40 遅効性の毒
「スミレ、うちは人を殺したんだよ」
「
「当たり前でしょ……! 犯罪なんだから」
「じゃあ環ちゃん、私のことを監禁してよ」
「えっ?」
スミレはたまに、突拍子もなく、そしてひどく乱暴なことを言う。
「検証しよう。あの事件を再現するの。期間は半年間。それで私が環ちゃんのことを殺したくなったら、環ちゃんは人殺しをした。そうじゃなかったら思い込み。これで決着をつけるのはどうかな」
「前提条件が全然違うよ。再現にならない」
「それじゃあ私をが環ちゃんを監禁するのは? 半年もあったらお互い『今』を知れるし、ナイスアイデア」
スミレは名案とばかりに微笑んだ。
監禁するしかない、ことはない。それに、セナとの決着もつけてない状態でスミレを監禁——うちにとってはほぼ同棲だ——なんて、ありえない。
「じゃあ、リクくんが環ちゃんを監禁する」
「そんなの絶対にイヤ」
「その逆は? 一番当時の条件に近いと思うよ」
「……」
「うーん、ちょっと整理しようか」
そう言うと、スミレはリビングの奥からノートを取り出し、さらさらとボールペンで字を流していく。
懐かしいスミレの字。ノートには「ゴール」と書かれていた。
「環ちゃんは私に『人殺しの環ちゃん』を受け入れて欲しいんじゃなかったのかな。私は受け入れてるよ」
「でも、信じてないよね」
「信じてないわけじゃない、環ちゃんにとって『人殺し』は真実なんでしょ。それでも私は構わないの」
「それはつまり、信じてないってことでしょ!」
「信じるもなにも私は……。じゃあ、この問題の着地点にはこれだね」
<①今、私が環ちゃんが人を殺したと認める>
<②環ちゃんが人を殺していないと認める>
< →要検証>
<③環ちゃんが人を殺したと認めた上で、環ちゃんを受け入れる>
< →要検証>
「『今、私が環ちゃんが人を殺したと認める』のは難しいよ。だって警察は環ちゃんは人を殺していないと判断したんだもの。今更何を調べても、それが覆ることはないと思う。例え環ちゃんが自首したとしても」
セナも似たようなことを言っていた。
スミレはうちが黙ったのをみて、①に取り消し線を引く。
「だから検証するの。簡単でしょ?」
要検証、に丸をつける。
でも、スミレの言ってることは詭弁だ。
「スミレも信じてくれないんだね、セナと同じ」
「……ごめんね環ちゃん」
スミレは眉を八の字に下げて、なんだか、とても申し訳のなさそうな顔をしていた。
けれど、この申し訳なさそうな顔は「信じられなくてごめん」という顔とは、何か違うような気がする。もっと根本的な――。
何がゴメンなの? そう聞く前に、スミレは口を開いた。
「環ちゃんにはとても大切なことだっていうのは、頭ではわかっているんだけど、私ね、ヒト一人殺したぐらい、本当にどうでもいいの。だってその人、私の知らない人だし。しかも相手は監禁事件の犯人だって言うし。環ちゃんを言いくるめるためにあの手この手で説得しようとしただけ。本当はどっちでもいい。殺していようが殺していまいが、私の知ってる環ちゃんは環ちゃんのままだもの」
「!」
ああ、うち、本当はセナにもこう言って欲しかったのかな。
人を殺したって認められるのも、認められないのもイヤだったのだと、今気づいた。
倫理的に考えたら、スミレの思考は褒められたものではない。けど、うちにとっては何より求めていた言葉だ。
どうでもいいから、何を思っているのかわからなかったのか。得心した。
「それにさ、環ちゃんの人殺しの件とは違うけど、
「あんなの、止めなかったうちも半分共犯みたいなものだもの」
「でも常軌を逸脱してたよね、特に八丈島の件は」
「まあ、そうかもしれないけど」
「若気の至りだなんて言うつもりはないけど、環ちゃんに拒絶されても全然おかしくなかった。少なくとも逢子ちゃんとは絶対に仲良くなれなかった。高校生活、辛かったけど、それ以上に楽しかったよ。一生に一度しかない高校生活。全部、環ちゃんのおかげ。環ちゃんは正真正銘、私の王子様だった」
うちは、王子様なんかじゃない。
「環ちゃんは今でも海が好きで、好きなものに一直線なところが好き。私の言葉を待ってくれるところが好き。私のダメなところを、ポジティブな言葉に言い換えてくれるところが好き。私に、私の知らない世界を見せてくれるところがすき。きれいな景色を見せてくれるところが好き。他にもたくさんある。環ちゃんの好きなところは環ちゃんの人間性に深く紐づいているところだから、私は環ちゃんのことを、これからもっと好きになるよ」
どうしてうちの心は「
うちにとってこの恋は毒で、そして猛毒なのだ。遅効性の毒。
八丈島の一件で仕込まれた毒は、十年の潜伏期間を持って作用したらしい。
人生を大きく左右する「結婚」というイベントと真剣に向き合うことで過去を振り返った。うちは、うちを受け入れてくる人なら、うちを欲しくてくれる人なら誰でもよかったのかもしれない。その最たる人がスミレだった。
この考えの何が悪いというのだろう。
「好き」とか「彩る」なんて言葉では生ぬるいほどに、毒に蝕まれていた。
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