Section7 / Tamaki

38 何もついていない、左手

 リビングに入り、L字のソファに腰をおろす。スミレを挟んで、うちとトウヤマ。

 トウヤマは不承不承にこの前『ツナ缶』で話をしたことをスミレに告げた。うちのことが好きとか、そういう話は伏せて。


「で、日和ひよりさん。一体何しにきたんですか」


 トウヤマの質問を無視して、じっとスミレの顔を見る。

 スミレはキョトンと不思議そうな顔をしていた。それもそうだろう。今から話をするいろいろなことは、スミレが予想だにしていないことだから。

 一つ小さな息を鼻からはいて、うちは左の手の甲を二人に見せた。


 何もついていない、左手だ。


「うちがセナと婚約したことは知ってるよね。七戸しちのへ青南せな。高校の同級生のあいつ。今朝、婚約の解消をお願いしてきた」

「ええっ!?!?」

「……」


 トウヤマはさして驚いた様子はない。

 左手に指輪がないことを気づいていたのかもしれないし、ここにうちが来た時点である程度予想していたのかもしれない。

 スミレはどうして?なんで? と一人あわあわしていた。

 スミレはこんなにも感情豊かな子だっただろうか。感情は豊かであったけど、感情が表面にあまり出てこないタイプだった気がする。

 この十年で、やはりスミレも変わったのだと実感した。


「セナに隠し事があったの。それも四つも。それでもセナは良いと言ってくれたし、この婚約解消もまだセナは納得していない。状況は変わってないけど、うちの心は決めてきた。この後どんな結末を迎えようと、セナのところには戻らない」


 これは決意表明だ。

 この宣言はスミレではなくトウヤマに向けたもの。トウヤマは口を出すことなく、黙ってこちらを見ていた。

 ひとまず、及第点をもらえたのだろう。


「セナに隠してた四つのうち、一つはうちが『少女誘拐監禁事件の被害者』であること。一つは、『人の心が読めること』」

「やっぱりそうなの!?」

「ああ、いや、もちろん頭の中に直接声が聞こえてくるわけじゃないよ。あの事件をきっかけに、人が何を考えているかがまあまあの精度でわかるだけ」

「納得。だって思い当たる節がたくさんあるもの。逢子ほうこちゃんに足をひっかけられるフリをした時も、わざと階段から落ちた時も、八丈島で環ちゃんを監禁した時、環ちゃんを痛めつけるつもりがないことも、全部お見通しだったもんね」

「そんなの心を読まなくても分かるよ。あの時のスミレおかしかったから」

「でも、監禁の理由もわかってたよ」


 この監禁を追体験させることで、犯人とうちの関係を断ち切りたかった。

 そう思ったけど、それだけじゃなかったよね。『環ちゃんのことを理解し、ずっと一緒に居たかった』という思考が事件の本質だと、スミレは言っていた。


「まあ、ある程度はね」

「すごいなあ、私環ちゃんの『大丈夫』が大好きだった。不安な時にいつもそう言ってくれてすごく安心した。私がコンプレックスに思ってることを、いつもポジティブな言葉に変換してくれたよね。あ、でもこれは別件か。やっぱり環ちゃんはすごい!」


 なんの揶揄もない、屈託のない笑顔だ。

 スミレは謀略家だったけど、心根はやはり純真なのだろう。やり方が突飛なだけで、その行動理念は可愛らしいものだったし。

 ——どこまでも自分勝手な、うちと違って。


「三つ目は、うちが人殺しだってこと」

「なっ……!」


 声を上げたのは、トウヤマだった。

 スミレはあまり驚いていない。むしろ、酷く冷静だった。


「……”犯人は自殺”だよね。包丁で、心臓をひとつき。逡巡創しゅんじゅんそうもあった。指紋も、犯人の血の跡でべっとり」

「それは、犯人がそうなるようにしたから。うちは犯人の心臓を刺した。ゴリって音がして、鳥のモモ肉に突き刺したみたいな感触がした。だからうちは料理が嫌い。スミレ、『人を刺した時の感触が忘れられない』って表現は、あながちフィクションでもないのかもしれないね」


 スミレは、無関心だった。何を思っているのわからない、と言うのは久々の感覚だった。なんとも思っていないのだろうか? いや、そんなはずはない。スミレはうちの過去を知っている。人殺しであることも前から知っていたのだろう。だから、この告白も想定範囲内。心の底から信じていない。だからこんなにも凪いでいるのだ。

 スミレも信じてくれないのか。

 そう落胆するが、スミレの表情はセナのときとはちょっと違う気がする。スミレはすんと興味を失くすと、次の秘密へと話を進めた。


「四つ目はなんだったのかな」

「四つ目は、うちが浮気をしているってこと。これが、セナと婚約破棄をした最大の理由。浮気相手は、スミレだよ。うちの片思いだけど」


 湖に石を投じたように、スミレの瞳は波紋を広げて大きくなっていく。

 驚きすぎて、声も出ないみたいだ。


 →

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る