41 ボールペン・前
きっとそんな風にハッピーエンドを迎えられただろうけど、残念ながら現実はそう簡単に終わらなかった。当人同士以外の問題が山積みで、それを解決させなければうちらはいつまでも幸せに、は暮らせない。
まず、トウヤマ。
話が終わり、トウヤマを二階から呼び出し事の顛末を話した。
最終的には認めたものの、トウヤマのスミレの説得は二時間にも及んだ。スミレがかなりキツイ言い方をした時も、一度も大きな声を出したり荒げなかった。おそらく、トウヤマの信条なのだろう。スミレを否定することなく、けれどもしっかりと諌める。スミレのことを心配しているとありありと伝わってきた。
こういう些細な積み重ねが、スミレがトウヤマを深く信頼するようになった所以なのだろう。嫌いなやつながら、そこは尊敬する。
何とかトウヤマに許しを得た頃にはアフターヌーンもすぎ、気がつけば夕方になっていた。
その後は、少し早めの夕飯を取り、ワインを嗜みながら二人の話を聞く。
元々は学生マンションの上の階と下の階の住人。LGBTの悩み相談をきっかけに
高校卒業後、スミレは海外にあるオーストラリアの大学へ進学した。他にも色々理由はあるが、オーストラリアにした一番の理由は、LGBT事情に関しては日本の少し先を行っているかららしい。高校三年の時に聞いた時は、全然違う理由を言っていた気がするが、うちには言いにくかったのだろう。
ちなみに、高校三年のとき、オーストラリアに行ったら必ずグレードバリアリーフで潜るように言ったが、潜ってないらしい。三年も居たのにアホだと言ったら、次は一緒に行こうと言われて嬉しかった。
ちなみに、ケアンズには泥海があり、そこには人喰いワニがいる。その泥海はケアンズから普通に見れるが、泥海にワニがいるのを見たことはないそうだった。ちょっと残念。
大学卒業後は日本に帰らず、そのままオーストラリアで就職。トウヤマがオーストラリアに赴任になったことでシェアハウスを始め、偶然二人共(と言っても半年ほどタイムラグがあったそうだが)日本への転勤が叶い、今に至る。
「環ちゃん、今日は泊まっていきなよ」
「うーん、どうしようかな」
そこでハッと気づく。
うちは、自宅の鍵をもっていなかった。
帰っても部屋に入れないかもしれない。まあ、実家がすぐ近くなので閉め出されることはないが、セナが部屋でうちの帰りを待っているかもしれない。
携帯端末はあえて見ていなかった。セナから着信があると思うと億劫だったからだ。
しかし、婚約解消の話はきちんと決着をつけないといけない。
視界を狭くし、わずかに開いた左目でおそるおそる着信を確認する。
メッセージが二件、やはりセナだった。
『セナ:俺も少しは冷静になったつもり。でも、待ってるって言ったのは嘘じゃない。帰ってきて』
『セナ:ちゃんと話がしたい』
やはり、セナは部屋で待っていてくれたらしい。
けれど、お酒を飲んでしまった。こんな状態でする話ではないだろう。
「電話しろ、電話」
「勝手に見るな」
考えあぐねてたうちの携帯を盗み見てきたのはトウヤマだ。
「ここでメッセージで済ませて明日に引き延ばすのは逃げだ」
「でも、お酒のんでるし」
「それも含めて言うしかないだろう。実際の話し合いは明日持つとして、今日帰らないってこと、それからスミレちゃんのこと、言うべきでは?」
「……そうだよね。ちょっと表出てくる」
ここは住宅街だ。夜の電話は響くだろう。
近くの公園まで移動し、セナに電話をかけた。
いつもはきっかり二コール、遅くても四コールで電話に出るが、今日は七コール目。
セナも逡巡したのだろう。
『もしもし』
「ごめん、今日はお酒をのんじゃって、だから明日改めてちゃんと話をしたい」
『今どこにいんの』
「えっ、と、その」
『なんて駅』
「押上駅」
『今、ハシバミさんのところにいるのか』
「うん。全部、話してきたから」
『今からそっちに行く』
いつもの優しいセナの声とはかけ離れた、低く冷たい声だった。
こちらに来て何をすると言うのだ。
『顔も知らない奴ならまだしも、ハシバミさんだなんて、このまま環と話し合いをしても俺の気が収まらねえ』
電話の奥で、ダンっという机を殴る音と、缶が転がる音が聞こえる。
セナもお酒を飲んだのだろう。でも、お酒をのんでもセナは声を暴力的になる人ではなかった。むしろ、邪魔だと言っても離れないくらいベタベタくっついて、甘えるタイプの人間だった。
「スミレに何する気? 今朝も言ったでしょう、うちの片思いだって」
『でも、晴れて結ばれたってことだろ。今そこにいるのは』
「……確かに、想いは通じた。でもセナが納得するまでは正式に付き合わない。もちろん、どこも触れ合ったりもしないし、してない」
『ブッ殺さねーと気がすまねえよ、お前も、ハシバミさんも』
それだけ言って電話は切れてしまった。
かけなおしても繋がらない。
セナが「ブッ殺す」だなんて、信じられなかった。高校の時からただの一度もそんな言葉を使ったことはなかったのに。
恋愛に傷はつきものというけれど、うちは大切な人を傷つけてばかりだ。
スミレも、セナも。
でも、ごめん。
うちはこれからもっと、セナを傷つけるよ。
そうしなければ、うち達は次に進むことができないのだから。
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