Section8 / Sumire

43 私はきっと、恋がしたかった・前

 二十二時を回り、公園にいるのは私と七戸くんと、常連の黒猫だけだ。


 七戸しちのへくんはベンチにいる黒猫の隣に座り、頭から背へと優しく撫でる。猫は嫌がって逃げていった。

 嫌われてやんの。そう思ったけれど、口にする間柄でもないので、私は黙ってその黒猫を目で追う。


「七戸くん、本当は何しにここへ来たの? たまきちゃんが婚約解消を決めたのなら、もう覆らないって分かってるよね」

「ああ。押しに弱いやつじゃないからな」

「ダイビング、辞めちゃうの?」

「分からない。今はそんな気分じゃない。どこに行っても、海と環はつながってる。今ばかりは海が繋がってるのが恨めしいよ」


 嘆息して、地面の砂粒を黙って数えている彼の姿は哀愁を帯びていて、私たちLGBTに対して随分と失礼なことを言っていた彼とはまるで別人のようだった。

 私に対し罵詈雑言をまくし立てるという訳でもなく、彼が私と何をしたのかわからない。彼自身も、もしかしたら分かっていないのかもしれない。そんな気がした。


 ねえ、七戸くん。私、本当に環ちゃんのことが好きなの。

 女だからってバカにしないでほしい。むしろ、性別の壁を超えて通じ合った私たちを尊重してほしい。

 というのは、流石にエゴか。七戸くんに何を言おうか脳内で組み立ては消し、組み立ては消し、結局何も話をすることもできないまま時間は流れた。私は相変わらず頭で考えてから喋るタイプで、だから返答も遅ければ話の切り出しも遅い。

 先に口火を切ったのは七戸くんだった。


「環には何年も会ってなかったんだろう。なのに何で、ハシバミさんはまだ環が好きなんだ? 環がハシバミさんのことを好きなのもぶっちゃけよくわかっていないけど」

「好きだよ、十年前からずっと」


 私は頭で考えてから喋るタイプである故に、問いかけ、すぐに答えが出るもの――いわゆる直感を結構信頼している。例えば、十年経った今でも環ちゃんが好きなこと。

 今までの経験上、その直感で感じた「答え」が覆ったことはない。


 あの八丈島での監禁と、友達のフリをした期間残りの高校生活を経て、私は前より少しだけ強くなった。

 結果は散々だったけれど、私は何もできない人間じゃない。女同士という分厚い壁があっても、私は環ちゃんに想いを届けることができたのだ。その後の一年間も、私は環ちゃんの望む完璧な友人を演じることができたと思う。

 逢子ほうこちゃんとも、喧嘩することができた。

 "好き"に対して、堂々としていられるようになった。

 いろいろな世界を知りたくて、海外にだって飛び出すことができた。八丈島の件がなければ——いや、環ちゃんと出会わなければ、私は自分の欠点と向き合うことなく、そして自分自身の好きなところにも気付けないまま、愚図ぐずでつまらない人間になっていただろう。

 だから私は、今でも環ちゃんを尊敬しているし、憧憬もしているし、そして愛しく思っている。


「私ね、一人でいるの好きだったの。小さい頃からずっと」


 それは、私が悲劇にヒロインになりたくて、虐められていると思い込んでいたからだけど、この本題において、それは些末なことだ。あえて七戸くんに話す理由はない。


「でもね、一人でいるより、二人でいる方が楽しいの。環ちゃんといる方が、楽しい。それは私にとっては革命的なことだった」

「……そうか、今のだけでもわかるわ、ハシバミさんにとって環がどれだけ特別な人なのか」


 ——ひとりより二人でいることの方が楽しいなんて 僕にとっては革命的なことなんだよ

 私の好きな歌の一節。この歌を聞いて、私は確信したのだ。

 私が環ちゃんを好きになった根源的な理由はコレだと。色々理由はある。でも、一言で表すならば間違いなくこれだ。

 だから、環ちゃんのことが好きで、だから、環ちゃんと一緒にいたかった。そばにいたかった。理解者になりたかった。一番になりたかった。


「でも、俺もそうだよ。世界に一人だけを選ぶなら、環がよかった。それが結婚ってことだ。世界に一人だけ、特別な存在なんだ」


 七戸くんは純粋に、分からないから、戸惑っているんだと思う。

 どうして自分じゃダメだったのか、どうして環ちゃんは十年も会わなかった榛純恋を選んだのか。

 それが分かれば、きっと七戸くんは、理解できなくても、納得できなくても、きっと環ちゃんのために、そして自分の未来のために意味のある行動してくれる人だと思う。停滞は悪ではなく必要な時間だけど、でも、ただ停滞しているだけでは何かが快方に向かうことはないのだ。何かをブッ壊して痛みで動けなくなっても、次に進まないといけない時があると私は学んだ。

 私は七戸くんのことなんて何も知らないし、高校の時は邪魔者にしか思ってなかったけど、環ちゃんが好きになった男の人だもの。素敵な人に違いない。だからこそ、私はいつか二人を祝福できるようになろうと思って、環ちゃんと距離を置いたのだから。

 まさか相手が私の知っている人だとは夢にも思わなかったけれど。


「七戸くんは、八丈島の件知ってる?」

「八丈島?」

「私ね、環ちゃんのこと監禁したの」

「監禁!?」

「結局、一週間も持たなかったけどね、足に鎖をつけて、家から出られないようにした。その間お風呂だって入れさせなかったよ。ヤバいよね」


 私は軽快に言ったが、七戸くんは目をまん丸にしたまま何も言葉を発しなかった。

 私は続ける。

 あの監禁は間違いだったけど、この戦いにおいて、アレは圧倒的アドバンテージを持つのだから。すなわち、私はあなたより環ちゃんのことを愛しているのだという証左に。


「でも当時の私はそれが最善だと思ってたの。環ちゃんが『少女誘拐監禁事件』の被害者だと知って、私はますます環ちゃんのことが好きになった。辛い過去があったはずなのに、あんなに綺麗でかっこいい環ちゃんはすごいって。だから私は、環ちゃんとずっと一緒にいてもらいたくて、環ちゃんのことを理解できる唯一の人になろうと思ったの。どんなことを犯人にされたのか、その経験を持って、環ちゃんは何を思って、何を考えたのか。そして、どうしてもらったら嬉しいのか。そんなことばかり考えるようになって、私は私のできる最大限の追体験をした」

「追体験?」

「レイプとか、そういうの。まあ厳密には違うのかもだけど、似たようなことは経験はできた。結局、私の考えは飛んだ見当違いで、環ちゃんの追体験にはならなかったんだけどね」


 絶句。

 それを人で表したら、きっとこんな顔になると思う。

 七戸くんは慄くと共に引いていた。それはそうだ。今思えば、あの時の私は頭がおかしかった。でも、何度繰り返しても、当時の私は同じ選択をすると思う。今だって、私がレイプされることで環ちゃんが救われるのなら、喜んでこの身を差し出すだろう。

 親が子を守るために身を捧げるのと同じように。


 →


 *PEDRO『浪漫』

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