Section6 / Tamaki

33 聞き心地の良い言葉

 スミレへの恋を自覚したうちがやること、それはセナとの婚約破棄だ。


 うちには、逢子ほうこにも言ったように、セナに言っていないカクシゴトが三つある。セナがそれを受け入れてくれるか不安だった。

 スミレへの気持ちに気づいた契機がであったことは否めないだろう。


 けれど、婚約破棄の理由に「セナが受け入れていくれるか」は関係ない。

 こんなギリギリまで言わなかったうちが悪いのだし、セナが受け入れてくれても、やっぱりうちはセナと結婚することはできない。

 なぜなら、うちはスミレに恋をしているのだから。


『セナの両親にも、お母さんにも既に挨拶は済ませてある。あんなにも喜んでくれたのに、それを裏切るのか』

『このままセナにもスミレにも何も告げず、流れに身を任せて結婚した方が良いに決まっている』

『そうしたら誰も傷つかない、誰もガッカリしない』

『人並みの、いわゆる世間一般的な幸せを掴むことができる』

『うちはセナのことを愛しく思っているのも事実だ』


 そうだ、うちはセナのことを愛していた。

 眠っているセナが愛おしく、頬にキスをしたいこともあった。


 けれど、


『今更スミレへの気持ちを自覚したところでもう遅い』

『スミレは今の自分を、カクシゴトを知ったら嫌いになってしまうかもしれない』

『スミレと想いが通じたとして、それでどうなる? 結婚もできない。子供だって作れない』

『うちは結婚がしたかった。愛しい人と血を分けた子供が欲しかった。それはもうかなわない。それでも構わないのか』


 けれど、


『女同士のフウフに世間は厳しい』

『独身女性にも厳しい』

『うちは男も好きになれる。男とセックスすることだってできる。それなら男と結婚したほうが人生は楽だ』

『悪くない未来だ。それを手放すのか』

『幸せが確約されていない。ここで婚約破棄したら、うちは結婚できないかもしれない』


 けれど、

 うじうじするのも、今度の人生を天秤にかけるのも終わりだ。


「それでもやっぱり、うちはスミレのことが好き」


 声に出すと、なんだか気持ちが定まった気がした。

 これが言霊の力というものなのかもしれない。


 一つ息を吐き、ふっと体の力を抜く。

 自分好みの柔らかいベッドに喰われ、沈む。

 仰向けになると四角く切り取られた青い空が飛び込んできた。

 この部屋に住むことに決めた最大の理由がこの天窓だ。開閉はできないし、カーテンもないから朝日が眩しくて、二度寝したいときなんかは煩わしく思うけど、仰向けになりながら空を見るというのはやはり良い。

 真夏になると、ダイビングとダイビング間の、身体に溜まった窒素を抜く休息時間では砂浜に寝っ転がっていた。ウェットスーツを腰まで脱いで、足元は波でひんやり冷たくて、鳥の鳴き声と潮騒が心地良くて、程よい疲労でウトウトして……。夜になると肌がヒリヒリ痛くて、やっちまったなあ、なんて言って……。去年はセナとそんな夏を過ごした。

 島に引きこもるという不思議な概念をもって、アイランドホッピング。

 携帯電話もオフにして、デジタルデトックスをして世間から離れる。

 あの時、うちは幸せだった。


 それでも、うちはスミレでなくてはダメなのだ。

 八丈島で監禁された時、うちはスミレとキスをした。あれがいけなかった。


 犯人にされてもいない歯磨きをスミレにしてもらって、キスをした。

 女の子同士の行為というものに興味があって、それにスミレを利用したのか。夏の暑さで頭がおかしくなっていたのか。あの時の自分の行動が長年疑問だった。けれど、今ならわかる。

 うちは無意識のうちにスミレを欲していたのだ。正確には、

 緊縛され、どうしようもできない状況で、スミレに奪って欲しかったのだ。心も、唇も、それ以外も。その歪んだ願望が、あんな風に露見したのだと思う。


 スミレは変態で加害者で、自分は被害者という大義名分のもと、うちは目的を叶えたかった。


 小学生の監禁事件の頃からずっと、うちは誰かに受け入れられ、理解され、唯一のモノとして縋って欲しかった。うちという存在まるごと奪って欲しかった。


 離島で二週間別荘でスミレと二人きりで旅行という絶好のロケーションを用意したのはうちだ。

 スミレの好意に気づいていたのに、わざとそうした。

 八丈島での監禁はつまり、スミレの監禁ゴッコじゃなくて、うちの監禁ゴッコだったのだ。


 今だって、スミレに監禁されることを望んでいる。

 婚約破棄とか、世間とか、煩わしい全てから隔離され、監禁され、スミレのモノになってしまいたい。


 「好きだよ」「環ちゃんだけだよ」そんな呪詛を毎日聞くことで、うちの心は蝕まれていく。

 スミレはうちのことを逃げないように縛りつけるけど、うちのことが大好きだから、うちの親や友人を人質にとって悲しませるようなことはしないし、うちの体も大切にしてくれる。スミレは一切の苦痛からうちをしてくれる。うちのことが、大好きであるが故に。

 ——そんな日々を、小学生の頃のような監禁生活の再来を、うちは期待していたのだ。


 物質的な監禁をされることはもうないだろう。

 けれど、スミレならうちを監禁してくれる。だからうちはスミレがいい。だからセナじゃダメだった。


 うちは愛に飢えた異常者だ。その自覚はある。こんなことにスミレを巻き込むべきではないのかもしれない。

 でも、何度考えても結末は同じだ。

 うちはスミレのことが好き。うちがスミレに監禁されるのと同じくらい、うちはスミレを監禁したいのだ。

 スミレに一身の愛情を注ぎ、全ての苦痛からスミレをしたい。

 苦痛から、スミレを。スミレを苦痛から守りたいとは少し違う。この微妙なニュアンスを、スミレなら分かってくれると思う。うちは意識して、攻撃的に、悪意をもって、苦痛という枠の中からスミレを追い出したい。


 これをていの良い言葉に置き換えたら、すなわち『スミレを幸せにして、スミレを守りたい』ということに落ち着く。

 同じことを言ってるのに、随分と聞き心地の良い言葉になって、うちは満足する。

 この美しき志を否定することなど、誰にもできない。


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