船が浮かんでいた。海で見る船舶の上に、その船より大きな楕円形の気嚢が接続されいてる。自分の娘のように思う、世界最高権力者のひとりから、理論だけは聞かされていた旧王国時代の応用技術だったが、まさかこんなにも早く完成させていたとは。
『フィッフスさん!』
声を大きく拡げる機能があるのか、船からその娘の声がした。いつもながら、愛らしい声に、フィッフスは両手を振って答えた。
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