49 Under the blue(2/3)

 海の色は、どこも同じ色というわけではない。


 八丈島では八丈ブルー。

 沖縄は沖縄慶良間諸島に因んでケラマブルー。

 小笠原ならボニンブルー。


 小笠原の海の色は、紺碧の青だ。


 昼のボートダイビングで印象的だったのは、「バラチン」という、ばらばらの沈船や魚雷が埋まっているポイントだった。

 有名な作品といえば『硫黄島からの手紙』だろう。戦争モノが得意でない私だが、今回の小笠原遠征に備えて予習をしてきて正解だったと思う。その感動はひとしおに身に染みた。

 太平洋戦争で使われた戦艦や大砲が多く沈んでおり、特に印象的だったのは、幾重にも並んだ細い棒の上にカポッと台形の屋根が被せられた——おそらく機関室。

 一九四五年二月十九日から三月後半にかけて行われた硫黄島の戦いから長い年月が経っているが、海の底では今でもその姿が残っている。

 多くの命を奪った船は今やソフトコーラルやサンゴ、海藻に覆われ、魚たちの住処になっていた。


 ここで誰かが戦争の指揮をとり、そして亡くなった。

 それを考えるだけで背中がぞわりとするし、この美しい刹那的な光景が胸を打った。


 ボートから帰ってきた後は、早めの夕飯を済ませ、ナイトダイビングに向かう。

 昔製氷工場があったらしいポイントはそのまま「製氷海岸」と呼ばれていた。


 海の色が違えば、そこにいるサンゴも違う。

 八丈島や伊豆諸島ではテーブルサンドという平たいサンゴが多く、沖縄ではキャベツのような形をした、通称キャベツサンゴが多い。

 小笠原のビーチでは枝のように茂ったエダサンゴが多かった。


 温暖化の影響で白く白化してしまったサンゴは、少し悲しいけど、きれいだ。

 白化したサンゴは仮死状態になったサンゴで、水温が下がると生き返ることもあるらしい。


「いこう、アンダーザブルーへ!」


 環ちゃんのいつもの掛け声で、私は暗い海底へと沈んで行った。

 浮力が大きすぎるとうまく潜行できず、慣れていない私はよく海面に取り残されることが多かった。やっとこそ沈んだが近くに仲間はおらず、よくわからない深い場所でひとしきり焦ったあと、海面に戻って合流したなんて経験もある。

 あの広い海で自分だけになる恐怖はトラウマもので、焦った私はさらに潜行に時間がかかるという悪循環。

 それを解消するために考えてくれのが、この掛け声作戦だ。環ちゃんのこの掛け声を聞いてから潜行を開始し、私のスピードに合わせて環ちゃんも潜る。

 私は高校時代の時と同じく、イタリアンに行ったらアラビアータを頼むのと同じように、ルーティーンが決まっていると落ち着くのだ。


 今日もいつものルーティーン通りに小笠原の海に沈む。ビーチエントリーなので、私たちはなだらかな海底に沿って、ゆっくりと深度を下げていった。

 製氷海岸は白砂浜で砂が舞い上がりやすいので、足ヒレフィンで巻き上げないように最大級配慮する。


 この浅瀬に一週間前の早朝、シロワニが出たというのだがら小笠原はやはり夢がある。

 いきなり大きなサメが出てきたらびっくりしそうだけど、人間は捕食対象外なので安心だ。シロワニは「子宮内共食い」をするという珍しい習性があり——子宮にいる卵の中から一番最初に孵った子供が、他のまだ孵っていない卵を食べる——グロテスクにも思えるが、それだけ弱肉強食という海の世界は厳しく、その生態を垣間見ることができるダイビングというスポーツは貴重だな、なんて今は思ったりもする。


 昔は、海なんて嫌いだったのに。


 シュノーケルと違い、当たり前だが海の中では息ができる。最初はその感覚が怖かったが、今はシュゴーという息を吸う音と、コポポという息を吐く音が心地よい。


 海の中で渇いた空気を吸いながら、水中ライトで海の世界を照らすと、白いエダサンゴの群生の上で何かがキラッと輝いた。

 もう一度照らすと、星のように何かがライトに反射した。小さな丸が、小さな群れを作っている。銀色の小さな魚がライトを反射しているらしい。

 魚の群れにライトを当ててこうも星のように瞬かせるためには、障害物となる浮遊物やプランクトンが少なくなければならない。そうでなければ白く濁ってしまうからだ。

 高い透明度と白いエダサンゴ、銀色の小さな魚の群れがそろって初めて、この光景が見れるようになる。


『うわー! きれーー!!』


 レギュレータという空気の出る装置をくわえているが、海の中は意外にも結構喋れる。

 環ちゃんはきれいきれいと叫びながら、魚の群れを追いかけた。魚の動きは早く、きらりと残光を発しライトの外側へと逃げてしまう。

 右に左に動く小さな魚の群れは、本当に星が瞬いているみたいだ。


 白いエダサンゴが、雪国の木のようにも見えてくる。エダサンゴにライトを当てると、白い木々の先端には薄い青がかかり透き通った薄い青から紺碧へとグラデーションを変え、最後は満天の星空へと繋がる。

 すかさずカメラを構えて写真を撮るが、目の前のキラキラとした光景はうまく切り取れず、星空はまるで塵芥ちりあくたのようだ。

 けれど、それがいい。


 七色に輝く朝陽、昼に見る光のカーテン、夜光虫によって織り成される淡い緑の光の粒のゆらめき、そして、銀色の小さな魚の反射によって作られる星空。

 どれもこれも潜らなければ見えない景色。写真に収めることができない光景。

 それが、面白い。


『きれい! すごい! きれい! ねえスミレ!』

『うん、最高!』


 ナイトならではの生き物を探してもいいし、私のように海底の星空を無重力の中で眺めてもいい。海の楽しみ方は人それぞれで、「好き」が自由で、それぞれが「好き」に一直線で、とにかく楽しんだ人が勝ちなのだ。

 小笠原の海の底、私はいつまでもその光景を見ていた。


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 *『硫黄島からの手紙』/ワーナー・ブラザーズ

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