百魔剣物語——聖女と魔導師と生命の魔剣——

第一章

学術都市国家・エバンス

第1話 移された目標

　アヴァロニアと呼ばれる大陸に、同じ名の、大陸を統一した大王国が存在した。

　剣と魔法で繁栄した大陸を、強大な魔法の力で制覇したその王国は、自らの権威の象徴として魔法の力を宿した剣を百振り作り、それぞれの土地を納める代表者たちに授けた。

　やがて王国は崩壊の時を迎えるが、それ以後も百振りの剣たちはその魔力ゆえに永遠に失われることなく、また、その魔力ゆえに様々な伝説を残した。

　あるものは聖なる剣として、勇者の手に握られた。

　あるものは暴君の傍らに置かれ、多くの血を吸った。

　そうして時は流れ、徐々に人々はその伝説すらも忘れて行った。

　統一王国の崩壊と共に大陸は再び分断され、人々は千々に分かれ、大陸は今日、国という単位で争いあう時代へと逆戻りしていた。

　アヴァロニアの西方、大陸最大の信徒を持つ宗派『天空神教』の総本山、神聖王国カレリアも、この戦乱の世にあって、無関係ではいられなくなっていた。隣接する大陸最大の軍事国家、ファラの国境侵攻を受け、聖戦を宣言。東方の最前線では既に戦端が開かれていた。

　更に半年前には、西方の新興国家、オードからの侵略も受け、カレリアはいま、かつてない動乱の中にあった。

　そんな時代の中、人々がかつての伝説を思い起こすことはなく、真偽を定められることすらなく、ただ忘れ去られて行くはずであった。

『天空神教』の最高位、八人の最高司祭のひとり、前最高司祭ラトーナ・ミゲルが受けた神託によって見出され、現在の世界を崩壊させるほどの力を持つ百魔剣を封印することを託された『奇跡の聖女』シホ・リリシア、その人がいなければ。

「……以上が、前回作戦のご報告です、シホ様」

　神聖王国カレリアの聖王都には、二つの『城』が存在する。

　一つは『白鳥城』の異名を持つ、大陸最大、最美の城、聖王城シュレスホルン。

　もう一つは、大陸一統制された街並みを持つ王都の東側、教会区の中に、王城と引けを取らない壮大さと荘厳さを持ってそこにある。

「ありがとう。救出出来た方々の容態はどうですか？」

　化粧石で全面を装飾され、清らかな陽光に輝く三つの巨大な神殿からなる天空神教大聖堂。それがカレリア二つ目の『城』である。事実、大陸の民衆からは一国の王城と変わらない信仰を持って崇拝される対象である大聖堂、その内にある一室。天井高くまで書籍棚で埋もれた部屋で、シホ・リリシアは東方諸島の民族衣装に身を包んだ元騎士長、クラウス・タジティと執務机を挟んで向き合っていた。

「健康状態は良好と聞いています」

「よかった。酷いことをされていたわけではなかったのですね」

　この執務室は、かつて書庫として使われていた。それをシホが丸々執務室とした。カレリアの山岳地帯の寒村から、前最高司祭に見出だされ、この天空神教大聖堂に来た頃のシホは引きこもりがちで、こうした埃臭い場所の片隅を好んだ。シホの本来の姿を映す場所だ。

　ところ狭しと並べられた書棚に埋もれるように、部屋の入口からまっすぐ最奥に位置する大きな窓の前に、シホの執務机はある。そこだけに陽の光は射し、シホは明るく照らし出された机に腰掛け、クラウスに安堵の笑みを投げ掛ける。誰もに幸福を分け与える『聖女の笑み』だ。

　対してクラウスは、閉ざされた双眸の間に皺を寄せる、いつもの難しい顔で応じた。

「……一概にはそうとも言えないようですが、ひとまずは問題ない様子です。聴取にも全員が応じてくれています。イオリアの事前調査通り、救出されたものの殆んどが先のオード侵攻時に行方不明になっていた戦闘経験者……騎士、兵士、傭兵ですが……我々の『第一目標』は含まれませんでした」

「ええ。聞いています」

「救出されたものたちの話では、直前に半数以上が移送されたと言うことです。いま、その手掛かりについて聴取をしております」

「幾つか候補は搾れましたよ」

　ここにはいなかった第三者の声に、シホはクラウスの背後に視線をやった。執務室の入口に、浅黒い肌に短い髭を蓄えた男性が立っていた。引き締まった身体に白い僧衣を着崩して身に付け、どこか斜に構えたような、気だるい口調と身のこなしで、男性はシホに歩み寄って来る。

「証言をまとめると、こんなところですねえ。まあ、囚われていた時に『奴ら』が話していた事を漏れ聞いたような内容が殆んどなので、確証が得られるものはありませんがね」

「ありがとう、ルディ。あなたも少し休んで下さいね」

「休んでますとも。おれの人生はずっと休んでます」

　片方の口角を上げて、そうおどけて見せながら、ルディ・ハヴィオは手にした紙をシホに差し出した。シホは受け取り、そこに書かれた文字を読む。内容は救出された兵士たちの証言をまとめたものだ。シホはその文章を念入りに読み込む。すると、ルディの言おうとしていることが理解出来た。確かに兵士たちの言葉には、幾つかの場所を示す共通点がある。そこから推察するに、搾り込めるのは三ヶ所。その中でも可能性が高いのは……

「エバンス王国……」

「ああ、やはりそうですよね」

　ルディが笑う。どうやら、同じ考えだったようだ。

「エバンスは大陸南方の港湾都市国家。外洋との貿易を行っている大陸唯一の都市国家であることが有名ですか、あの国家の特色は、貿易都市であることではありませんねぇ」

「……あの国は、無宗教だ」

「ああ、そうでした。騎士長、それもそうなんですが、その『何ものも信じない精神』の根底にあるものですよ」

「旧王国時代の、遺物研究」

　シホは調書を机に置いて肘を突き、両手を組んでその指の上に細い顎を乗せた。

「アヴァロニア旧王国時代の魔法遺物を遺跡から発掘し、研究している研究者が多くいる王立の学舎があると聞いたことがあります。国家を上げて、そうした研究者を支えているとか」

「ええ。それ故に、我々教会組織の中には、危険視している最高司祭様もいらっしゃる。特にあの異端審問局長様などは、目の敵にしていらっしゃいますよ」

「エバンス王国と……円卓の騎士（ナイツオブラウンド）……」

「それに『博士』……ですか」

　クラウスの言葉に、シホは小さく頷く。