第3話 躍動する風

 何となく予想はしていたが、立案された作戦内容とは異なるので、本当にその通りになるとは思わなかった。でも、クラウス騎士長ならそうするだろう。そうでなければ、ぼくが憧れるクラウス騎士長ではないようにも思う。そう考えながら、片膝をついて座っていた少年は腰を上げた。


「よし、それじゃあ……」


 耳にかかる程度の浅緑色の髪が揺れ、目尻の垂れた優しい顔が、潜んでいた通路の壁の陰から現れる。ここから目的地までで想定される敵の数は五人。そのひとり目の背中がすぐ目の前にあり、少年は音もなく、慣れた手際で後ろから相手の口を押さえた。


睡眠ドロミア


 少年が『力ある言葉』を紡ぐと、少年の袖口から冷たい微風が流れた。見張りに立つ兵士の口を押さえた手の、袖に仕込んだ粉香水がその風に乗り、兵士の鼻孔へと入り込む。睡眠薬効のある香りは、瞬く間に兵士の意識を奪った。少年が逆の手に握った短剣が、青い靄のような光を放っていた。湾曲の強く、紺青こんじょう色の刃を持つ、不思議な剣だ。この砦の表、正面大門付近で行動を起こした元神殿騎士長や戦隊長たちと同じく、少年もこの短剣を介して魔法を行使する。少年が扱うのは冷気の風だ。最近はこうした小道具を合わせることで、風を様々な形に利用する器用さを身に付けた。

 いまの状況で言えば、このまま首を折ることも出来る。喉笛を青い刃で切り裂くことも、胸の骨の隙間から刃を入れて捻り、体内に空気を送り込むことで相手に声を出させない処置をした上で殺害することも出来る。少年はそうした戦闘指導も受けていたし、実際そうした汚れ役を担うこともある。だが、今日は、その手は使えなかった。


「シホ様が、嫌がるからね」


 少年は小さく呟くと、薄暗い石の廊下を前進した。すぐに次の見張りを見つけると、同じ様に組み付き、ひとりずつ眠らせていく。

『我らの星』は優しい。甘い、とも言えるかもしれない。彼女の想いは理想論であって、それだけで実現するものではないことを、少年は知っている。それでも、同じ歳である少年から見ても、彼女はその理想を、ひとつでも多く形にしようと命をかける。だから、出来ることだけはしてあげたい、と少年も思う。

 手際よく五人目の見張りを眠らせると、薄暗い廊下が終わった。その先には砦の屋上があり、少年はそのまま屋上に歩み出る。

 夜が明け始めていた。その空を少年が見上げると、一際大きな輝きを放つ明星がある。明星は輝きを増し、見る間に大きくなっていく。実際には大きくなっているのではないことを、少年は知っている。近づいているのだ。少年はあの星を迎え入れるために、自らに課せられた任務を果たしたのだ。


「やられているぞ、どうした!」

「鼠が! 入り込んでいたか!」


 想定外の声が発した。少年が振り返ると、廊下の奥から武装した兵士数人がこちらに向かって来る。また続けて別の声が上がる。少年がもう一度振り返ると、屋上の反対方向にある廊下を、やはり兵士が数人、駆けてくる。

 クラウス騎士長とルディさんが暴れたせいで、中の警備態勢が変わったのか? 確かにほとんどの敵は二人に向いただろうけど、想定と違うからなあ……

 少年は首を傾げ、ため息を吐く。別に相手に出来ない数ではない。全員、無殺で納めること出来るだろう。ただ、そういうことではないのだ。


「シホ様を危険に晒すわけには……」

「イオリア」


 少年は自分の名前を呼ばれて、空を見た。

 明星が、目の前に迫っていた。


「正面をお願い。わたしが半分、貰います」


 屋上の中心で、イオリア・カロランが両脇から飛び出してきた敵に囲まれた瞬間だった。

 イオリアの背後に、星が落ちた。


光の槍ロンス・ドゥ・ルミエル


 明星の墜落に、兵士たちが動揺する暇はなかった。落ちた星から『力ある言葉』が紡がれ、四方に光線が走ると、質量のある光であるその光線に押される形で、兵士が何人も弾き飛ばされて意識を失う。

 こうなっては、愚痴を抱いている場合ではない。イオリアは。冷気を伴う風がイオリアの身体を包む。風はイオリアの挙動を後押しする力となる。次に踏み出した一歩目から、イオリアの姿は目視することも困難な速度を得ている。

 一瞬にして兵士たちとの間合いを消すと、徒手空拳を見舞って次々と兵士たちを無力化していく。誰ひとりとしてイオリアの動きに追い付くことは出来ない。これが魔法、そしてそれを生み出している魔法を宿した剣の力だ。


「イオリア、エオリアはどっち?」


 星の輝きの中から現れた黄金の髪を持つ女性は、半分貰う、と言い切った自信通りの華麗な身のこなしで、話しながらイオリアと同じく兵士たちを無力化する。剣を振り上げ迫った兵士の動きに合わせてしゃがみこみ、兵士の足を蹴りで払う。倒れた兵士に追撃の拳を見舞うと、すぐさま『力ある言葉』を紡いで、別の兵士を弾き飛ばす。

 受けて、返す剣、誰かを護るために戦う剣は、我らの星が最も得意とするところだ。様々な、騎士にはあるまじき非正規の戦闘訓練まで経験しているイオリアが見ても、その動きに無駄はなかった。黒い衣服は、今回の作戦用に新調した軽鎧と聞いていたが、普段戦場で身に付けている黄金の鎧よりは、遥かに動きやすそうだ。ぴったりとしている分、些か扇情的ではあるが。


「……こちらです、先導します!」


 ついつい動きに見とれてしまう。だが、そんな場合ではない、と改めて言い聞かせ、イオリアは予め調査済みの『目標』……捕らわれた仲間、そしてイオリアに取っては姉であるものの元へと足を向けた。


「待っててね、エオリア!」


 背後で我らの星……大陸最大の信徒を有する天空神教会、その最高権力者、八人の最高司祭のひとりにして、『聖女』の名で多くの民衆からも慕われるシホ・リリシアが呟く言葉を聞いて、イオリアは気持ちを新たにする。

 半年前、敵に拐われた姉は、ここにいる。その筈だ。自分の半身と言っていい、いや、自分を守り、育ててくれさえした姉を、この砦で取り戻す。そのための作戦を立案してくれた『聖女』と元騎士長、そして天空神教会神殿騎士団分遣隊『聖女近衛騎士隊エアフォース』戦隊長に改めて感謝をしつつ、イオリアは砦の石床を蹴った。

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