46 深海郵便・前

 両親への報告を済ませ、東京に戻ってから数日後、私とたまきちゃんは不動産を巡るついでに葉山まで遊びに来ていた。


 最も、同じ家に住むわけではない。

 環ちゃんは今のアパートで住み続け、私は逗子・鎌倉付近でシェアハウスをする予定だ。

 陰気な私自身も意外に思っているが、シェアハウスというシステムは結構気に入っている。比較的陽気な人が多くて疲れることも多いけど、シェアハウスという強制的に人と接するシステムがなければ私は誰とも話をしないまま日がな一日終わるだろう。それに、ある程度他人の目がある方が節制できることを学んだ。


 具体的に言うと、掃除の頻度とか。私の不摂生で忌まわしい虫を呼び込むわけにはいかないもの。

 環ちゃん曰く、私はアクティブな陰キャだそうだ。


「スミレ! お待たせー」


 現実逃避もここまで。

 ウェットスーツを纏った環ちゃんは、この葉山の風景によく馴染んでいる。

 今日は十年前に早朝にウミガメを見に行ったあの日、――忘れ潮の岩の隙間に沈めたタイムカプセルを取りに来たのだ。


 新幹線のひょんな会話でその存在を思い出してしまったのが運の尽き。きっと海に流されてどこかに行ってしまったに違いないが、もしまだ残っていると考えるとぞっとするし。ぞっとしない面白くない。細かい内容まで覚えていないが、随分とポエミーなことを書いた気がする。

 つまり、黒歴史だ。


「早いね」

「車で来たからね、実家のだけど」

「運転できるんだ。環ちゃんも大人になったんだねぇ、なんだか感慨深い……」

「遠征に不便だからね。フォルツァ買ったけど、結局機材乗らないし夏は暑いしで冬は寒いしで全然使ってないよ。あ、でも女の子憧れのタンデムならできるよ」

「タンデムするなら単車がいいな。KAWASAKIのVARIOS-IIで」

「シブい! てかバイクも詳しいんだね?」

「詳しくなんてないよ、バイクが好きな人が居て、その話をよく聞いてただけ」

「スミレは相変わらずだね。そーゆーとこ、やっぱり好き」


 フォルツアは250ccのビッグスクーターの一つだ。ビッグスの多くはオートマで、椅子に座るタイプ。単車はマニュアルの自動二輪免許で跨るタイプのバイクだ。


 環ちゃんは吹っ切れたのか、ニシシと笑って「好き」と言ってくる。

 私の◯◯なところが好き、だからニュアンスは違うけど、嬉しい反面なんだかこそばゆいし、端的に言って照れる。小説なんかではよくあるけれど、実際に◯◯なところが好き、面と向かって言われることはそうない。

 恋人同士なら普通なのかもしれないけど、私と環ちゃんは恋人同士なのかも微妙な関係性だ。

 想いは通じ合っているけど、キスは愚か、手も繋いでいなければ、正式に付き合おうとか、そういう話も出ていない。


 私がなんて返せばいいかおろおろしているうちに、環ちゃんは余裕綽綽しゃくしゃくといった面持ちで海へと繋がる階段を下っていった。

 手にはマスクとシュノーケルだけというラフなスタイルだ。


「環ちゃん、それで行くの?」

「え、何が?」

「タンクとか、フィンとか」

「ああ、大丈夫大丈夫、小瓶とってくるだけだし。タンクも持って行ったらうち2時間は帰ってこないよ」


 二時間も、空気エアは持つものなのか。十年前に八丈島で体験ダイビングをした時の残圧は覚えていないけど、三十分やそこらでかなり使っていたような記憶がある。

 葉山の海は浅いと言っていたけど、それでも二時間はすごい。海に入りすぎてえらでも生えてきたのかと割と真面目に勘案してしまう。


「二時間は暇だなあ」

「でしょ、ちょっくら行ってくるだけだから」


 階段は下から四つほど水面に覆われていて、当時瓶を沈めた忘れ潮の岩は影も形も見えない。

 けれど環ちゃんは一直線に岩へと向かい、ヒュンと海底に沈んだ。潜行してから三十秒ほどだろうか、まだまだ息は持つと思うが、このまま環ちゃんが上がってこないんじゃないかとハラハラする。三十秒がものすごく長く感じた。今、三十秒息を止めたら、きっと私は苦しい。


 タイムカプセルは忘れ潮のある岩から手を突っ込んで岩と岩の間に噛ませただけ。だから大した深度はないと分かってはいるけど、人間はたった六センチの水でも溺死してしまうのだ。

 岩か何かに引っかかってしまったのではないかと思うと気が気じゃない。


 一分が経過しただろうか。


 私は居てもたってもいられず、階段を駆け下りた。あと一段降れば海だが、構わずくだった。

 あっという間に膝辺りまで海にのまれ、たくしあげていたスカートの裾は濡れてしまったが、そんなことはどうでもいい。


「環ちゃん! 環ちゃん!!」


 環ちゃんが潜って位であろ場所からは、コポコポと白い泡が立ち上っていた。


「環ちゃん!」


 三度名前を呼んだとき、環ちゃんは勢いよく海の中から飛び出した。

 マスクを下げ、前髪をかきあげ、上を見上げる。

 環ちゃんは高校生の時と同じく、小麦色に焼けた肌で、歯並びの良い白い歯がよく映えていた。ずぶ濡れで無様な見かけのはずなのに、どうして環ちゃんはこうも輝いて見えるのだろうか。


 太陽が眩しいだけでは、きっとこんな風には見えない。


「スミレ! あれ、あ? なんでここに? 服濡れてるよ」

「環ちゃんが遅いから、心配で……」

「ええ?」


 環ちゃんは目をパチクリすると、心配しすぎと言って呵々かかと笑った。

 心配しすぎだなんてことはない。だって私は、絶対に環ちゃんを失いたくないのだ。だから、本当はスキューバダイビングなんて危険な趣味やめて欲しいし、それこそ監禁して蝶よ花よと愛でたい。


 環ちゃんの「好き」を奪いたくないから、ヤメテだなんで口が裂けても言わないけれど。


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