第3話 聖女謁見
「騎士長」
クラウスとシホが執務室を出ると、廊下にルディが待っていた。執務室入口側の壁に寄りかかり、腕を組んでいる様子のルディの気配を、盲目のクラウスは感じ取り、向き合った。
「じゃあクラウス、また後で」
「畏まりました」
シホは小走りに廊下を去っていく。そのちょこちょことした動きは、五年前、この大聖堂で初めて会った時の、所帯なく、いつも何処か怯えているような様子だった頃を思い起こさせる。その頃からは比べ物にならないくらい、シホは美しく成長しているが、目の見えないクラウスにはわからない。
「……シホ様は?」
「御公務の御準備だ」
「ああ、そうでした。そんなこともありましたね」
寄り掛かっていた身を起こしながら、本当に忘れていた様子でルディが言う。全くこの男は、組織に縛られるということを知らない。
「それより騎士長。ちょっと訊いておきたかったんですがね」
「なんだ」
そこで小声になったルディは、耳打ちするような距離まで身を寄せて来た。
「最近のシホ様を、どう思われますか?」
「どう、とは」
「オード紛争以降、雰囲気が変わったと思いませんか?」
確かに、とクラウスはシホと再会したときの驚きを思い出した。
盲目になったクラウスは、それを打開してさらに強く、戦力としてシホの助け続けるために、二年間の修行の旅に出ていたことがあった。
二年ぶりにシホと再会したとき、クラウスはシホの変貌ぶりに驚いた。当然、見た目の変化ではない。彼女が纏う空気の変化に、だ。
再会したシホには、自信がなく、何処か怯えているような、それでも温かく、人の血が通っていることが分かる、よく知る彼女の気配は微塵もなかった。強く、冷たく、決して弱みなど見せることのない、冷血な生き物がそこにいた。それが二年という時間をかけて、天空神教会という巨大組織の中で自らの派閥を作り、対百魔剣を目的とした騎士隊の創設までを成し遂げたシホの、覚悟が人の形になってそこにいるのだ、とクラウスはすぐに悟った。二年という時間は、彼女にとって、そうでなければ生きてこれなかった時間だったのだ。
「もちろん、いい方に変わったと、おれは思うんですけどねえ」
ルディが片方の口角を上げて笑う気配がある。この笑みは彼の代名詞のようなものだ。
オード紛争直前のシホを、凍り付いていた、と例えたとすれば、いまのシホからは春のような温度を感じる。雪解けのとき、氷解のときを迎え、本来の姿を取り戻した穏やかな大地のような温かさだ。
「無茶は相変わらずですがね。それでも、おれたちのことも頼るようになってくれた。上手く使うようになってくれたんで、少し安心してるんですが、どうですかね」
「……シホ様は、本来ああいう方だ」
「ええ。だから、騎士長が戻られてよかった、と」
「……どういう意味だ?」
ルディがまた笑う。そして、それ以上は語らずに、クラウスから離れて歩き去っていく。
「クラウス」
ルディが去ったのとは反対から声を掛けられ、クラウスは振り返った。振り返らずとも、そこに誰がいるのかはわかっていた。
春のような暖かさを感じた。
「御準備、整いましたか」
「ええ。参りましょう」
教会最高司祭であることを示す白地に金縁の法衣に身を包んでいるであろうシホの姿を想像して、クラウスは彼女の前に立って歩き始めた。
盲目でありながら、ある武術の鍛練を積んだことで、余程入り組んだ場所でなければ、その気配を感じて健常者と変わらぬ動作で歩くことの出来るクラウスが、歩きなれた大聖堂の廊下を進むと、ひとり、またひとりと、気配が現れてシホの後に続く。全てがシホの従者であることは、気配を詮索することもなくわかっている。
廊下から階段を上がり、大聖堂の最上階へ。登り終わるとすぐにひとつの広い部屋に繋がっている。ここまで来ると、開け放たれたバルコニーの向こうから、歓声が漏れ聞こえて来る。割れんばかりの大歓声だ。七日の内に代わる代わる最高司祭が行う公務だが、シホの時だけはいつもこうだ。
クラウスはバルコニーに出る手前まで歩み寄る。外は快晴なのだろう。僅かながら光の気配を感じる。
「では、行ってきます、クラウス」
そう言い残すと、シホがバルコニーに出た。歓声が一際大きくなる。声という音でありなから、質量を持っているかのように、クラウスの身体を押す。
大歓声を浴びながら、シホがバルコニーから身を乗り出して手を振って応えている気配がある。カレリア大聖堂一般礼拝者に対する、最高司祭謁見。シホの姿を一目見ようと、大陸の方々から、何日も掛けて足を運ぶものもあると聞く。
オード紛争以降、民衆が寄せるシホへの好感の高まりは、かつてのどんな最高司祭でも見たことがない盛り上がりを見せていた。その根底には、オード紛争に危険を顧みず介入し、神聖騎士団を鼓舞して共に戦い、勝利に導いた、という叙事詩と、オード紛争以降、シホが精力的に取り組んだ、紛争被害者に対する措置への好感があるが、それらは雪達磨式に大きく、広く、広がり、いまやここにいるものの多くは、そうした根底理由は曖昧で、ただ、シホという『聖女』が、この戦乱に疲れた大陸の救いになってくれる、と信じているのだ。
いや、とクラウスは思う。ただ、盲目的に、誰かが救ってくれる、と思っているのではなく、もしかしたら民衆は知っているのかもしれない。シホの温度を。この暖かさを。そして、同時に知らないのだ。自分たちが全く知るよしもない所で、シホが泣き、歯を食い縛り、百魔剣という脅威と戦い続けていることを。そのどちらが欠けたとしても、これ程の人気にはなるまい。
この背中を護る。護り続ける。
クラウスは静かに、決意を新たにした。
だから、騎士長が戻られてよかった、と。
つい先程耳にした、ルディの言葉が甦る。そうであればいい、と思いもしたが、それ以上に、ただ護る、護り続けるという決意が稲光のように青い光を放ちながら自分の胸の奥に灯る感覚をクラウスは感じていた。
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